一ノ宮小乃美ト、境内日陰ノ逢瀬
病棟に足を踏み入れた瞬間、多数の軍警官の姿と同時に血の匂いが廊下に溢れて来た。
手当を終えた者達や、その者達から事情を聞く軍警官達、殉職した者達の家族などだろうか、少人数ながら一般人の姿も確認出来る。
一ノ一町最大の見回り組である一ノ華組の隊員の大体部が運ばれているのだ。この混雑も仕方が無いとも言える。
記事で事件を知り軍警署に出勤した日陰は何より先に、小乃美の安否について問い合わせをした。彼の頭の中で描いた構図の中で一ノ宮小乃美の生存は絶対に必要不可欠なものだったからだ。
結果は生きてはいるが重傷であり、治療中と言うものだった。そこで伝令に小乃美の意識が戻ったら直ぐに自分に知らせるように伝え、朝からそれを待っていたのだった。
「はてさて、アイツはどう出るかな」
雑踏に声を混ぜらせるような小声で言い、日陰は一番奥の士官専用の病室に足を向けた。
病室の前には数人の人物が立っていた。どれもこれも見たことのある顔で、皆見回り組の隊長達のようだった。
「何をしているんですか?」
「ん、おお。境内か」
顔見知りの見回り組組長に声を掛けると、日陰の存在に気づいた男は礼を取りながら、挨拶をしてきた。
「どうも」
礼を返し改めて男と一ノ宮小乃美と名の刻まれた札が掛けてある病室とを見比べて、話の続きを促した。
「一ノ宮のお嬢様から、話を聞こうと集まったはいいんだが、誰も中に入れようとしないんだ。それでどうしたものかとな」
チラリと他の面子の顔を見てみると、中には小乃美よりも上の階級の者もいる。軍警官にとって階級は絶対的であり、例え入室を拒もうと上官であれば無理矢理にでも入ることも出来るであろうに。
「一ノ宮が相手では無理を押すことも出来ないんでな」
日陰の疑問を顔から読んだらしい男の溜め息混じりの言葉に納得する。
「ああ、成る程」
頷きながら、しかし日陰は諦めて帰るようなことはせずに、逆に病室の扉に近づき一度息を吸うと、扉を拳で叩いた。
「境内日陰少尉巡査長だ。話がしたい、開けてくれ」
声を張り上げて中に声を響かせるように言う。
内側から返事はない。
後ろに立った他の組長達からは無駄なことをするとでも言わんばかりの視線と、あからさまな溜め息が聞こえてきたが、日陰はそれを気にした風でもなく再び扉を叩いた。
「小乃美! 起きているんだろう。ここを開けてくれ」
「……開いている。お前だけ、入れ」
だからこそ、その言葉が扉の向こう側から聞こえて来た時には後ろの空気は一気にざわめきとなった。
「それでは失礼しますよ皆様方。あ、そうだ。ここで待っていても僕から話を聞くことを期待なさらぬようにお願いします」
「貴様上官に!」
「昨日付けで正式に一ノ一町見回り組の組長として登録された。文句があるならば組として正式に抗議すると良い。勿論一ノ宮の後ろ盾を怖がる貴方達が、境内家に何かを言う度胸があればの話ですが」
苦虫を噛み潰した。そんな言葉を当て嵌めるのに丁度いい顔をしながら、隊長達は皆一様に日陰から顔を逸らした。一ノ宮よりも格上の名家である境内家の次期当主、それが日陰の立場である。
今までは所詮見回り組の下っ端に過ぎない身であった為、後ろ盾を気にすること無く対応して来たが、見回り組を造ったとなれば後ろ盾、つまり承認は当然本家である境内家、その現当主たる日陰の母親が付いているに違いない。と皆勝手に思い込んでいるのだろう。
そこまで考えて日陰は誘導したのだ。まさか母親に承認を断られ、その部下である宵丸から承認を受けたなど夢にも思っていないはずだ。
取り敢えずこれで暫くは目に見える妨害を受けることもないだろう。
良い牽制になった。
日陰は病室の扉を開けて中に入った。
他の病室より、僅かに広く窓も大きな病室のそのベッドの上に、一ノ宮小乃美は半身を起こした状態で窓の外を見ていた。それ自体には些かの損傷もない黒絹のような髪が日陰に向けられ、その髪を遮る帯のように撒かれた包帯に微かに赤が滲んでいる。
日陰が中に入ったことには気づいているはずだが、小乃美は振り返らない。ただジッと窓の外を見ているだけ。
「起き上がって大丈夫なのか」
「……」
近づきながら、声を掛けるも反応はない。
無理もないと内心で思いはしたがそれではここに来た意味が無くなってしまう。
何とか会話をすることが出来ないものかと、更にもう少し近づいてみる。
「私を嗤いに来たか」
「……」
鈴を鳴らしたようないつもと変わらぬ凜とした声、今度は日陰の方が言葉を失う番が巡ってきたようだ。
言葉を失ったまま日陰は更に小乃美に近づく。
「僕はそこまで暇じゃない」
何とか普段の自分の言葉を探し出し、その通りに話すことが出来た。
予想以上に彼女の声に強さがあって良かった。と彼は思う。
