推察ト準備
「戻ったよ」
執務室の中に入ると机の上にお茶が二つ置かれていることに気がついた。
「お帰りなさいませ」
椅子に腰掛けていた咲乃は立ち上がり、深々と頭を下げる。お茶の片割れは咲乃の向かい側に置かれ、彼女は何か文字が羅列されている文のような物を手にしていた。
「客が来ていたのか?」
「ええ、一ノ宮さんが先程まで」
「小乃美が?」
「ええ」
頷きながら文を自分の机上に置き、彼女は給湯室に移動した。日陰のお茶の用意をするつもりなのだろう。
答えを急かすつもりもないので、帽子を壁に掛けると自らの椅子に座る。
机に積まれていた筈の書類は出かける前の一割ほどしかなかった。咲乃が仕事を励んでくれたのだろう。
感謝の言葉も伝えなくては。と口元を微笑ましさから緩ませる日陰を余所に、大して何もしていないはずの空太は疲れたと連呼しながら自分の席に戻り、軍警服の一番上のボタンを外して溜め息を吐きながら自分の椅子に座った。
何と酷い態度だろう。折角良かった気分が台無しになる怒りを感じながら、それでも問題を起こさなかったと言う最低限の成果を上げたのだから許してやろうと、寛大な心の器を見せる為に日陰は敢えてその怒りを彼にぶつけるような真似はしなかった。
「お茶です」
怒りを抑えているうちにお茶を煎れ終えたらしく、盆の上にいつも使っている湯飲みを一つだけ乗せた状態で咲乃が横に立っていた。
「ありがとう」
受け取りながら礼を言うが、彼女はいつものように僅かのブレも見せずに、いえ。と控えめに言って小さく頭を下げた。
「それと、これもありがとう」
これと書類を指して言うと彼女は先程より少しだけ口元を上げて肯いて見せた。
そうしてから咲乃は自分の席に戻り、例の文を手に再び日陰に近づいて来た。後ろで空太が俺にも茶と言っている声は完全に無視をして。
「これが一ノ宮さんからの手紙です。失礼かと思いましたが一応私も読ませていただきました」
珍しいこともあるなと日陰は一言だけ心の中で思ったがその珍しいには二つの意味が重なっていた。小乃美が文を書いて来たと言うことと、その文を咲乃が勝手に見たと言うことの二つだ。
そしてその疑問は文を受け取り、宛先を見て一つは納得出来た。吹雪組へと達筆な文字が記されている。
吹雪組一同に対する手紙なのだから彼女が見ても何の問題も無く、もしこの中に記されている物が時間制限のあるような意味合いの物であったならば一番先に見られる者が見るのが当たり前のことだったからだ。
「どれ」
封の開いている封筒を下ろし、肝心の文に目を向ける。
そこに記された文字を目で追って行く。
「やはり、か」
「これはどういう意味なのでしょう。私では少々分かりかねます」
「お前ら、俺も混ぜろよ」
席を立って近づいて来た空太を自分の横に招き、その文を彼にも見せた。
「正政組に関する彼女が知る情報だ。僕としてはかなり残念な内容だよ」
「……字が多い上に文章が堅苦しくて読む気がしねー、訳してくれよ」
受け取った文を流すように見て、即座に読むことを諦めた空太は文をもう一度日陰の元に返す。それを受けて日陰は仕方がないとばかりに鼻から息を抜いた後、話し出した。
「要するに正政組には二人、首領とおぼしき奴らがいるということだ。一人は巨漢の剣士、小乃美を打ち破ったのもコイツという話だから恐らくかなりの手練れと見て良いだろう」
「あのお嬢様、強いの?」
「万全ならば僕と同じぐらいかな、多分」
「それは……かなりの実力者なのでは」
「昔の話だけどな。それはともかく彼女が言うにはその男に指令を出しているもう一人の司令塔らしき男がいたそうだ。布を顔に撒いて顔を隠していたらしいが、部下にそいつを先にやるように命じたがあっさり返り討ちにあったと言うことだから、これもまたかなりの強者と言えるだろう」
力と頭、二人の首領が組織を纏めているとなると、日陰の策略は少々難しくなる。
