甦る恐怖
◇◇◇◇◇
目が覚めると幼き少女が一人だった。
まだ言葉も上手く喋れないのに、たった一人で何処か知らない草原の中にポツリと〝存在〟している。
雲一つない空。爽やかな風。その風に靡く赤い髪。
少女は小さな脚で立ち上がり空を仰ぐ。そんな少女を狙って腹を減らした狼の群れが近付く。
「わんわん……わんわん……」と、幼い声で狼を呼び。キャッキャッと喜ぶ少女に、狼達はジリジリと近付き────そして一斉に牙を剥いた。
同時に少女は目が開けられない程の眩い光に包まれた。
程なくして目を開けると、少女の全身は血まみれで周囲には肉の塊と化した狼の死体が散乱していた。
それを見て少女は「わんわん死んじゃったぁ」と、いつまでも泣き叫ぶ。
────「また、あの夢……」
いつもの宿屋のベッドの上でアリアは目を覚ました。
疲れていたのか、時刻は既に正午である。
不快な夢を見たせいで、全身は汗びっしょりで気持ち悪い事この上なかった。
直ぐにシャワーを浴び、着替えると。腰の部分に短剣を装着して部屋を出た。
宿屋の階段をトントンと降りて行くと、直ぐに女将さんの元気な声が聞こえる。
「おや、アリアちゃん。今日は遅いね」
「おはよ……いや、こんにちは、女将さん」
「今日も仕事かい、気を付けて行ってきなよ」
アリアは笑顔で「はい、行ってきます」と手を振って宿屋を出る。
普段から朝食をとらないアリアだが、時間が時間だけにさすがにお腹がすいている。
とりあえず軽くランチしようかとも思ったが、やはり直ぐに外に向かう。
「一旦、ギルド覗いてこよう。一旦ね。軽く覗いてくるだけなんだから……」
アリアは自分に言い聞かせる。
それには理由があった。
最近、用もないのにギルドに出入りする事が多いと自分でも気付いているのだ。
冒険者といえど、ギルドの依頼をする事だけがお金を稼ぐ手段ではない。
魔物の素材によっては店に売れるし、動物だって食材としてレストランに売れる。
それにアリア程にもなると、たまに大きめの依頼をこなすだけで最低限度の生活は出来る。
頻繁にギルドに行く必要はないのだ。
ただ────ただ、少しだけ行きたい理由が出来ただけなのだ。
「今日は何て話し掛けよう。そろそろネタが無くなってきちゃったし……って。いやいや、何考えてんの私! 別に彼に会いに行くわけじゃ、ないんだから……」
心の内をだだ漏らしながら街を歩くアリアの事を誰もが振り返っていたが、本人は気付いていない。
しかし、そんなアリアの耳に突如、危機感を煽るような女性の悲鳴が飛び込んだ。
東門の方だ。
見ればその方向から急いで走ってくる人々が多く、そして皆口々に叫んでいる。
「ゴブリンだぁぁ」
「門番が殺されたぞ。誰か助けてくれぇ」
「戦える奴はなんとかしろよ!」
聞いてアリアは背筋に寒気が走った。
かつて自分が戦ったような異常な個体か? 瞬時に察した。
でもなければ王都の門を守る兵が、やられるわけはないのだ。普通のゴブリンなら、その辺の成人男性でもどうにかなるはずだ。
しかもゴブリンは臆病で、こんな明るい時間に動かない。まして目立つような場所では……
以前の渓谷のゴブリンも、隠れる場所の少ない岩場に平然といた事が妙だった。
しかし今回は、こんな日中の街に現れるのだから。前以上に奇妙な事だ。
そしてアリアは見た。
逃げる男性の直ぐ後ろにゴブリンが現れ、男性の背中に斧を振り下ろす。
けたたましい悲鳴が聞こえた。
「そ、そんな……もう、そこまで」
門からアリアの所までは、そこそこ距離がある。
しかしゴブリンは既に直ぐ近くに来ている。そして無差別に人を襲っているのだ。
辺りは一層パニックになり、周辺は阿鼻叫喚の巷と化している。
アリアの足も、以前に味わった恐怖が甦り動かなかった。
だが、どんな惨劇が目の前で起きても動じない者はいるのだ。
思考が停止しているアリアの側を抜け「ひゃっほーぶっ殺せー」「うっひょー。英雄様のお通りだぁ」と、奇声にも近い声をあげて、ゴブリンに突撃していく四人の男達がいた。
おそらくは普段から戦い馴れている冒険者であろうが、アリアはそんな者達の背中に思わず「ダメ……」と呟いていた。
彼らの装備はどう見ても軽装だ。
普段着に武器だけの付け焼き刃な状態で、あのゴブリンを倒そうとしているのだ。
自信満々で目の前の〝雑魚モンスター〟を狩りに行った四人が血塗れになるのに五分もかからない。
アリアの視線の先で、彼ら全員の命が狩り取られた。
「た、戦わなきゃ。護りたまえ母なる神の────」
アリアが詠唱に入った時、そのゴブリンは小さな女の子を見ていた。
詠唱が急いで続けられる中、ゴブリンの斧は無情にも女の子に振り下ろされる。
その瞬間。
一人の女性が勇敢にもその間へ飛び込み、代わりに斧の一撃を受け地べたに倒れた。
そんな事気にもせず、仕切り直すようにゴブリンの斧は今度こそ女の子に振り下ろされる。
「────バム、ルーザ、オルフプロテクション!」
急いで残りの詠唱を完了させたアリアの両手から光の波動が放たれ、女の子を中心にドーム状のバリアを形成する。
振り降ろされた斧はそれに阻まれ、女の子まで届かない。
「動けぇぇ、私のあしぃ!」
恐怖を打ち消すように絶叫したアリアは、腰の短剣を抜きゴブリン目掛け全力で駆け出した。




