実行ヘノ準備
一週間が経ち、一ノ華組が壊滅した事による混乱も大分収まりを見せていた。
しかし依然として正政組による天誅は続いており、警戒した役人達が表舞台に顔を出さないようになると、今度は見回り組が直接襲われると言う被害が出始めていた。
それまで見回り組から仕掛けない限り、向こうから手出しはしてこないのが暗黙の了解になっていただけに、一ノ一町に十四存在する見回り組は一様に見回りの時刻を早め、夜の見回りは交代制、以前は複数の組が自分達の見回る縄張りを造り回っていたものが、今では一つの組が全てを担当すると言う形になった。
当然、組が一つでは町全域を回ることが出来ず、見回り組の者達は一塊になって町の中、繁華街を中心に一周りするだけと言う見回りの意味が無くなった形だけの見回りへと変貌を遂げた。
無論そこには夜見回って正政組に出くわしたくないと言う心情が現れており、本末転倒なのだが誰も異を唱えることが出来ずにいた。
境内日陰と彼が率いる吹雪組を覗いては。
夜の見回りが吹雪組の当番となったその日、三人はいつもとは違った気持ちで、軍警署を後にした。その表情には皆々一様に決意のようなものが感じられる。
「さて、いよいよ僕らの見回りの日だね」
「この次まで待つと正政組も一ノ華組との抗争で減った兵力を補充してしまう危険性がありますからね、妥当でしょう」
「結局この三人だけか。本当に大丈夫かよ」
軍警署より出てきた三人は口々に言い合いながら揃って町に向かう。
日陰と空太が並び、日陰の左後ろにいつものように咲乃が一歩後ろから着いて来ると言う形で、見回り時における基本隊列である。空太は軍警服の腰にサーベルを二本差した格好で、咲乃も同じく軍警服で腰に一本サーベルを差していた。
日陰は腰に一本だけ、サーベルではなく鍔の無い細身の刀を差している。
「ところで咲乃、お前の得た情報って言うのは確かなのかよ。正政組がアジトにしている長屋の話」
後ろを振り返り、空太が言うと咲乃は心外だとばかりに首を逸らし、顎を持ち上げて頷いた。
「私が調べたのですから、少なくともお前が調べるよりは信憑性は高いでしょう」
見回り以外の仕事を一向にしようとしない空太に対する皮肉だ。
「違いない。空太、彼女の言うとおりだ。悔しかったら君も仕事に精を出しなよ」
「嫌だね面倒臭い。そう言う地味で暗い仕事は咲乃に任せとけば良いんだよ。天職だろ」
「……」
当たり前のことを口にしているだけと言った日陰の言葉に、後ろで着々と負の感情を溜めつつも、まだ何とか平静を保ち声を出さずにいる咲乃を、肩越しに見てから日陰は前を向き、手袋越しに揉み手をしながら手を温めようとしている空太の肩に手を置いた。
「いつか君が本当に刺されないことを祈るよ」
「誰に?」
「……鈍い奴。死ねばいいんです」
後ろで日陰にだけ何とか聞こえる程度の小声で毒を吐く咲乃の声は、関係の無い筈の日陰の背筋を凍らせた。
「そう言えば一ノ宮さん違う町の病院に移ったと聞きましたが、その後連絡は無いのですか?」
突如、音程が二つ三つ下がっていたところから急に跳ね上がり、通常時の声に戻った咲乃の言葉に日陰が反応し後ろを向いた。
近頃咲乃はいやに一ノ宮小乃美のことを気にしている。その理由が日陰には皆目見当もつかないが一週間前のあの日、何かあったのだろうか。
けれど日陰も現在小乃美の状況についての話は聞いていない。
「一ノ宮の分家が開いている病院に行くことになったらしいが、それ以降は聞かないな。けれど一昨日だったか、正式に一ノ華組の解散を軍警上層部に届け出たらしい。人事異動も多々あったろう?」
