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減給された40代社畜、深夜バイトで国家級ダンジョンの管理者になる  作者: Gaku
第2部:管理者覚醒編

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79/82

第79話 96.1パーセント



『転写処理を開始します』


 コトリの声と同時に、四つの独立領域が白く点灯した。


 最深部の黒い渦から、細い光の道が管理端末へ伸びる。残留意識を現在の領域から切り離し、別の場所へ移すための経路だった。


 四人を一度に通せば、成功率は三十四・七%。


 一人ずつなら、約七十一%。


 最初に一人を転写している間、残る三人が崩壊を内側から押さえる。二人目では二人が支え、三人目では一人だけが残る。


 最後の一人になるほど、条件は悪くなる。


 管理端末の隅で警告表示が開いた。


【転写実行前 最終負荷予測を受信】


『佐藤さん』


 地上から、黒瀬環の声が届いた。


 いつもの冷静さを保っていたが、呼吸がわずかに速い。彼女が表示を読み上げるより先に、誠司の視界へ数値が並んだ。


【現在負荷指数 20.4】


【追加負荷予測】


 崩壊の完全鎮圧 プラス3.1

 標準偏差0.8


 四人の保全処理 プラス2.8

 標準偏差1.1


 撤退時の接続維持 プラス1.2

 標準偏差0.4


【追加負荷合計 プラス7.1】

【合成標準偏差 1.42】

【最終負荷期待値 27.5】


 誠司の目が、最後の数字で止まった。


 危険閾値は二十五。


 期待値だけで、すでに二・五も上回っている。


『各処理の変動を独立と仮定し、分散を合成しました』


 黒瀬が続ける。


『標準偏差は、〇・八の二乗、 一・一の二乗、〇・四の二乗を加え、その平方根を取って一・四二です』


 表示に計算式が加わった。


【Z=(25.0-27.5)÷1.42】

【Z=-1.76】


【危険閾値25.0の超過確率 96.1%】


 黒瀬の声が一度止まった。


『佐藤さん。あなたは九十六・一%の確率で、危険閾値を超えます』


 誠司の手の震えは、もう隠せる程度ではなかった。


 指を曲げるたび、関節の奥で鈍い痛みが走る。視界の左右には薄い霧がかかり、黒い渦の輪郭が二重に見えていた。


『後遺症は、ほぼ確実に残ります』


「……そうですか」


 誠司の返事は、自分でも驚くほど平静だった。


『ただし』


 黒瀬は、もう一つの計算結果を表示した。


【重篤域 32.0】

【Z=(32.0-27.5)÷1.42】

【Z=3.17】


【重篤域到達確率 0.1%】


『重篤域まで達する確率は、〇・一%です』


 黒瀬は、一語ずつ確かめるように告げた。


『あなたは、死にません』


 死なない。


 その言葉を聞いた瞬間、誠司の脳裏に小さな指が浮かんだ。


 湊の指。


 陽菜の指。


 出発前、二人の指を自分の小指へ絡めた。


 絶対に帰ってくる。


 そう約束した。


 約束したのは、無傷で帰ることではない。


 歩いて帰るとも、元の身体のまま帰るとも言っていない。


 ただ、帰ると約束した。


 誠司は、血で濡れた口元を少しだけ緩めた。


「なら、いいです」


『佐藤さん』


「後遺症くらいなら、約束は守れる」


 黒瀬は何も答えなかった。


 止めるための言葉がないのではない。


 誠司がどの数字を見て、何を選んだのか、理解したのだ。


『転写順を確定します』


 コトリが告げた。


『残留強度の変動が最も大きい宮前千紗さんを、最初に転写します』


『あたしから?』


 橙色の光が、不安そうに縮んだ。


「大丈夫です」


 誠司は言った。


『管理者さん、そういうときの大丈夫って、大体大丈夫じゃないんだよ』


「それでも、言わせてください」


 千紗は少し黙ったあと、小さく笑った。


『じゃあ、信じる』


 桐島、大輝、影山の三つの光が、黒い渦の内側へ広がった。千紗が抜ける穴を埋めるため、それぞれの輪郭を重ねていく。


『宮前千紗さん。現在の領域から離れる意思を、最終確認します』


