小さな依頼主
◇◇◇◇◇
王国案件という劇薬が投下されてから三週間。当初の狂乱も落ち着きを見せ、掲示板にはBランク層に向けた案件もチラホラと混ざり始めていた。
欲望の総量が増し、熱気でむせ返るようなルウラ支店の一角で、場違いなほど温かな拍手が鳴り響く。
「おかえり、フィルネちゃん!」
「また一緒に頑張ろうね!」
同僚たちの歓迎の中心には、フィルネの姿があった。
狂戦士と化したレオンの暴挙から三週間。外傷はとうに塞がっていたが、首を絞め上げられた精神的トラウマは深く、彼女は長い休養を余儀なくされていた。
だが、彼女は折れなかった。従業員たちが日替わりで見舞いに訪れたという涙ぐましい努力の結晶でもあるが、何より彼女自身の強さが今日の復帰をたぐり寄せたのだろう。それを遠巻きに眺めながら、グレンは心底安堵の息を吐き出していた。
すると、愛されキャラの鑑のような彼女が、迷うことなくグレンの元へ歩み寄り、深々と頭を下げた。これまで彼が下げたことは星の数ほどあっても、彼女から頭を下げられたことなど一度たりともない。
「助けてくれて……本当にありがとう」
その一言には、致死量の真摯な想いが込められていた。あまりの重さに耐えきれず、グレンの口からは反射的に防衛機制としての敬語が飛び出す。
「い、いえ。僕なんて何も……気にしないでくださいよ」
「──また、敬語」
(しまった、怒られる)と身構えたが、予想に反して彼女は照れたように視線を逸らしただけだった。毒気を抜かれたグレンは、珍しく自分から軽口を叩いてみる。
「そ、それより。フィルネが戻ってくれたお陰で、僕もやっと激務から解放されるよ。ハハッ……」
「なーに言ってるのグレンくん。フィルネちゃんが帰って来てもキミの仕事は減らないよ!」
「そうそう。グレン指名のお客様も増えてるんだし」
「少しは受付も手伝ってもらわなきゃな!」
気さくにグレンの肩を叩く同僚たちを見て、フィルネは三週間ぶりの、花が咲くような笑顔を見せる。
事実、フィルネ不在のギルドにおいて、グレンはかつての〝イジメに近い無視〟から〝気安いイジられ役〟へと劇的なクラスチェンジを果たしていたのだ。
アリアの捜索、そしてフィルネ救出という二つの立ち回りが、彼を取り巻く環境を根本から書き換えた。
「そっか……。じゃあ仕方ないから、これからは私が直々に、グレンくんに受付のノウハウを叩き込んであげる」
調子を取り戻したフィルネの悪戯っぽい提案に、グレンは「勘弁してよぉ」と泣き顔を作る。だが、極度のコミュ障であるはずの彼自身の内面で、この騒がしい日常を多少なりとも「悪くない」と肯定している自分がいることには、気づかないふりをした。
────その後、柱時計の針が正午を回り、昼食のために人の波が引いた店内で。ふと、グレンは入り口の重厚な扉が、不自然にモゾモゾと動いているのに目を奪われた。
隙間から押し入るようにして現れたのは、推定年齢六、七歳くらいの、場違いに小さな女の子だった。
彼女はトコトコとカウンターへ向かうと、三十代後半のベテラン受付嬢「ロザリア」に声をかけた。
グレンが遠目から観察していると、女の子は小さなポケットから何かを取り出し、ロザリアに握らせる。銅貨だ。
そして、ロザリアが困惑した顔を見せた瞬間、女の子は堰を切ったように泣き出してしまった。慌ててメモ帳を取り出し、懸命に慰めながら何かを書き留めるロザリア。やがて女の子を優しく外へ送り出すと、彼女は深いタメ息と共に依頼書を作成し始めた。
数分後、掲示板に貼り出されたソレを見て、グレンは絶句した。
『リーヤマウンテンにて冒険者の捜索』
報酬金:銅貨一枚。
それは冒険者への依頼として、破格を通り越して「ふざけている」と一蹴されるレベルの対価だ。だが、先ほどの女の子の涙を見るからに、悪戯ではないことは明白だった。
詳細を確認すると。
『リーヤマウンテンの何処かにいる冒険者、ウルドル・レクチャーを探す』
────え? これだけ?
広大な山岳地帯で、ノーヒントの人探し。おまけに報酬は銅貨一枚。打算で動く冒険者なら、一瞥して鼻で笑うだろう。グレンの全感知をもってしても、範囲が広すぎて相当に骨が折れる事は想像に容易い。
だが。
世界の均衡を保つ『救世主』としての責務以前に、グレン・ターナーという一人の男のちっぽけな良心が、その依頼書から目を逸らすことを許さなかった。