「ああ、あれって一ノ華組の奴らだったんだ、他の組が急に人数増えたって聞いてたけど」
「うちはいらないと断ったけれどね、今更数人増えたところで壁にもなりはしない。動き辛くなるだけだ」
「でも俺下に付く奴が欲しいぜ。俺の変わりに書類整理してくれる奴とか。咲乃の奴は最近頼む度に睨んで来るからよー」
「君の下に部下を付けるくらいなら、最初から空太に書類を回さないよ」
「非道いこと言うなよ」
「事実だと思われます」
これから生きるか死ぬかの瀬戸際に向かおうとしている者達にしては随分と軽い態度だが、それも全て日陰に対する信頼の証だろう。空太もなんだかんだと言いながら、日陰の策ならば大丈夫だと思っているからこその態度であり、咲乃に至ってはそれが当然の態度だ。
目的の場所に近づくにつれて徐々に町人の姿が見え始め、その度に日陰達は嫌悪と怒りをまぶした視線をぶつけられることとなる。
ここの所、軍警官は正政組よりも評判が悪いと言って差し障りが無く、一般の町人から見れば日陰達も嫌悪の対象でしかないのだろう。
日陰もそれはよく理解していた。なにしろこの町人が非協力的だったと言うことが、先の一ノ華組の敗北や現在の正政組の増長に一役買っているのだから。
正政組が天誅をしていようと、それを軍警に届け出る町人などいはしない。そんなことをすれば正政組の怒りを買う羽目になるのは目に見えている。
そしてそれを日陰は否定しない。
民は強き者に付いて行く。今は正政組の方が強いと思われているだけ、これから自分達が正政組を潰せば自ずと元の鞘に収まるだろう。
一人の男が日陰を強く睨む。彼はそれに笑顔を返すと男は呆気にとられたような顔をして、舌を打ちながら家の中に入り、乱暴に戸を閉めた。
「嫌われてんな」
「その様だ。仕方が無いね今は正政組の方が圧倒的に目立つからな」
「そろそろ正政組の活動範囲内です」
苦笑し合っている前の二人を置いて、一人で辺りの様子を伺っていた咲乃が呟くように言う。
普段見回り組が回ることの無い地域が今回の日陰達の目的地だった正政組が潜んでいるとされる長屋。
そこに咲乃と空太が直接出向き、雑魚を釣り上げる。
日陰はその近くで網を張り敵が掛かるのを待つ。それが今回の策の最も重要な部分だ。
「作戦内容は頭に入っているだろうね。空太」
「俺だけ名指しで言うな。分かってるっつの。雑魚を誘き出し、俺と咲乃で適当に食い止めつつ、首領が来るのを待つ。来たら日陰は後ろから首領のみを狙って突撃、頭を取って慌てふためく雑魚を俺達と日陰が挟み撃ちする形を取りつつ、逃げられる場所を空けてわざと逃がす。って恐ろしいほど単純な策だけど填ってくれるのかね。敵さん頭が良いのもいるんだろう?」
「大丈夫さ。頭の良い奴はいつも難しくものを考えるからね。このぐらい単純な方が良い。もし策を見破ったとしてもこちらが三人だけと知れば力押しで来るだけだ、二人はくれぐれも無理をせず、防御に重点を置くこと。良いな」
「本当に日影様は一人で大丈夫ですか? 首領は二人いるそうですし」
口を閉じていた咲乃が思い詰めた顔で言った言葉はもう何度も議論し尽された内容だった。
日陰の言うことを全て是非とし、死ねと言われればいとも簡単に死を選ぶであろう咲乃も、主の危険だけは諸手を挙げて賛成することは出来ないらしく、策を話した時からもう何度もそれとなく止めるように言って来ている。
表だって反対をしないのは日陰の言葉には全て従うと言う自分の中で決めた規律と彼女自身の感情とがぶつかり合っているせいなのだろう。
そんな咲乃の頭に日陰は空気を置くような優しく軽い仕草で手を乗せた。