もし彼女が子供の頃のように弱々しさを抱いてしまっていれば日陰自身、こんなにも冷静ではいられなかったであろう。それどころか彼自身も子供の頃の自分に返って彼女を慰めていたかも知れない。それは今の自分にとって良くはない。
「ならば情報を取りに来たか。傷心の私に向かって、良くもそんな残酷なことが出来るものだ」
「傷心、ね」
とてもそうは見えない。そう続けても良かったが、それは蛇足だろうと言葉を締め、もう一度息を吸うと続けた。
「それだけではないが、勿論それもある」
「お前にだけは絶対に話さない」
絶対的な拒絶の言葉は冷徹としている。けれど日陰にはその言葉が空虚なものに思えてならなかった。
向こうの出方を見ようと黙っていると、ふん。といつものように鼻を鳴らす彼女特有の笑いが漏れた。
「冗談だ。私は負けた身、情報でも何でも洗いざらい話すとしよう」
「それはありがたい。ところでお前いつまで外見ているんだ」
直ぐ近くまで移動したと言うに一向に振り返る素振りを見せない小乃美に日陰は言葉を浴びせるが、彼女は振り返らないまま手を振った。重傷という割には一番傷つきやすい手には傷一つ無い。いつもの彼女の手だ。そんなに非道い怪我は負っていないのか、それとも足を怪我したのか。
「些末なことだ。怪我をした女に振り向いて話をしろとは酷なことを言う」
「顔に傷でも負ったか?」
「……そんなところだ」
そんなことを気にする女だとは到底思えなかったが、それ以上追求しても得られるものは無いだろうと、日陰は黙ってベッドの脇に置かれていた背もたれもない安物の木製の椅子に腰を下ろした。
「そう言えば他にも何か話があるような口ぶりだったな、先に聞いておこう」
「ああ、そのことか。一ノ華組はこの先どうなる? 正式に解散するのか?」
この話は後に持って行きたいところだが、今の彼女の状態ならば何とか説得出来るだろうと、もう一つの話。その前提段階の確認の意味で聞いてみた。
「死者、七名。重傷者十五名。これでは仕方が無いだろう。出来て数日で解散とは笑い話にもなりはしない……そんなことが聞きたかったのか?」
「いや、ここからだ」
一度言葉を切り、日陰は気づかれないように息を吸い込んだ。
僅かに緊張していることが自分でも分かる。この言葉を彼女に向けて言うのは二度目だ、一度目は失敗に終わったが、今度は違う。彼女にも意地がある、乗ってくるはずだ。
「一ノ宮小乃美、正政組を潰すのに手が足りない。お前も僕の組に入ってくれないか?」
常識的に言えば無理な願いである。
小乃美は日陰よりも階級は上だ、その人物が自分より階級の低い人物の下に着くことなど普通はあり得ない、けれど彼女の家と自分の家の関係、そして何より彼女の性格から考えてみればそう難しいことでも無いと彼は確信していた。
「……」
「お前だってこのまま終わりたくはないだろう。お前の力が必要なんだ、今度こそ」
追い打ち文句を口にしながら、日陰は華奢な小乃美の肩に手を置いた。その肩が一瞬びくりと震え、次いで断続的な震えが伝わって来た。
「……けるな」
ぼそり。と人が聞こえる音として最低位置に着いても良いくらいの極小の声量で発せられた言葉に、日陰は眉を上げ聞き返す。
「なに?」
「巫山戯るなと言ったんだ!」
肩に乗せていた手が弾き落とされる。その剣幕に日陰は言葉を失って、素直に手を下ろした。
彼女の性質上、一度断りを入れてくるだろうと予想はしていた。けれどその上で交渉次第すれば折り合いを付けられるだろうと思っていたが、この声は交渉を挟む余地のない絶対無比の否定だと言うことは確認するまでも無かった。
呆然と言葉を失っている日陰に、小乃美は更に続けた。
「お前は、何も分かっていない。私がどんな思いで、ここまでやってきたのか。お前に言われた言葉にこの身がどれだけ傷つけられていたのか。全く分かっていないじゃないか!」
「僕の言葉?」
涙の色が着き始めた小乃美の声に面を喰らいつつも問う。何を言っているのか、本当に分からなかった。
「私が! 何故あの時お前の言葉を断ったのか、何故一人の武人ではなく、指揮官として、人の上に立つ道を選んだのか。お前は。お前は」
「あの時……」
あの時、で思い出せるのは一度目の誘い。
まだ子供で何も分かっていなかった頃、軍警官として軍を率いていた母に憧れて、母のようになりたくて、その頃から日陰は軍警官になることを夢見ていた。
そして小乃美を誘った。自分の部下としてずっと一緒に居てくれないかと。お前は人の上に立つ人物では無い、だからお前の上には僕が立ってやる。と尊大な言葉を。
ただ純粋に小乃美が強かったから誘っただけだ。けれど小乃美はそれを直ぐに否定し、涙をいっぱいに浮かべた瞳で強く睨み、口に溜まった罵倒を全て吐き出すとその場から走り去っていった。それからまともに会話した記憶はない。それが何故か、日陰は今まで難しく考えたことはなく、結局ただ、子供だったからだろうと自分の中で結論づけていた。
