出発の朝
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────強化ゴブリン調査、出発の朝。
「団長。今回の二面作戦、やはり本命はシラン湖のほうだとお考えで?」
「もちろんそうだね。だが、万が一の確率という悪魔は常に潜んでいるぞ。リーヤマウンテンの方も決して油断しないように。最悪、『聖女』アリア・エルナードさえ死守できれば部隊の全滅は免れる。後は……彼が何とかしてくれると思うよ」
ナルシーにとって、リーヤマウンテンへの調査隊派遣は一種の〝保険〟であった。
地下牢で尋問したベーチャの証言によれば、黒幕サヴァロンは度々『私は今、最強の軍隊を創設している最中だ』と誇らしげに口走っていたという。
その抽象的な野望を即座に「強化ゴブリン」と結び付けるのは些か論理の飛躍が過ぎるが、サヴァロンが過去にギルドへ出していた不審な依頼の目的地を洗い出した結果。
最も頻度が高かったのが、シラン湖周辺とリーヤマウンテンの二ヶ所だった。
さらに、不気味なことに、その二ヶ所は王国兵が「強化ゴブリン」の目撃を報告してきた三ヶ所のうちの二つと完全に一致している。
単なる偶然で片付けるには、あまりにも出来すぎた符合だとナルシーは睨んでいた。
更には、サヴァロンが『シラン湖には定期的に野暮用がある』と漏らしていたらしく、あちらに何らかの〝製造拠点〟あるいは手掛かりが存在する可能性は極めて高い。
だが一方で、先日ルウラの白昼を血で染めたあの異常個体は、地理的にリーヤマウンテン方面から下ってきたと推測される。
つまり、あちらの山も完全に切り捨てることはできなかった。場合によっては両方に致命的な〝罠〟が張られている可能性すらある。故に、部隊を二つに分ける必要があったのだ。
「しかし団長。あの男……本当に役に立つ戦力なのですか? 経歴を見ても、ただの冒険者ギルドのうだつの上がらない従業員だとか……」
「まあ、そこは心配するな。彼がいなくとも、手練れを三人も揃えたのだからね」
副官の懸念を笑顔で躱しながらも、ナルシーの内心は真逆だった。
余程の規格外の天災でも起きない限り、あの男──グレン・ターナーが敵に遅れを取るビジョンなど、ナルシーの脳内には一ミリも存在していない。
それほどまでに、彼の能力を高く評価し、警戒しているのだ。
ナルシーの絶対的な切り札である〝ゼロモーション〟からの神速の突き。それを初見で回避できた人間を、彼はこの広い世界で過去三名しか知らない。
それどころか、完全に軌道を読んで『弾き返した』のは、グレン・ターナーが史上初だった。あれが偶然の産物などではないと、剣術を極めし者としての直感が確信していた。
「ど、どうも団長さん。今日はよろしくお願いいたします」
「こんにちは。私のような者を指名していただき、大変恐縮です」
集合時間ジャスト。死地へ赴くとは思えないほど気の抜けた顔のグレンと、緊張を隠せないアリアが到着した。
続いて、依頼を受領したAランク冒険者のうち二名、筋骨隆々のブルックと無口なネジイと名乗る男が合流する。
もう一人がまだ来ていないが、ナルシーはグレンを直立させ、今回の作戦の全貌を手短に共有することにした。
「グレンくん、悪いが今回、僕はキミ達には同行しない。僕と第一騎士団は、シラン湖方面の調査へ向かう」
「そ、そうなんですね。てっきり団長さんの監視下……いや、同行かと思ってました」
「うむ。その理由は今から話す……」
ナルシーは、ベーチャから吐かせた情報をグレン達に開示し、そこから導き出した『シラン湖本命説』の根拠を論理的に説明した。
シラン湖の想定危険度が極めて高いこと、なにより距離がある為、馬を駆っての高速移動が必要になることが、この部隊編成の主な理由だ。