文を仕舞いながら、日陰は厄介なことになったと心の中でだけ息を吐いた。それでも小乃美がこちらに着けば問題はないはずだったが、昨日の出来事に加え、あの怪我ではそれも難しい。誰か他の隊から実力者を取ってきたいところだが、引き抜くだけの力を弱小組の一つに過ぎない吹雪組は当然持っていなかった。
母親に言って都合して貰う手段もあるが、それでは結局母親の呪縛から逃れられなくなってしまい、この先ずっと彼女の手足として働くことになるだろう。それだけはゴメンだ。次々と頭の中で策を練るものの、これと言った案は浮かんで来ない。
「もうさ、無理しないで、他の組と共同戦線張るとかで良いんじゃないの? 頭さえうちが取って手柄は貰ったって感じで」
「無理だ、他と共同戦線を張るにしても三人だけでは、今まで様に見回りの班の一つにされるだけだ、とてもじゃないが主要作戦の中に組み込まれはしない」
「では、如何なさるのですか?」
「それをこれから考えよう。小乃美がこちらに付けば今すぐでも良かったんだが」
彼女の心の奥にあった気持ちと言う奴が、日陰に対する異性としての気持ちならば恐らくもう、彼女がこちらに着くことはないだろう。
そうし向けたのは自分だったが、今考えてみると若干軽率だった気もする。
「大丈夫でしょう。彼女はきっと私たちの仲間になると思います」
「そんなこと言っていたの?」
「いえ、勘です」
「勘ってオメーさ」
「ですが、私は女ですので」
「女性の勘は良く当たるって言うからね」
真顔で冗談を口にする咲乃の癖にもうすっかり慣れていた二人は苦笑いを浮かべるが咲乃は更に続けた。
「ええ、それだけで確率が倍です」
「それは……凄いな」
「あースゲースゲー、良いから話を進めようぜ」
「そうですね、私としたことが日影様の話を止めてしまうなんて、空太。気づかせてくれて感謝します。お礼に死んでしまえばいいって毎日お祈りして差し上げますね」
「だから、お前の例えは一々本気っぽくて怖いんだよ」
「本気ですから」
咲乃の無表情な視線に恐れをなしている空太を置いて、日陰は取り敢えず目の前に置かれたお茶に手を伸ばした。
「どちらにせよ、あの怪我に加えこれからは片腕という事もある、一から片腕の剣技を修めることになるんだ。少なくとも今参加して貰っても役に立つことはないだろうね、必要なのは彼女に近い技量を持った武人。二人とも心当たりはない?」
「……いねー」
「申し訳ございません。私も」
「仕方ない。いざとなれば、どうとでもなるだろう。今日から本格的に彼らを追い詰める策を練ることにしよう」
「おいおい、そんなことでいいのかよ」
呆れた口調の空太と、日陰の言葉には決して逆らわないと決めている咲乃も口は閉じていたが、目が少しだけ不安げに揺れている。
その二人を安心させるように日陰は笑いかけた。
「大丈夫さ。いざとなれば僕には神がついてるからね」
「最後は神頼みかよ。大丈夫か、それ」
「……」
不安を取り去ることは出来なかったが、今ここで全てを説明する気にもなれず、日陰は軽く笑うだけに留めて置いた。その視線の奥で咲乃がやけに冷たい視線を向けていたような気がしたが、それには気づかない振りをした。
「今分かっている情報を纏めると正政組の人数は大凡四十から五十、しかし、先の一ノ華組との抗争でその半数程度になっているだろうと言うこと、そして二人いる首領格はどちらも健在だと言うこと。その首領格はそれぞれ暴力と知力に優れる者であると言うこと」
「資金源はどこから出ているのでしょう、まさか皆が皆天誅目的と言うことでもありませんでしょうに」
日陰の横を陣取り、新しいお茶を差し出してくる咲乃の言葉は確かに日陰自身も考えていたところだった。
正政組の構成員は町のゴロツキ共が大半を占めている。大儀も何もなく、ただ金が欲しいだけの悪党共全員に天誅を理解させ、無償で行わせる程の人物など存在しないだろう。
人を集めるのは人徳や暴力、権力でどうにかなっても、最終的に人を動かすものは大抵が金なのだ。残念ながら。