『ある』


『転写後、元の状態へ戻れない可能性があります』


『わかってる』


『失敗すれば、残留意識が消滅します』


 千紗の光が、一度だけ揺れた。


『……それも、わかってる』


『同意を確認しました』


【転写対象 宮前千紗】

【残留強度 不安定】

【転写開始】


 橙色の光が、端末へ伸びた経路に吸い込まれた。


 人の形を持たない光が、さらに細い糸へほどけていく。声、記憶、感情。それらを壊さないように分け、別の領域で同じ形へ組み直す。


『強度低下』


 コトリの声が鋭くなる。


【転写進行率 18%】

【残留強度 6.7%】


「千紗さん、聞こえますか」


『聞こえ……てる』


【転写進行率 43%】

【残留強度 4.1%】


 橙色の糸が途中で乱れた。


 誠司は接続出力を上げる。頭蓋の内側へ熱い針を差し込まれたような痛みが走り、右目から血が一筋流れた。


『誠司、出力を上げすぎないでください』


「切れそうなんだろ」


『しかし』


「切らせない」


【転写進行率 71%】

【人格構造 再形成開始】


 光の糸が独立領域の中へ集まり、揺れる小さな球体を作った。


 千紗の声は、もう聞こえない。


「千紗さん」


 返事はない。


【転写進行率 96%】


 最後の四%が進まない。


 橙色の球体が一度、大きく歪んだ。


『構造安定率が低下しています』


「持ちこたえてくれ」


 誠司は端末の縁を握った。


「猫のこと、自分で確かめるんだろ」


 橙色の球体が、小さく脈打った。


【転写進行率 100%】


【転写結果 宮前千紗】

【成功】


 光の道が閉じた。


 独立領域の中で、橙色の球体がゆっくり明滅する。


 数秒後、かすれた声が届いた。


『……あれ』


 誠司は息を止めた。


『あたし、まだ、いる?』


『はい』


 コトリの声が、わずかに柔らかくなる。


『宮前千紗さん。あなたは保全されました』


『……マジで?』


「聞こえてます」


『管理者さん?』


「はい」


『猫、確かめられる?』


「調べます。必ず」


『そっか』


 千紗は泣いているようにも、笑っているようにも聞こえた。


『じゃあ、待ってる』


 一人目。


 成功。


 喜ぶ時間はなかった。


 千紗が抜けたことで、崩壊を内側から押さえる光は三つになっている。黒い渦が空いた場所へ流れ込み、桐島の青白い光を押し曲げた。


『次、俺だ』


 桐島が言った。


「少し待ってください。状態を」


『待つほど、あいつらが削れる』


 桐島は大輝と影山を見た。


『さっさとやれ、管理者』


『桐島鷹也さん。離脱意思を確認します』


『ある』


『危険性を』


『全部聞いた。始めろ』


【転写対象 桐島鷹也】

【転写開始】


 青白い光が経路へ流れ込む。


 桐島の転写は、千紗より速かった。


 輪郭が崩れても、自分から先へ進むように光が伸びる。途中で渦の圧力が増すと、大輝と影山が左右から押し返した。


【転写進行率 52%】

【78%】

【100%】


【転写結果 桐島鷹也】

【成功】


 独立領域に、二つ目の光が灯った。


『……ははっ』


 桐島の声が戻る。


『本当に残ってる』


「気分はどうですか」


『身体がないのに聞くなよ』


 桐島は笑い、少し間を置いた。


『これなら、親父に見せてやれるかもな』


「見せましょう」


『ああ』


 二人目。


 成功。


 だが、内側に残されたのは大輝と影山だけになった。


 黒い渦は、二人の隙間へ指を差し込むように広がり始めている。


『次は俺だ』


 大輝の白い光が前へ出た。


 地上の通信から、誰かが息を呑む音がした。


 黒瀬だった。


 彼女は兄の名前を呼ばなかった。


 今ここで声をかければ、大輝の意識を乱すかもしれない。それを理解し、十二年間探し続けた兄が転写される瞬間を、ただ黙って見守っていた。


『黒瀬大輝さん。離脱意思を確認します』


『ある』


『転写を開始します』


【転写対象 黒瀬大輝】

【残留強度 4.8%】

【転写開始】


