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私を嫌う理由を、私は知らない  作者: 花水木 鳥夢


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ゴージャスな男たち

午後一時五十二分。


紗季は床に散らばった弁当を見つめていた。


「……私、電話なんてしてません」


受付の女性は困った顔をした。


「でも、お名前も会社名も、全部おっしゃっていましたよ?」


「本当に、私じゃないんです」


まただ。


社内チャット。


免許証のコピー。


そして今度は、営業先への電話。


誰かが自分の名前を使っている。


しかも、今日ここへ来ることまで知っていた。


「その電話、何時頃でしたか?」


「確か……十時半くらいだったと思います」


十時半。


黒田から営業を命じられた、すぐあとだ。


紗季は息をのんだ。


「電話番号は残っていますか?」


「会社の電話なので、確認すれば分かるかもしれませんけど……」


「お願いできますか。私、本当に困っていて……」


受付の女性が答えようとした、そのときだった。


「おやおやおやぁ?」


奥の廊下から、妙に高い声が響いた。


「これは何ということでしょう」


カツン。


カツン。


革靴の音。


「我が社のエントランスに……お弁当が落ちているではありませんかぁ!」


紗季は顔を上げた。


そして、言葉を失った。


真っ白なタキシード。


胸元には、真紅のバラ。


金色の長い髪が腰まで流れ、首元では十五センチほどもありそうな巨大な襟が天に向かってそびえ立っている。


その男は、白い手袋をはめていた。


「社長!」


受付の女性が立ち上がった。


男は片手を上げた。


「ノン、ノン、ノン」


細い指を左右に振る。


「社長と呼ぶのは構いません。しかし、もう少し愛情を込めていただきたい」


男は胸のバラを指先で整えた。


「私は、ゴージャスマツタニ代表取締役――」


大きく両手を広げる。


「**松谷ゴージャスでございます!**」


紗季は、しばらく何も言えなかった。


名前もゴージャスなの?


