シャトルファング
それから四日目の夜────。
平穏な幕引きを待っていた冒険者ギルドに、沸騰したような騒乱が巻き起こった。
アリアと共に遺跡へ向かったはずの『ヴァルハラ』の三名が、泥と羞恥にまみれて店内に転がり込み、「依頼失敗」の絶叫を響かせたのだ。そこに、あの燃えるような赤毛の姿はない。
『あのレオンが、背中を見せて逃げ出したのか!?』
『聖女様を置き去りにしたっていうのかよ!』
『遺跡にドラゴン? 冗談じゃねえ、あんな場所に……!』
店内に飛び交う情報の断片を、グレンは脳内で冷徹に精査する。
レオンたちの言い分によれば、遺跡付近で突如として出現したドラゴンに強襲され、死に物狂いで逃走する過程でアリアとはぐれたのだという。その後、周辺を「捜索」したが発見に至らず、増援を募るために王都へ戻ったと──
(……筋が通らないな)
グレンの思考の海に、違和感という名の泥が沈殿する。
そもそもドラゴンという種は、己の翼を誇示できる広大な空を領土とする。閉塞感に満ちた森林の中に、理由もなく降臨するなど生態学的にもあり得ない。
レオンを問い詰めたところで、返ってくるのはどうせ自己弁護という名の虚構だけだろう。ならば、自ら動く方が効率的だ。
グレンは喧騒の隙間を縫うように、空気と見紛う自然さでギルドを後にした。
月明かりの届かぬ路地裏。人跡の途絶えた闇の中で、グレンは立ち止まる。
直後、彼の周囲を淡い翡翠色の光粒が、意思を持つかのように乱舞した。
パチン、と。
水泡が弾けるような微かな音。次の瞬間、グレンの肉体はルウラの路地裏から切り離され、遥か彼方、遺跡を抱く大森林の深部へと〝移動〟していた。
転移魔法。
現代の宮廷魔術師たちが「理論上不可能」として切り捨てた神の領域。だが、既知の座標への跳躍であれば、グレンにとっては呼吸をするのと大差ない。
彼が依頼の打ち切りに余裕を持っていた理由は、この「距離を殺す」絶対的な優位性にあった。いざとなったら、直ぐに終わらせられるだけの〝根拠〟がグレンにはあるのだ。
転移直後の周囲を、風の探知魔法が撫でる。
ドラゴンが暴れたような大きな痕跡はない。だが、遺跡の入り口には、軍隊さながらに統制された「不自然な足跡」が刻まれていた。
そして────
「……やれやれ」
グレンが溜息をつくと同時に、その頭上から無慈悲に一本の矢が降り注ぐ。グレンはそれを見ることなく、羽虫を払うような動作で矢幹を掴み取った。
呼応するように、三人の男が樹上から躍り出る。ショートソードの切っ先が月光を反射するが、彼らが地を踏むことはなかった。
突如として沸き起こった局地的な竜巻が、重力を無視するように男たちを天空へと押し戻し。直ぐに翼をもがれた鳥のごとく落下した彼らを、地中から這い出した植物の蔦が縛り上げた。
サーチは既に完了している。
森に潜む生体反応の九割は野生動物。付近にいた三人は既に拘束済み。そして、北へと向かう別の集団。
「風の速さを、我が身に授けよ……レジス・ルーザ・アクセラレーション」
不可視の加速がグレンを包む。
一歩踏み出せば、景色は色彩の奔流となって後方へ消え去る。常人の二十倍を超える神速。森を抜ける一陣の突風と化したグレンは、直ぐにその獲物達の背中を捉えた。
総員六名。北を目指す盗賊の一団。
その者たちの装備は粗悪だが手入れの行き届いた武装。それには『シャトルファング』という盗賊団の紋章。
サヴァロンの懸念は的中したのか。いや──おそらく、何者かによって「誘導」されたのだとグレンは察した。
男達の一人が荷車を引き、一人の巨漢が、縄で辱められた女性を肩に担いでいる。
燃えるような、赤毛。
グレンはその集団を疾風のごとく追い抜き、すれ違いざまに巨漢の肩からその赤毛──アリアを奪い取った。
あまりの速度に、盗賊たちは「何が起きたのか」を理解できず、虚空を掴んだまま凍りつく。
「あの。すいません。……その荷車、少し見せていただけますか?」
静寂。
突然、自分たちの中心に現れた「地味な男」と、自分の手元から消えた「少女」。
あまりにも非現実的な光景に絶句する盗賊たちの中で、唯一、黒いターバンを巻いた男だけが、憎悪を煮詰めたような眼差しでグレンを射抜いた。
その男をグレンは知っている。
ベーチャ・ラーマ。
シャトルファングの幹部で、世界各国にある街の壁でその醜態を晒している、正真正銘の大物「賞金首」だ。