 白い光が経路へ入った瞬間、黒い渦が大きく脈打った。


 内側に残るのは影山一人。


 十二年間、四人で分けていた圧力が、彼の光へ一気に集中した。


『くっ……』


 影山の声が歪む。


「影山さん!」


『こっちはいい。大輝を見ろ!』


【転写進行率 31%】

【黒瀬大輝 残留強度3.2%】


 白い光が激しく揺れる。


『転写速度が安定しません』


 コトリが警告した。


『崩壊波形の干渉を受けています』


「俺が押さえる」


『現在の負荷増加率では危険です』


「大輝さんを切らせる方が危険だ」


 誠司は制御出力を上げた。


 黒い渦が外側から圧縮され、白い光へ食い込んでいた濁流が一瞬だけ離れる。


【転写進行率 49%】

【残留強度 2.4%】


 誠司の左目からも、熱いものが流れた。


 血だった。


 両目から落ちた赤い滴が、端末の表面で重なった。


『佐藤さん、負荷が急上昇しています!』


 蓮の声が響く。


【負荷指数 24.1】

【24.9】


 危険閾値まで、あと〇・一。


【転写進行率 68%】


 その瞬間、大輝の白い光が消えかけた。


【残留強度 0.9%】

【消滅判定閾値を下回りました】


『大輝さんの残留強度が、閾値を割りました!』


「持ちこたえろ!」


 誠司は残っていた出力を、大輝の接続へ叩き込んだ。


【負荷指数 26.8】

【危険閾値を超過】


『佐藤さん、閾値を超えました! 中断を!』


「まだだ!」


【転写進行率 81%】

【人格構造 崩壊危険】


 白い光が、細い糸一本まで削られていく。


「妹さんが待ってるんだろ!」


 誠司は血に濡れた目を開いた。


「すぐ帰るって、言ったんだろ!」


 白い糸が震えた。


『……環』


【転写進行率 93%】


「今度こそ、自分で言ってください!」


【転写進行率 100%】


【転写結果 黒瀬大輝】

【成功】


 独立領域に、三つ目の光が灯った。


 通信の奥で、黒瀬の押し殺した嗚咽が一度だけ漏れた。


『……っ、はぁ……』


 大輝の声が戻る。


『管理者。あんた、無茶しやがって』


 誠司は血の落ちる顎を上げた。


「三人……あと、一人」


 誠司の声は、喉の奥で擦れた。


 両目から流れた血が頬を伝い、端末へ落ちている。右側の視界は暗く狭まり、中央に残った影山の光さえ、輪郭が滲んで見えた。


【管理者負荷指数 26.8】

【危険閾値 超過継続】


 黒い渦の内側には、もう影山しかいない。


 三人が抜けた空間へ濁流が殺到し、淡い光を上下左右から押し潰そうとしていた。影山は何度も形を崩しながら、そのたびに広がり直し、崩壊の中心を一人で支えている。


『影山さんの残留強度を計測します』


 コトリの声が、わずかに途切れた。


【影山恭一 残留強度2.1%】

【消滅判定閾値 1.0%】


『転写処理に必要な最低値を、辛うじて上回っています』


「始めてくれ」


『待て』


 影山が制した。


 声は弱かったが、言葉だけははっきりしていた。


『もう、いいって』


「何がですか」


『三人帰せた』


 影山の光が、黒い流れに削られる。


『期待値は二・八人だったんだろ。三人なら、計算より上だ』


「あなたを入れて四人です」


『管理者、あんたも限界だろ』


 影山は誠司の身体を見ているようだった。


『両目から血が出てる。負荷も二十五を越えた。これ以上やったら、本当に壊れるぞ』


「後遺症で済みます」


『そんなの、やってみなきゃわからない』


「死ぬ確率は〇・一%です」


『家族に、同じこと言えるのか』


 誠司の指が止まった。


 美咲の顔が浮かぶ。


 出発する誠司を見送った妻は、止めなかった。ただ、帰ってきてと一度だけ言った。


 陽菜と湊は、小指を絡めてきた。


 絶対だよ。


 約束だよ。


『あんたには、帰る場所がある』


 影山の声が静かになる。


『俺のために、それを失うな』


 誠司は血で濡れた手を握った。


「あなたにもあります」


『俺は言わなかっただろ』


「言わなかっただけです」


『ないんだよ』


「嘘だ」