松谷は紗季を見るなり、動きを止めた。


「……おや」


ゆっくりと目を細める。


「美しい」


「……え?」


「困惑した瞳。乱れた呼吸。床に落ちた弁当」


松谷は胸元に手を当てた。


「まるで悲劇のヒロインではありませんか」


紗季は後ずさった。


松谷は一歩近づき、急に顔をしかめた。


「しかし!」


「……はい?」


「靴底に、ご飯粒がついております」


松谷は白いハンカチを取り出した。


「このままでは、我が社の床が汚染されてしまいます!」


「す、すみません!」


紗季が慌てて弁当を拾おうとすると、松谷が叫んだ。


「ノォォォ!」


紗季の手が止まった。


「素手で触れてはいけません!」


「……え?」


「床に落ちた食品ですよ? 床というものは、あなたが想像する以上に汚れているのです!」


松谷は受付の女性を呼んだ。


「田辺さん! 使い捨て手袋! 消毒液! 新しいゴミ袋!」


「はい、社長」


「それから、私の靴も消毒を!」


「……はい」


「両足ですよ! 右足だけでは左右の美が崩れます!」


紗季は呆然と立っていた。


松谷は、そんな紗季に向き直った。


「失礼。取り乱しました」


そして、突然ウインクした。


「潔癖は、私の美学なのです」




「なるほど。デンジャラス弁当配達社」


応接室。


紗季は、松谷と向かい合って座っていた。


白い革張りのソファ。


ガラスのテーブル。


壁には巨大な肖像画が飾られている。


もちろん、松谷本人だった。


白いタキシード姿で、バラをくわえている。


「……あの、先ほどのお電話についてなのですが」


紗季が切り出すと、松谷は手を上げた。


「事情は田辺から聞きました」


「では……」


「私は、あのような電話を気にしません」


紗季は驚いた。


「……本当ですか?」


「ええ」


松谷は長い髪を肩の後ろへ払った。


「他人を偽物と呼ぶ人間ほど、自分自身が偽物であることに気づいていないものです」


「……」


「本物の美しさは、他人の評価では揺らぎません」


松谷は胸元のバラに触れた。


「例えば、私のように」


紗季は反応に困った。


松谷は満足そうに頷いた。


「ところで、水瀬さん」


「はい」


「そのお弁当、商品名は?」


紗季は企画書を差し出した。


「デンジャラス幕の内、ザ・ペンデュラムです」


沈黙。


松谷の瞳が、大きく見開かれた。


「……デンジャラス?」


「はい」


「デンジャラス……」


松谷はゆっくりと立ち上がった。


そして、両手を広げた。


「ゴージャス!」


「……はい?」


「デンジャラス! ゴージャス!」


松谷は交互に指を差した。


「似ている!」


「……え?」


「何と美しい響きでしょう!」


松谷は感極まったように天井を見上げた。


「まるで、生き別れた兄弟のようではありませんか!」


紗季は企画書を見た。


デンジャラス。


ゴージャス。


確かに、少し似ている。


少しだけ。


「水瀬さん!」


松谷が身を乗り出した。


「運命を感じませんか!」


「……そう、ですね」


「感じるでしょう!」


松谷は嬉しそうに笑った。


「決めました!」


「……何をでしょうか」


「このお弁当、我が社で取り扱いましょう!」


紗季は固まった。


「……え?」


「社員向けの昼食として、試験導入いたします!」


「ほ、本当ですか!?」


「ええ!」


松谷は手元の電話を取った。


「田辺さん! 総務担当を呼んでください!」


数分後。


総務担当の男性が現れた。


松谷は胸を張った。


「来月から、このデンジャラス弁当を導入したい」


「……デンジャラス?」


「我が社はゴージャス! あちらはデンジャラス! これほど素晴らしい組み合わせがありますか!」


総務担当は何とも言えない顔をした。


「……社長。お値段は?」


「二千三百円です」


松谷が答えた。


総務担当の顔が引きつった。


「……一食ですか?」


「一食です」


「社長、社員が毎日食べるには少々……」


「毎日とは言っていません!」


松谷は指を立てた。


「まずは月十回!」


「月十回……」


「社員向けに希望者を募り、一定数をまとめて配送してもらうのです!」


総務担当は計算機を取り出した。


「社員数が多いとはいえ、希望者が集まるかどうか……」


「集めなさい!」


「……はい」


「ただし!」


松谷の声が鋭くなった。


「社員に無理強いしてはいけません。私の美学に反します」


紗季は少し驚いた。


変わった人だけれど、意外とまともなことも言う。


松谷は紗季へ向き直った。


「配送条件と正式な見積書をいただければ、試験導入の手続きを進めましょう」


「ありがとうございます!」


紗季は深く頭を下げた。


五社のノルマ。


獲得した取引先は、一社。


ただし、ゴージャスマツタニは社員数が多い。


月十回の配送。


注文数量次第では、小さな取引先五社分を上回る売上になるかもしれない。


けれど、黒田がそれを認めるかは分からなかった。


「水瀬さん」


松谷が声をかけた。


「……はい?」


「また営業に来てください」


「もちろんです。正式な資料をお持ちします」


「ノン、ノン」


松谷は首を振った。


金色の長い髪が揺れた。


「資料の話ではありません」


「……え?」


松谷は胸のバラを一本抜き、紗季に差し出した。


「あなたとお話ししたいのです」


紗季の笑顔が固まった。


「……あ、ありがとうございます」


「私のような男性に出会う機会は、人生でそう多くありませんよ」


「……そうですね」


「ちなみに、この白いタキシードは特注品です」


松谷は襟を指差した。


「襟の高さは十五センチ」


「……はい」


「私の誇りの高さを表しております」


紗季は、もう何も言わなかった。


松谷はウインクした。


「あなたにも、いつかこの高さまで来ていただきたい」


紗季は心の中で呟いた。


**絶対に嫌だ。**




午後四時二十分。


紗季は会社へ戻った。


疲れ切っていた。


けれど、手元にはゴージャスマツタニの試験導入に関する確認メモがある。


少なくとも、何の成果もなかったわけではない。


それだけが救いだった。


「おっ!」


黒田が紗季を見つけた。


「お帰りなさーい! 我が社のスーパー営業ウーマン!」


嫌な予感がした。


「……ただいま戻りました」


「で?」


黒田は椅子に深く座った。


「何社?」