けれど日陰にはその答えも既に想像が付いていた。恐らく天誅という目的は正政組の首領である二人のどちらか、或いはその両方だけが持つ目的だ。それを金で雇ったごろつき共に手伝わせている。これが一番簡単だ。雇われた悪党共は今までのように個別ではなく集団になることで力を得て、見回り組や軍警官達と言う天敵への恐怖を薄め、その上で金が貰える。恐らくは悪党をしていた時よりも遙かに高い賃金なのだろう。
ではその金はどこから出ているのか、これもまた、日陰には想像が付いている。いや、今日、その答えを目の当たりにしたと言った方が良いだろう。
「恐らくは正政組の後ろには強大な力を持った支援者がいる」
「支援者?」
「そいつが金を出し、正政組に天誅を行わせているんだろう。そしてそれは多分あの男だ」
「誰だよ?」
頭を傾げてみせる空太に思わず呆れてしまう。
この男の脳は記憶という概念がないに違いない。
そうに決っている、そうでなくては自分と咲乃が可哀想過ぎる。
「話の流れを読め、あの老人に決まっているだろう」
「老人って……さっきのえーっと、名前なんて言ったっけ?」
「日影様達が会いに行っていたという早瀬正蔵と言うご隠居のことでしょうか」
空太よりも会いに行っていない咲乃が姓名共に覚えているのは、当然二人の知能指数の差がものを言っているのだろう。確かにこの男が足を引っ張っている限り彼女が倍の働きをしない限り、自分はともかく周りは吹雪組を優秀な組だとは思わないだろう。
「彼はこの国の軍警官や役人が不正を働くことを憂いでいた。国士気取りの正政組と思想を同じくしてもおかしくはない。彼がここに来た時期と正政組が活動を始めた時期も一致するし、先ず間違いないだろう」
「そちらから裏付けを取ってみますか?」
「いや、仮にも元中将警視監まで上り詰めた男だ、早々簡単には尻尾をつかませはしないだろう。証拠がある訳でもない。よって正政組、出来ることなら首領を捕らえることを念頭に置いて作戦を立てようと思う」
「俺たちは三人だけだぞ」
「三人と言うところが僕らの強みだ、少数ならば動きも相手に気づかれ辛い、相手の喉元に接近し首領を抑えればそれで仕舞いだ。蛇の頭が潰れればという奴だ」
「そう上手く行くかね」
「いかせなくてはならないんだよ、そうしなければ僕らに未来は無い。僕らのような弱小見回り組がのし上がるにはこうした不利な状況から神風を吹かせるのが一番手っ取り早い」
そう言うが二人は、特に空太は納得し切れていないようで、そんなに簡単に奇跡が売っていてたまるか。とぶつぶつ呟いていた。
「咲乃はどう思う?」
「発想としては私もその手しかないと思われますが、問題は金を払っているのが首領では無く、早瀬正蔵氏だと言うことでしょう。例え頭を捕らえても、早瀬氏が健在である以上再びゴロツキを集める可能性もあります。そこさえ何とかなれば一番確実な策だとは思えます」
「確かに、けれど現実としてそれしかないと言うのもまた事実。そこから先のことはまた後で考えよう。捉えた首領から早瀬との繋がりが見えてくるかも知れない。かなり運任せだけれどね」
「それもまた奇跡に任せる。いえ日影様には神が憑いているから大丈夫と言うことですか?」
咲乃の口調が皮肉では無い事にむしろ驚き、日陰は彼女の整った顔を間近で観察しながら、感嘆の息を吐いた。
「何でしょう?」
「いやなんか、随分あっさりと僕に神がついていると言うことを信じたなと」
「日影様の言葉ですから」
いとも簡単に人の心を掴む言葉を言う女だ。そんなところもまた、日陰が彼女を気に入っている理由の一つなのだが。
「二人で淫らな雰囲気作りしてないで、真面目に考えようぜ」
「誰が淫らだ、たわけ者」
「まだ日が落ちていませんから、その雰囲気はもう少し待ちましょうか」
窓の外から覗く太陽の位置を確かめている咲乃の言葉を聞かなかったことにし、やれやれと首を振った。
その横で咲乃もやれやれと首を振っていたのも、勿論彼は見なかったことにした。
こうして無駄話を挟みながら、吹雪組による大捕物の台本は着々と進行していった。




