消えた依頼主
金貨二百枚。そこから十五パーセントの仲介手数料が差し引かれた「報酬」がアリアの手に渡ったのは、彼女が騎士団と共に再出発する前夜のことだが。
遺跡から回収してきた肝心の荷車は、一旦フィルネの管理下に置かれ、事務的な手続きを経て依頼は「完了」の刻印を押された。
そして翌日、アリア達が旅立った後。
グレンには当然のようにフィルネから招集がかかった。依頼主サヴァロンの邸宅へ荷車を届け、報酬の元金──金貨二百枚を回収してくるという仕事。
本来なら「集金」という名の退屈な散歩になるはずの職務だが。並んで歩く道中、会話を拒むような静寂が訪れるかと思いきや、フィルネの視線が、鋭い弾丸となってグレンの足元を射抜いた。
「ねえ。その靴、なによ。……一体どこを歩けばそんなに汚れるの? 森の中を不眠不休で走り回ったとでも言うわけ?」
「え? ああ、いや……うん。僕にも、いつ汚れたのか心当たりがないんだ」
アクセラレーションによる神速の疾走。その代償として、グレンの靴は泥と摩擦による無惨な汚れを纏っていた。
支給される制服の靴は一足のみ。替えのきかないそれを「背景」として維持できなかったのは、隠密者としての初歩的なミスだ。
だが、敬語を外すという、彼にとっては魔法の詠唱よりも複雑な言語制御にリソースを割いていたため、靴への配慮まで頭が回らなかった。
「へぇ。……そう。お客様のところへ行くんだから、少しは身だしなみに気を遣ってよね」
「そ、そうだよね。ごめん……ね」
(……制服のまま、あそこへ飛び込んだのは失敗だったな)
あのピンクストライプの視覚的暴力。盗賊たちの網膜に「ギルド職員」という情報を焼き付けてしまったことの危うさを、今更ながら後悔する。
そんな反省を繰り返しているうちに、依頼主──サヴァロン・デミタスの豪邸へと到着した。
フィルネが呼び出しベルを鳴らす。だが、返ってくるのは冷たい沈黙だけだ。
数度の試みの後、二人は「不在」という結論を携えて撤収を余儀なくされた。
そして翌日も、その翌日も。サヴァロンの邸宅から「人の気配」という生命反応が感知されることはなかった。
どうしたものかとギルドの隅で額を突き合わせていた二人の元へ、ガイが嵐のような勢いで飛び込んでくる。
「おい! サヴァロンの野郎、家に居たか!?」
「いえ、三日連続で空振りですよ。どうかしたんですか?」
「やっぱりか! あいつ、盗賊と手を組んで、美味い依頼を餌に冒険者達を色々な待ち伏せ場所に誘導してたらしいぜ!」
グレンの脳内で、バラバラだったピースが不気味な絵を完成させる。真っ先に浮かんだのは勿論、まさに先日のアリアとヴァルハラの揉め事だが。
報告を受けた騎士団が突入した時、邸宅は既にもぬけの殻。サヴァロンはアリアとレオンが揉め始めた時点で──あるいは、もっと早くに潮時を悟っていたのか、既に姿を消していたのだろう。
ベーチャの口から語られた真実は、卑劣を煮詰めたような手口だった。
「差し入れ」と称して協力者を使って睡眠薬入りの食事を振る舞い、昏睡した冒険者を盗賊に襲わせる手口。
今回の場合、レオンがその協力者として利用されたようで、荷車の中身に元々価値などなかったのだ。価値があるのは、冒険者が持つ装備、金、そして今回の場合は「聖女」という名の最高級の人材。
つまり、サヴァロンこそが本当の黒幕であった。
その彼には高額な賞金が懸けられた。グレンは「今後、この手の依頼も見極めねばならないと、改めて気を引き締めた。
ただ、すぐ隣には、この陰謀の最大の被害者(ある意味で)が不機嫌な顔を惜しげも無くさらしている。
「ちょっと、冗談じゃないわよ! サヴァロンの報酬金、回収不能って事!? 私が受付担当だったのよ?私の給料から十パーセントが天引きされるって事!?」
閑散とした掲示板の前で、フィルネの絶叫が木霊する。
ギルドの鉄の掟。依頼主の不備や踏み倒しは、それを通した担当者の責任となる。人を見る目がなかった、という名の教育的指導。
しかし彼女が悪いわけではない。元はといえば、グレンが余裕を持って放置していたせいでもある。
その申し訳なさが、思わずグレンの口を突いて出た。
「そ、それは……最悪だね。もし大変なら、僕が代わりにペナルティを引き受けようか?」
「はあ!? ……なんでそうなるのよ。どうして貴方は、いつも全部一人で背負い込もうとするのよ!」
「背負い……?な、何のこと……かな?」
「もういい!」
理不尽に(そうでもないが)怒りを爆発させるフィルネの姿に、グレンは立ち尽くしていた。
そんな光景を、いつの間にか二人の後ろから氷のように冷たい視線で見つめている人物がいた。
齢にして五十後半。白髪混じりのオールバックヘアーに、歴戦の冒険者を思わせる威圧感を放つその男に気付いた瞬間、怒りを表すフィルネの顔色が見る見る青ざめた。
その男性こそ、この冒険者ギルド「ルウラ支店」を取り仕切る長────マルクス・レペットであった。