最悪のケースとして、本命がシラン湖ではなくリーヤマウンテンだったとしても、グレンとアリアがいれば部隊の全滅だけは免れるだろうという、冷徹な計算も含まれている。
「いやぁ! 遅れてマジ申し訳ないっすぅ! ちょっと朝から装備の手入れにこだわってたら、うっかり遅れちゃいましたぁ!」
ふと会話の途中で現れたのは、指定の時間に遅れながらも悪びれる様子一つ見せない非常識な男だった。金髪パーマに悪趣味な長槍を担いだ、今回唯一のSランク冒険者『レリック』。
その態度には、さすがのナルシーも、顔にピクリと不快の皺が寄った。
国家の威信を懸けた王国案件、ましてや騎士団との合同作戦という重大性を理解した上で遅刻するとは、随分と舐め腐った態度だ。というのがナルシーの偽らざる本音だ。
しかし、今は出陣の直前。誰の機嫌を損ねても全体の士気と指揮系統に悪影響を及ぼすため、彼はその不快感を優雅な微笑みの奥に隠し通した。
やがて出発の刻限となり、グレン達の遊撃部隊が先にリーヤマウンテンへ向けてルウラを出立した。
それを見送った後、少し遅れて「では、僕達も出ようか」と、ナルシーは自身の直属部下六名を率いてシラン湖への騎行を開始した。
それから僅か数分後。
王城からルウラの外門へ向かう大通りの途中で、やたらと街の衛兵が殺気立って走り回っている光景に、ナルシーは眉をひそめた。
「街が騒がしいが……何かあったのか?」
「はっ。何でも、裏路地のゴミ捨て場で冒険者の凄惨な遺体が発見されたようでして。金目の物は奪われておらず、内輪揉めか怨恨の線が濃厚ですが、犯人の見当もつかず兵達は対応に追われているようです」
この手の血生臭い事件は、冒険者が集う街では稀によく起こる日常の延長だ。治安維持を担う騎士団は、原則としてルウラ市内で起きた民間の刑事事件には介入しないが、一般の衛兵達は時折こういった突発的な暴力沙汰にリソースを削られ、難儀しているのだ。
(やはり、素行不良の冒険者を国が直接管理する『王国案件』の制度化は、兵の負担を減らすためにも必然だったのだな)と、ナルシーはひどく官僚的な感想を抱きながら、馬の腹を蹴った────
それから王都を出たナルシー率いる第一騎士団の精鋭達は、二日間の強行軍で馬を走らせ、やがて鬱蒼とした森に囲まれたシラン湖へと到着した。
湖の周辺を警戒しながら探索している途中、シラン湖の東側にポッカリと口を開けた洞窟の付近で、強化ゴブリンと思しき異常個体一体と遭遇、即座に戦闘状態に突入した。
が、歴戦の騎士たちを指揮するまでもなく、それはナルシーの神速の一撃によって苦もなく両断され、片付いた。
「団長。見てください! 斬り伏せたゴブリンの首に冒険者の階級プレートが……」
「やはりそうか。よし、この洞窟の奥を徹底的に探索する。松明を用意しろ」
洞窟の中に一歩足を踏み入れた瞬間、鼻腔を突く腐乱した臭気は吐き気を催すほど酷いものだった。
横幅は武装した大人が三人並んで歩ける程度にはあるが、奥行きはさほど感じられない。濃密な暗闇の中、松明の頼りない明かりだけを道標に数十メートルほど進んだ所で、あっけなく最深部の行き止まりに行き当たった。
しかし、そこで松明の揺らめく炎が浮き彫りにした凄惨な光景に、流石のナルシーも一瞬言葉を失い、絶句した。
そこには、三つの死体が転がっていた。ゴブリンの残骸ではない。一体は死後かなり経過しているようで、腐敗が進み白骨化しかけている。他の二体は比較的新しいが、全身を狂気的なまでに切り刻まれ、肉体を部分的に欠損──否、意図的に『採取』されたような痕跡があった。
どれも、かつては人間だった無惨な肉の塊である。
(……やはり、こちらが『本命』だったか)
と、〝この時点で〟ナルシーは、自らの戦術的判断が完璧に正しかったのだと、微塵の疑いもなく確信していた。




