ゴブリンの食事
石畳に倒れ伏すネジイの背に金色の槍を深々と突き立て、心底からの喜悦に顔を歪めるレリック。
その常軌を逸した光景に、思考が停止したグレンは「な、何をしているんですか?」と、ひどく間抜けで無意味な質問を投げていた。
するとレリックは、肉を抉る嫌な音と共にネジイの背中から槍を引き抜き、三日月のようなおぞましい笑顔をグレンへ向けて答える。
「見てわかんない?一番の邪魔者を始末したんだよ。コイツさえやっちまえば、後は俺の敵じゃない。キミは戦えないただのギルド従業員だし、アリアちゃんは非力な女の子だからねぇ」
「何の為に……こんな事を」
「餌だよ? 俺の可愛いペットの為の、新鮮な餌。君たちも、これからその餌になるんだよぉ」
完全に狂気を孕んだその瞳。言葉の表面的な意味は理解できても、その奥にある歪な論理をグレンの脳は処理しきれなかった。
しかし、いち早く最悪の可能性に思い至ったアリアが、恐怖に震える手でグレンの服の裾を強く握り締めながら、自らの絶望的な推論を口にした。
「ペットって……まさか。私達を襲ったこのゴブリン?レリックさんが使役しているの?」
ニタリと下卑た笑みで口角を上げるレリックの顔が、何も言わずともアリアの推論を肯定していた。
それで『ペット』の正体がゴブリンと確定した所で、理解出来ないのは何故そんな生態系を無視した使役が可能なのか、その過程も、目的もグレンには全く読めなかった。
全ての真実は、彼らの背後にある遺跡のような建物に隠されているのか?
そして、この狂気の実験にあのサヴァロンが噛んでいるのか?
引き出したい情報は山ほどあった。ただ、彼は現在、最も脅威だと考えるネジイを封じた事で油断している。それを利用して色々と聞き出しながら時間稼ぎをしつつ、隙を見て魔法で拘束しようと、グレンは即座に脳内で戦術を組み立てる。
もっとも、質問に答えてくれるだけの理性がレリックに残されていればの話だが。
「ゴブリンは本能に従う魔物です。れ、レリックさんが使役するなんて、出来るとは思えません」
グレンの意図的な反論に、レリックの表情がスッと冷たく沈み。苛立ったように槍の石突を、倒れているネジイの傷口へドスンっと無慈悲に突き立てた。
ネジイは「グハッ」とくぐもった血を吐き、ビクンと身体を跳ねさせる。
「何も分かってないくせに生意気な口を叩くなよ。いいかい?これはサヴァロン様が見つけ出した、至高の『神秘』なのさ。ゴブリンの使い道なんて、彼の壮大な計画の序章にすぎない」
(……やはり、サヴァロンか)
グレンの読み通り。どうやらレリックは完全に〝悦に入っている〟ようだった。それはまるでカルト宗教に魅入られた狂信者のように、自らの崇拝する教祖の凶行を語りたくてウズウズしている『お喋り』な状態だと思えた。
「……ゴブリンの首に冒険者の階級プレートを付けさせたのは、レリックさんなんですか?」
「ああ、ちなみにレリックって呼び方はもうやめてくれ。俺の名は『ジャック』」
「ど、どういう事ですか?」
「名前を拝借しただけだよ。まぁ、そんな些末な事はいい。とりあえずキミ、そこのゴブリンの首にある階級プレート……何故『二つ』重なっているか、その意味に気付いた?」
その悪趣味な問いに、グレンとアリアは死したゴブリンの首元へ再度視線を向ける。
数に意味がある?常人の倫理観では到底見当もつかず、グレンは静かに首を横に振った。
「それはねぇ。この子の『ランク』を表してるのさぁ。冒険者をどれだけ美味しくいただいたか、っていうね」
「まさか。二つということは……二人、殺したという事ですか?」
「チッチッチッ」と、レリック──否、『ジャック』と名を改めたその狂人は大袈裟に人差し指を振り、グレンの推測を否定した。
「半分正解、半分外れって感じかな。実際には、ゴブリンは人を食って『進化』する魔物だった。人の生き血を啜って強くなるんだ。そして、それは強者であるほど顕著に出るのさぁ。プレート二つは、最低でもAランク以上の強者を『二人分』平らげたっていう印さ。それ以下の雑魚肉は、カウントに含まれない」
