圧倒
ベーチャ・ラーマという男も、伊達に修羅場を潜り抜けてきたわけではない。
突如として目の前に現れ、獲物を奪い去った男──グレンの異常性を本能で理解しているようで。彼は全身の毛穴が開き、その生存本能が最大音量で警鐘を鳴らしているのが伺えた。
「お前……何者だ?」
「べ、別にあなた達とケンカする気はないんですよ。ただ、彼女を返してもらいたくて」
グレンの言葉は、猛獣の檻に入り込んで「落とし物を返してほしい」と宣う飼育員のような、場違いなほどに平坦な声だった。
当然、ベーチャがその要求に頷くはずもない。彼の合図一閃、五人の盗賊が抜き身の刃を閃かせ、グレンを包囲する。
(……何故、こうなるんだ)
グレンは深く、深く肩を落とした。
アリアをこの厄介事に巻き込んだ責任の一端は自分にある。ゆえに彼女を救うことに異論はないが、暴力という名の非効率なコミュニケーションは彼の最も忌避するところだった。
仕方なく覚悟を決めたグレンは、アリアの体を大地の柔らかな苔の上に横たえる。
そして、ゆっくりと立ち上がり向き直った彼の拳が、無機質な灰色の光沢を帯び始めた。
────五秒。
それだけの時間があれば、状況を書き換えるには十分だった。
『加速』の残光を纏ったグレンの姿が、盗賊たちの視界から掻き消える。直後、森に響いたのは、鈍い肉の破砕音と、肺から空気が強制排出される嗚咽。
グレンの拳は魔法によって「石化」されており、その岩石の硬度と質量を伴った神速のボディブローは、もはや打撃というより内蔵の破壊に近い。
幹部であるベーチャに対しては、さらに「念入り」な一撃を見舞った。
結果は、あまりにも呆気なかった。数秒前まで殺意を撒き散らしていた男たちは、一様に腹を押さえて地面に突っ伏し、意識の深淵へと叩き落とされていた。
グレンは、そそくさと荷車の中身を改める。
そこにあったのは、価値の判別すら困難なガラクタ……もとい、発掘品の山。
依頼主サヴァロンにとっては至宝なのだろうが、裏社会の人間が命を懸けて強奪するほどの「金」になるとは思えない代物だ。
(……こんなものに本当に価値が?)
考えても解けない謎を一旦棚上げし、グレンは再び眠り姫のように目を閉じたままのアリアを抱き上げる。
そして、次の瞬間。アリアと荷車を伴い、遺跡入り口へと転移した。
最初に拘束した盗賊たちがグレンの姿を見て騒ぎ立てるが、そこへ気絶した幹部ベーチャを放り込んでやると、彼らは見事なまでに沈黙した。
全員を一纏めにして植物の蔦で拘束する。これならば、数日後にルウラから到着するであろう捜索隊が、芋蔓式に手柄を回収できるだろう。
さて、最大の問題は。
グレンの腕の中に収まった「温かな重み」である。
「うーん、困ったな。魔物が出るかもしれないし、ここに寝かせておくわけにもいかないし……」
グレンは万能に近い魔術の使い手だが、唯一、生命を癒やす「回復魔法」の適性だけが欠落している。彼女を強制的に覚醒させる術がない。
捜索隊が来るまで、あと二日。その間、ずっとこのまま……?
悩める救世主に、答えは唐突に、至近距離から届けられた。
「ねえ。……置いていくつもり、じゃないよね?」
パチリと。
腕の中のアリアと、至近距離で視線が衝突した。
驚愕のあまり、危うく彼女を自由落下させそうになったグレンの首に、アリアが慌ててしがみつく。
「お、起きてたんですか!?」
「ああ……うん。実は、最初から。……かかえられちゃって、何だか言い出しづらくなっちゃって。あと、ほら。転移?とか体験しちゃったし」
「み、見られたんですか……」
「うん。でも大丈夫! ほら、私ってば、こう見えて口は固い方だからね!」
(どの口がそれを……)
何度か「口滑らせ」の前科がある事を思い出し、グレンは疑念を抱く。だがそれ以上に、密着した彼女の体温と、首に回された腕の感触に、彼の全身は鋼鉄のように強張っていた。
「す、すいません」
「なんでグレンくんが謝るのよ。……それより、また助けられちゃったね」
「あの、何があったか、お聞きしてもいいですか?」
「うん。……その前に。もう、下ろしてくれていいよ?」
林檎のように頬を染めるアリアを見て、グレンは慌てて彼女を地面に下ろした。
アリアは乱れた赤毛を手櫛で整え、深呼吸を一つ。
そして、その藍色の瞳に鋭い光を宿し、静かに語り始めた。
今回の事件の、真の「犯人」について。




