報酬の変更
アリアがカウンターの向こう側へと消えてから、凡そ三十分。
ギルド内の人口密度は飽和状態に達し、掲示板の前は「明日の糧」を求める冒険者たちの熱気で蒸し返っている。人混みそのものがアレルギー対象であるグレンは、肺に溜まる濁った空気を吐き出しながら、一旦その場を離脱した。
ふと視線を向けた先に、珍妙な光景があった。
アリアが、レオン率いる『ヴァルハラ』の野郎どもに背中を押されるようにして、ギルドから出ていくのだ。護衛というにはいささか距離が近く、拉致というには空気が弛緩している。
フィルネが対応したはずだが、彼女に聞くのは何だか気が引けたグレンは同僚のガイがちょうど休憩に入った隙を見計らい、背景の一部になりきったまま問いを投げると爽やかに答える。
「ああ、遺跡の依頼を聖女様が手続きしてる最中に、ヴァルハラのレオン様が颯爽と割り込んで来てな。『麗しきレディーが単身で荷車引きなんて、あまりに忍びないし。俺たちが手伝ってやるぜ!』……なんて持ちかけてたな。今日中には出発するんじゃないか?」
ガイは、レオン独特の「自分に酔いしれた口調」を模倣してみせた。
それ自体は一ミリも似ていないが、状況だけは嫌というほど理解できた。アリアに対して恩を売りたいのか、関係を深めたいのか、とにかく何かしらの「欲」を感じる。
とはいえグレンには、「自分の為にアリアは遺跡の依頼を受けたのでは?」という罪悪感のようなものがあった。
そこに丁度よい男手三人の加勢があった事で、理屈では「少しはアリアも楽が出来るはずだ」などと、グレンの内で生まれた都合の良い損得勘定が心を軽くしたのも確かだ。
ただ、場所はイルマール大森林奥の遺跡。
グレンは以前、西方大陸に来たばかりの頃に地域調査という名の〝散歩〟で訪れたことがある。道中に強力な魔物はいないが地形の悪さは殺人的で、往復で四日はかかるだろう。
その間の旅費、食費、そして拘束時間。それらを『ヴァルハラ』のようなパーティーメンバー全員で割ると、一人あたりの利益は大した事がない。
唯一気になるのはそこで、「効率こそが正義」と豪語するレオンが、アリアに鼻の下を伸ばした程度でそんな「割に合わない」仕事に時間を使うだろうか?
(……まあ、美人の魔力は、時として経済学をも凌駕するということか)
そう納得して、思考を打ち切ろうとしたその時。ギルドの扉が開き、一人の男が滑り込んできた。
仕立ての良いスーツを完璧に着こなした、ダンディーという言葉を具現化したような中年男性。彼は従業員衣装を着たグレンとガイを見つけるや否や、迷いのない足取りで肉薄してきた。
接客という概念に対する拒否反応で、グレンは音もなくガイの巨体の陰へとスライドする。
「やぁ君はギルドの従業員だね?」
「はい。何かご依頼でしょうか?」
「いや。先週出した依頼について、条件の変更を申し出たくてね」
依頼人による後出しの条件変更。それは概ね報酬の変更か、あるいは後からになって「実はドラゴンが住み着いてまして」といったような絶望的な難易度が上昇した事による再検討か、だろうが。
グレンはガイの背後から、その興味深い話に聞き耳を立てた。
「どの案件でしょうか?」
「イルマール大森林、遺跡からの荷車引き上げなんだが……」
ガイとグレンの視線が、無言のまま交差する。
その中年男性──サヴァロン・デミタスは、今しがたアリアが受けた依頼の、依頼主その人であった。
「そちらでしたら、丁度さきほど冒険者が受領しまして。既に手続きも終え、出発した所ですので、今から条件の変更は……」
「いや、改悪ではないよ。とにかく急ぎで荷物を回収してほしくて、報酬を上乗せしようと思っていたのだ」
「なるほど。なにか……お急ぎの理由が……」
サヴァロンの表情に、微かな焦燥が滲む。
彼いわく、回収する荷車の中身は金銭的価値の高い発掘品の山であり、本来ならめったに人が近付く遺跡でも無いのだが、少々状況が変わったのだという。
「先ほど知り合いの商人から耳にしたのだが、あの森には『シャトルファング』がアジトを構えていると噂があってね。もし奴らに荷車が見つかろうものなら、貴重な文化遺産を無残に換金されかねないのだ……」
『シャトルファング』。
それは組織化された盗賊団だ。追い剥ぎ、密造、人身売買など、悪徳という悪徳に首を突っ込む、文字通り世界の「害虫」。
中央大陸ではその幹部達の悪名が風に乗って届くほどだったが、ここ西方大陸ではその下っ端がたまに騒ぎを起こす程度で、盗賊団のアジトがあるとまではグレンも聞いた事が無かった。
(以前、依頼の途中で邪魔だったから少し『眠ってもらった』小物達の隠れ家か何かだろうか?)
グレンの脳裏に、数ヶ月前の些細な記憶が明滅していたが、ガイは意にも介さずサヴァロンに言い返す。
「なるほど。ですがご安心を。請け負ったのは高ランクのパーティーです。万が一盗賊団と鉢合わせても、しっかり依頼を遂行するでしょう」
「おお、それは心強い! ……ちなみに、その冒険者たちはまだ街にいるだろうか? 一言、急ぎだという事だけは伝えておきたいのだが」
「ひょっとしたら、まだ酒場辺りで喉を潤している可能性もありますよ」
「ありがとう。顔を出してみるよ」
依頼が受けられている事を知ったからか、安堵の笑みを浮かべ、サヴァロンは去っていった。
依頼主が冒険者と直接対面するというのは、ギルドの規約的にグレーゾーンではあるが、それとは別に、何か言い知れぬ不安感をグレンは抱いていた。
アリアという名の「善意」に対して、レオンという男の「欲」。さらにシャトルファングという「悪」が混ざり合う可能性。
その複雑なカクテルは、果たして無事に飲み干せるものとなるのか。グレンの本能が、静かに警鐘を鳴らし始めていた。