 誠司は即座に返した。


「帰りたい場所がない人間が、十二年間も他人を帰そうとするわけがない」


 影山の光が揺れる。


「帰りたいと言えなかっただけでしょう」


『勝手に決めるな』


「あなたも、俺の帰る場所を勝手に決めないでください」


 黒い渦が強く脈打った。


 影山の光が大きく歪み、輪郭の一部が千切れたように消える。


【残留強度 1.8%】


『転写可能時間が急速に減少しています』


 コトリが警告する。


「同意してください」


『断る』


「影山さん!」


『三人を帰せた。俺の願いは叶った』


「あなたの願いは、あなたを消すためにあるんじゃない!」


 誠司の叫びが最深部に響いた。


 黒い渦の音へ混ざり、何度も反響する。


「コトリが言ったでしょう。あの子はあなたの代わりじゃない」


『……あの子、か』


 影山が小さく笑った。


『そうだな。俺より、ずっとしっかりしてる』


『誠司』


 コトリが呼んだ。


 その声には、これまでにない迷いがあった。


『私に、やらせてください』


「何を」


『私の人格構造には、影山さんの残留意識と共通する部分があります』


 管理端末に、二つの波形が表示された。


 影山恭一。


 コトリ。


 完全には一致しない。


 それでも根元に近い部分では、複数の波形が同じ形を描いている。


『私は、影山さんの願いを基礎として形成されました』


『ならば、私の人格構造の一部を分離し、影山さんへ転写できる可能性があります』


「一部を分ける?」


『不足している残留強度を、私の構造で補います』


 蓮の声が割り込んだ。


『コトリさん、それをやったら、コトリさんはどうなるんですか』


 コトリは、すぐに答えなかった。


『正確には予測できません』


『人格の一部が欠落する可能性があります。記憶、判断能力、感情反応のいずれに影響するかも不明です』


「駄目だ」


 誠司は言った。


『誠司』


「方法を変える。俺の出力を上げる」


『現在の負荷では、あなたの接続が先に崩壊します』


「でも」


『私なら、影山さんと構造が近い。最小限の損失で強度を補えます』


「最小限って、どのくらいだ」


『わかりません』


 コトリは、誤魔化さなかった。


『ですが、消滅はしません』


 わずかな間を置く。


『たぶん、少し薄くなるだけです』


「たぶんで、自分を削るな」


『誠司はいつも、帰りたい場所がある人を帰すと言っていました』


「だからって、コトリが」


『影山恭一さんは、私の』


 コトリの声が震えた。


 機械的な乱れではない。


 初めて、自分の感情を抑えきれなくなった声だった。


『私の、始まりの人です』


 影山の光が動きを止めた。


『コトリ』


『はい』


『やめろ』


『できません』


『お前は俺の願いから生まれたんだろ。俺のために、お前が削れてどうする』


『私は、あなたの願いです』


 コトリは答えた。


『でも、私は私です』


『だから、これは私が選んだことです』


 その言葉と同時に、管理端末の奥でコトリの波形が分かれた。


 淡い光の一部が細い粒子へ変わり、転写経路を逆向きに進んでいく。


『待て!』


 影山が叫ぶ。


 光の粒子が、黒い渦の中に残る影山へ降り注いだ。


 崩れかけていた輪郭が補われる。


【影山恭一 残留強度1.6%】

【2.0%】

【2.7%】


【転写可能域へ回復】


 同時に、コトリの声へ薄い雑音が混ざった。


「コトリ!」


『私は、ここにいます』


 声は弱くなっていた。


 だが、消えてはいない。


『誠司。今です』


 誠司は唇を噛んだ。


 コトリが自分で選んだ。


 その選択を、なかったことにはできない。


「影山さん」


『……わかった』


 影山の声が掠れた。


『帰る』


『離脱意思を確認しました』


【転写対象 影山恭一】

【転写開始】


 影山の光が、経路へ流れ込む。


 彼が抜けた瞬間、内側から崩壊を押さえる者はいなくなった。


 黒い渦が一気に膨張する。


【崩壊波形 急上昇】

【外部制御のみへ移行】


「蓮くん!」