部下と言う響きが子供ながらに嫌だったんだろうと、そう考えたのだが今の様子を見ると、それは違ったらしかった。
「お前だって、私たちがどんな一族であるかは知って居るんだろう?」
「傷食いの一族」
母から聞いたことはある。
一ノ宮の家系は代々優良な武人を輩出する家系、けれどその武人としてのあり方は普通とは少し違っている。
一ノ宮の武人は自分の身に受けた傷を自分の糧として喰らう。
それこそ腕が無くなろうと足が無くなろうと、命ある限り主君の為に戦い続けるそれを誇りとする家系だと言う。
それは要するに忠義に溢れる家系と言う武家である彼らにとっての褒め言葉のようなものだと日陰は解釈していた。
けれど今の彼女の様子を見るにそうではないのだろうか、言葉に詰まり黙っている日陰を余所に小乃美は更に言葉を吐き捨てて行く。その声は完全に涙声となっていた。その割れた硝子の欠片のような声に日陰は気圧され、自分自身が傷ついているような錯覚に襲われる。
「私は自分の血を忌み嫌っている。主君の為に戦い戦い戦い戦い、そして果てる。それは単なる捨て駒だろう?」
「そんなつもりは」
「今の私に仲間になれって言うことはそう言うことだ」
力の抜けた声で言い、小乃美は振り返った。
ようやく振り返った彼女に日陰は目を細め、息を呑む。
左目を隠すように巻かれた包帯の端、まだ赤みを帯びた裂傷が僅かばかり包帯から外に出て顔に浮かんでいるのが見えた。その延長線上には彼女の左目があるのだろう。
そして、何の怪我も無かった左腕とは正反対に右腕に仰々しく包帯が巻かれている。
「その傷」
「そうだ。指の腱が切断されたこの腕はもはや剣を握ることが出来ない。それでもなお、この身に戦えと言えるのか。腕が無くなろうと足が無くなろうと戦い続ける一ノ宮を体現して見せろと、そう言っているのか!」
もはや力の入ることの無い包帯の巻かれた腕がベッドの上に落ちた。
「すまない。君がそんな大怪我をしていたとは聞いていなくて、しかし」
謝ることしか出来ることはない。けれどただ声に出して謝罪する日陰の言葉は既に彼女には届いていないだろう。そして続けようとした言葉もまた、彼女の怒声に阻まれることとなる。
「私が! 何故将として生きる道を選んだのか、お前には分かっていないんだ」
日陰の襟首に向ってベッドに投げ出された小乃美の手が近づいていく。片腕はしっかりとその軍警服の襟を掴んでいたがもう片方の腕は、包帯で巻かれた手が首元に押し当てられるように近づけられているだけ、それだけだ。そこに、日陰の襟元を掴む力はもう失われているのだ。
「私は、お前に対等に見て貰いたくて。部下ではなく、駒ではなく、兵ではなく、お前と同じ位置にいる一人の女としてみて貰いたかった。ただ、それだけだったんだ」
言葉の終わりがそのまま彼女の握力に結びついていたかのように、小乃美の両の腕がゆっくりと力を失ってまたもやベッドの上に投げ出された。
日陰にとって、その言葉は禁忌の言葉だ。
日陰は己に向けられる好意にさほど鈍くはない、常日頃咲乃が自分に向けている気持ちも分かっていた。けれど小乃美の気持ちには気づかなかった。
幼少時ならばいざ知らず、今の自分は嫌われ、憎まれている。とそう思いこんでいた。
それは気付かなかったのでは無く、その方が、気付かない振りをしている方が楽だと思っていたことに彼は今、この場で気付かされた。
だがそれ故に日陰は小乃美の気持ちに応えることが出来ない。
乱世を生きると、この世界を上り詰めるとそう約束した。
自分自身に、自分の家に、そして空太や咲乃、大切な仲間に。だから日陰に彼女の気持ちに応えること、それは許されない。
特別な者をつくること、守るべき者をつくることを彼は決して認めない。
落ちた腕を自分は受け止めることが出来ない。
「境内日陰、私はお前のことがずっと……」
その続きを口にさせる訳にはいかなかった。
腕が落ち、無防備にさらけ出された彼女の白肌を露出させる細い首に、日陰は抱きついた。いや、それは抱きつくという言葉では生やさしすぎる。齧り付くように、そう表されるのが正しい。彼は小乃美に齧り付いた。
「その先は聞く訳にはいかない」
「ひか、げ?」
震える小乃美の声に日陰は身体を少しだけ離し、涙で濡れている彼女の瞳をぬぐい取った。
「お前に、僕の全てを見せてやる」
軍警服のボタンを外し投げ捨てるように上着を床に投げ捨てて、言葉を失っている小乃美を日陰はベッドの上に押し倒した。
願わくば、これで全てを忘れてくれるように、そう。願いながら。
彼女の首筋に涙が一筋流れて行く、それは彼女の流した涙か。それとも自分の涙が彼女に伝って行ったのか、日陰には分からなかった。