猫毛の髪質は手のひらをちくちくと刺激してそれが実にこそばゆく気持ちが良い。その感触を少し楽しんでから日陰は彼女の目を見て笑いかけた。
「言っているだろ、僕には神がついているって」
まだ何か言いたげな咲乃も、やがて小さく頷いた。
「では先に着替えを済ませておこうか。咲乃着替えを」
「こちらにご用意しておきました」
背の布袋の口を開き、中から町人が着る様な服を二人に見せるように前に出した。
「ん。着替え場所はあそこで良かったよね?」
日陰の記した先にあるのは軍警官が御用達の民宿であり、この辺りでは唯一軍警官にも平等に接する施設だった。
「はい、話は通してありますので裏口から入るようにとのことです。ご案内いたします」
するすると人並みを避けながら民宿の脇の小道に向かって歩き出した咲乃の後を追い、二人も彼女の後を追って歩き出した。
「何か懐かしいな。おい」
昔は良く着ていたこの類の服装も軍警官になってからは久しく着ていなかった。手を広げ下を向きながら自分の格好を確認するように眺めながら口にした。
「日影様は遅いですね」
町娘の格好をしている咲乃はそれには答えずに辺りを見渡した。既に誰も二人に関心を持ってはいない、完璧に町人としてとけ込めたようだ。
「ああ、なんか先に用件済ませて来るとか言って民宿の主の所に行ってたからな、そろそろ出てくるんじゃないのか?」
「そうですか」
頷いて、慣れない私服の首元を気にしながら民宿の出口に視線をやると丁度人が出てくるところだった。
「あ、れ?」
「あん? どうした?」
「日陰、様?」
目を見開き首を傾げながら半分開いた口から音を漏らす咲乃。と言う空太が今まで見て来た中で一番大きな驚愕の表情を見せ、ついでに一番奇妙な顔をした彼女の視線の先を追って行き空太もまた、自身最高となる驚愕の顔を披露することになった。
「どうした二人とも。無様な顔だ」
「失礼致しました。お見苦しいものを見せてしまって」
慌てて表情を元に戻す咲乃とは対照に、空太は未だに表情を変えられずにいた。そのまま目の前に立つ男。否、女の格好をした男を見た。
「何それ?」
万感の意味を込めた言葉も相手に伝わらなくては意味が無い。
日陰は女性物の和服姿で目を下ろし、袖から袖へと目を移動させ改めて二人を見た。
「変か? 割と似合っていると自分では思っているのだが」
「お似合いです」
ピシャリと言い切る咲乃。
「何で女装なんだよ」
目立たないように町人の格好をすると言うのは日陰の提案であったが、勿論女装をする必要性などは無い。日陰はも含め、吹雪組の面々は性別を偽らなくてはならないほど正政組に顔が知られてはいないからだ。
けれどその問いに日陰は答えようとせずにひらひらと踊る袖で口元を隠して目だけで笑って見せた。その仕草は実に女性的であり、言わなければ、いや言われても尚彼が男であると信じる者はいないであろう程だった。
「念の為と言う奴さ。例の早瀬のご隠居から僕らの情報が漏れていないとも限らないのでね」
「だったら俺も」
「君の女装は見苦しいし、演技が出来るほど器用じゃないだろ。だったら最初から隠さない方がマシだ」
「そのご意見には当然ですが賛成します。仮にコイツが女装などしたら、私は思わず首を刎ねてしまうかも知れない」
「だから何でそんな一々物騒な喩えしか出来ねーんだよお前は」
「喩えではないからでしょう」
「とにかく。二人とも、予定通りに頼むよ」
「承知しました」
「了解」
空太も渋々と言った様子で納得し、三人は早々に民宿の前から離れることにした。後は決行を残すのみ。
全ての準備が実際の行動へと近づいて行く。