『帰還経路、維持します!』


「ミラージュの支援は」


『上層処理、継続中です!』


 誠司は残された力を崩壊の外側へ集中させた。


【負荷指数 27.4】

【27.9】


 頭の中で何かが焼ける匂いがした。


 右側の視界がさらに狭まり、端末の半分が闇へ沈む。


【影山恭一 転写進行率31%】


『管理者』


「話さないでください」


『俺、まだ帰りたい場所を言ってなかったな』


「転写が終わってから聞きます」


『そうか』


【転写進行率58%】


 影山の光が乱れた。


 コトリから譲られた部分と、影山自身の構造が噛み合わず、一部が離れかけている。


『構造を再調整します』


 コトリの声がかすれる。


「無理をするな!」


『無理ではありません』


 返事の後半が、ノイズで欠けた。


『私には、わかります』


 コトリは自分と同じ根を持つ影山の波形を、一つずつ正しい位置へ戻していく。


【転写進行率77%】

【人格構造 安定化】


『コトリ』


 影山が呼んだ。


『はい』


『俺の願いが、お前でよかった』


 コトリは数秒間、答えなかった。


『私も』


 薄い声が返る。


『あなたから始まれて、よかったです』


【転写進行率100%】


【転写結果 影山恭一】

【成功】


 四つ目の独立領域に、淡い光が灯った。


 影山の声が、震えながら戻る。


『……あ』


 何度も息をしようとするようなノイズが続く。


『俺、まだ……いるのか』


『はい』


 コトリは答えた。


 少し薄くなった声で、それでもはっきりと。


『おかえりなさい、影山さん』


 影山は返事をしなかった。


 代わりに、声にならない嗚咽のような雑音が、静かに通信へ流れた。


 十二年間、誰かを帰すために残り続けた男。


 自分だけは帰らなくていいと言い続けた男。


 その男が、自分の願いから生まれた存在に、初めて帰還を告げられた。


【保全人格 四名】

【宮前千紗 安定】

【桐島鷹也 安定】

【黒瀬大輝 安定】

【影山恭一 安定】


 四人全員。


 三十四・七%の先にあった結果を、彼らは掴んだ。


 だが、崩壊はまだ残っている。


 支える者を失った黒い渦が、最後の抵抗を始めていた。


「コトリ、鎮圧処理を」


『実行します』


 声が以前より遠い。


 誠司は問いかけたい衝動を押し込み、両手を端末へ置いた。


 蓮が帰還経路を固定する。


 ミラージュが上層の変動を飲み込む。


 コトリが残った処理を最適化する。


 保全された四人も、独立領域から演算補助へ加わった。


『管理者、右側を押せ!』


 桐島の声。


『下から流れが来る!』


 千紗が叫ぶ。


『経路は俺が見る!』


 大輝が支える。


『誠司、あと少しだ』


 影山の声が続く。


 誠司は最後の制御値を入力した。


「閉じろ!」


 黒い渦が一点へ圧縮される。


 空気を引き裂く音が最深部を満たした。


 床が跳ね、端末の画面がすべて白く染まる。


 そして。


 音が消えた。


【アマテラス最深部 崩壊事象】

【完全鎮圧】


【登録活動者の被害 0名】

【予測犠牲者89名】

【実際の犠牲者0名】


 誠司は表示を見た。


 八十九人。


 一人も失わなかった。


 四人も帰した。


 その事実を確認してから、彼はようやく息を吐いた。


【管理者 佐藤誠司】

【最終負荷指数28.3】

【危険閾値 超過】

【重篤域 未到達】


『佐藤さん!』


 蓮の声が遠くなる。


 誠司の膝から力が抜けた。


 倒れかけた身体を端末へ預けようとしたが、腕も支えにならない。荒れた指が宙を掴み、そのまま床へ崩れ落ちた。


『誠司!』


 コトリが呼ぶ。


 誠司は閉じていく視界の中で、小さな指を思い出した。


 湊。


 陽菜。


 帰ると約束した。


「……帰る、から」


 唇が、かすかに動いた。


「指切り、したから……」


 その言葉を最後に、誠司の意識は途切れた。



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