生理的な嫌悪感が胃袋から這い上がってくる。
聞いているだけで、グレンは泥水を飲まされたような不快感に襲われた。アリアも両腕を抱き抱え、明らかな悪寒に震えている。
しかし、自らの天才性に酔いしれるように、ジャックは懇切丁寧な解説を続けた。
野生のゴブリンをペットとして〝育てる〟という、神を冒涜するような鬼畜の所業の始まりを。
事の始まりは、ジャックが鬱憤晴らしに一人の冒険者を深い縦穴に突き落とし、同じ穴に生け捕りにしたゴブリンを放り込んだことだった。ゴブリンは気を失っている冒険者を本能のままに殺したという。
彼にとっては、ただの些細なストレス発散。無邪気な子供が、捕まえた羽虫を蜘蛛の巣へ投げ込んで観察するような、そんな軽い遊戯のつもりだったという。
すぐに味を占め、同じ穴へ別の冒険者を騙しては落とす。
そんな猟奇的な殺人を繰り返していたある日。そんな彼の異常な『遊戯』は、暗躍していたサヴァロンの目に留まることになる。
そしてサヴァロンはジャックの悪趣味な箱庭に強い興味を抱き、一つの純粋な疑問を口にしたという。
『この穴にいるゴブリンは餓死しないのか? 放っておけば、最終的に極限の飢餓から冒険者を食うのではないか?』と。
それから二人は、穴の底でもがくゴブリンと人間を、生体実験さながらに上から観察し始めたという。
「狂ってる……」
グレンの服の裾を握るアリアの指が、白く鬱血するほどに震えていた。
だが、ジャックの悍ましい昔話は終わらない。
「でもねぇ。野生のゴブリンってのは臆病で、自発的に生きた人間を襲って食ったりはしないんだ。だから、俺とサヴァロン様は気長に待ち続けたんだ。最高のショーは、これからさぁ」
二人はゴブリンを餓死寸前の極限状態まで追い込み、そこへ『新鮮な切り刻んだ人肉』を与えてみた。
すると驚くべき事に、理性も本能も焼き切れたゴブリンはその肉を貪り食った。そして、人間の味を知ったゴブリンは『もっと餌をくれ』と、餌付けした二人に従順に懐き出したというのだ。
そしてサヴァロンは、更なるおぞましい変化に気付いた。
人の肉を食べたゴブリンは、筋力と敏捷性が跳ね上がる事を。つまり、即日成長するのだ。
しかも、その成長の度合いは、餌となった人間の魔力や生命力が強い(=ランクが高い)ほど、より凶悪な結果をもたらすという法則まで解明したという。
「こうして俺達は、最高の仲間を手に入れちゃったわけ。命令に絶対服従する、最強の戦闘力をね。もちろん『新鮮な強者の肉』じゃないと食べないから、食費の調達には骨が折れるけどぉ。奴らは美食家だからさぁ! ハッハハハハ!」
腹を抱えて笑い転げるジャックは、もはや人間の皮を被った別の何かだった。
彼らのくだらない好奇心と実験の為に、一体どれほどの冒険者が殺され、喰われたのか……そう考えると、万死に値するどころの話ではない。
「……絶対に、許せない!」
激しい怒りを露にするアリアの隣で、グレンも静かに覚悟を決めた。
──もはやコイツは人ではない。これ以上の情報を引き出す価値も、情けをかける必要もない。
一切の感情を排し、グレンが腰の剣の柄に手を掛けた、まさにその直後だった。
アリアの背後、何の変哲もない地面の土が、爆発したように吹き飛び、地中から猛スピードで何かが飛び出してきた。
それは両手に剣を握り締め、首に『三つ』もの冒険者階級プレートをぶら下げた、一回り巨大な強化ゴブリンだった。
──しまった、伏兵か!
探知をすり抜ける奇襲。瞬時にアリアを横に押し飛ばした直後、グレンの背中に、容赦なく二本の剣が深々と突き立てられた。
肉を断ち切り、肺を貫く絶望的な熱と激痛。
急速に酸素を失い、意識が薄れていく中で、鼓膜を裂くようなアリアの悲痛な絶叫だけが遠く聞こえた。
それを最後に、グレンの意識は、底無しの真っ白な世界へと急速に溶け落ちていった────