「一社、試験導入の方向でお話をいただきました」


黒田の目が細くなった。


「……一社?」


「はい。ゴージャスマツタニという会社で、社員向けに月十回の配送を検討していただけることに……」


「ぶっ!」


黒田が吹き出した。


「一社!?」


「……はい」


「お前、俺の話聞いてた?」


「聞いていました」


「五社って言ったよな?」


「はい。ただ、こちらの会社は社員数が多く、継続注文が見込めるので……」


「はい、出た!」


黒田が手を叩いた。


「一社を五社ってことにしたい水瀬さんの算数教室!」


紗季は黙った。


「一足す一は?」


「……二です」


「正解!」


黒田は大げさに拍手した。


「じゃあ、一社は何社?」


「……一社です」


「そう! 分かるじゃない!」


黒田は笑った。


「俺はな、売上の話なんかしてないんだよ。五社って言ってんの!」


「でも、会社としては売上が大きい方が……」


黒田の笑顔が消えた。


「……誰が口答えしていいって言った?」


紗季の肩が跳ねた。


「お前さあ、そうやってすぐ自分を正当化するよな」


「……」


「仕事で成果が出せない。だから勝手にルールを変える。で、上司に褒めてもらおうとする」


黒田は顔を近づけた。


「それ、子供のやることだぞ?」


「……申し訳ありません」


「何が申し訳ないの?」


「……」


「俺は理由を聞いてんの。謝れば許されると思ってんの?」


紗季は答えられなかった。


「お前のそういうとこ、ほんっと腹立つんだよ」


黒田が立ち上がった。


「一社しか取れないなら、一日何してたんだよ!」


そのとき。


「……係長」


声がした。


佐井賀しんじだった。


「今の話、ちょっといいですか」


黒田が振り向いた。


「何だよ、お前」


しんじは紗季の持つ資料を見た。


「月十回の継続配送って、結構大きな話じゃないですか」


「は?」


「少なくとも、成果ゼロじゃないですよね」


黒田の頬が引きつった。


「お前、別部署だろ。口出すなよ」


「別部署ですけど、聞こえたんで」


しんじは穏やかに続けた。


「それに正式な取引が始まるなら、先方との条件調整も必要ですよね。担当部署に引き継いだ方がいいと思います」


黒田は黙った。


「……お前さあ」


「はい」


「水瀬の何なの?」


紗季の心臓が跳ねた。


しんじは表情を変えなかった。


「同じ会社の社員です」


「へえ……」


黒田はじっとしんじを見た。


「……そうかい」


そして、突然笑った。


「いやあ、いいねえ。若い男は!」


誰も笑わなかった。


黒田は机の資料を指で叩いた。


「ま、そういうことなら、報告書まとめとけよ。水瀬」


「……はい」


「本当に注文来たら、だけどな!」


黒田は笑いながら去っていった。


紗季は大きく息を吐いた。


「……ありがとう、しんじ」


「大丈夫?」


「うん。助かった」


しんじは小さく笑った。


「よかった」


そして、少し声を落とした。


「最近、あの人ちょっとおかしいだろ。何かあったら一人で抱え込むなよ」


紗季は頷いた。


「……うん」


しんじは自分の部署へ戻っていった。


その背中を、黒田が遠くから見ていた。




午後六時四十分。


黒田は喫煙所にいた。


隣に立っているのは、営業部の真知岡課長。


黒田とは同期入社で、昔から気の合う男だった。


「……でよお、あの佐井賀ってやつがさあ」


黒田は苛立った様子で煙草をもみ消した。


「いちいち俺に逆らいやがるんだよ」


真知岡は鼻で笑った。


「佐井賀? ああ、あいつか」


「知ってんの?」


「真面目ぶってるやつだろ。融通利かねえんだよな」


黒田は頷いた。


「そうそう! ああいうのが一番ムカつくんだよ!」


「で、どうすんだ?」


黒田はしばらく黙っていた。


そして、にやりと笑った。


「……ちょっと教育してやろうと思ってな」


真知岡も笑った。


「教育ねえ」


「社会人としてのな」


二人は顔を見合わせた。


「ぶはははっ!」


喫煙所に、下品な笑い声が響いた。




翌朝。


しんじの机の上には、見覚えのない資料が積まれていた。


数百ページの営業実績表。


未処理の請求書。


古い顧客データの照合。


「……何だ、これ」


真知岡が近づいてきた。


「佐井賀。今日からこれ、お前の担当な」


「……え?」


「黒田から聞いたぞ。お前、仕事できるらしいじゃん」


真知岡は笑った。


「だったら、これくらい余裕だろ?」


「いや、これ、担当部署が違いますよね」


「はあ?」


真知岡の声が変わった。


「お前、上司に口答えすんの?」


「そういうわけでは……」


「じゃあ、やれよ」


真知岡は資料を叩いた。


「社会人なんだから」


しんじは黙った。


「あと、今日中な」


真知岡はそれだけ言って去った。


しんじは資料を見つめた。


「……マジかよ」


だが、これは始まりにすぎなかった。




翌日。


しんじの机の引き出しが、開かなくなった。


「……ん?」


少し引く。


何かが引っかかっている。


もう一度、力を入れた。


ズルッ。


引き出しが開いた。


その瞬間。


**べちゃっ。**


何かが床に落ちた。


唐揚げ。


卵焼き。


白米。


煮物。


引き出しの中は、油とソースで汚れていた。


「……は?」


しんじは固まった。


書類も、筆記用具も、全部べたべただった。


引き出しの奥には、空になった弁当容器が押し込まれていた。


蓋には、見覚えのある文字。


**DANGEROUS MAKUNOUCHI**


**THE PENDULUM**


「……何だよ、これ」


しんじは呆然と呟いた。


背後から、笑い声がした。


「ぶっ……!」


黒田だった。


「おおっ! 佐井賀!」


大げさに目を見開く。


「どうした!? 何かあったのか!?」


しんじは振り向いた。


「……係長」


黒田は引き出しをのぞき込んだ。


「うわっ! 汚ねえ!」


そして、鼻をつまんだ。


「お前さあ、机の中で弁当食ってんの?」


「……そんなわけないでしょう」


「えっ? 違うの?」


黒田は真知岡を振り向いた。


「おい真知岡! 見ろよこれ!」


真知岡がやってきた。


「うわ、何だこれ」


黒田は笑った。


「佐井賀が机ん中で弁当ぶちまけたらしいぞ!」


「……俺じゃありません」


しんじの声が低くなった。


黒田の目が細くなった。


「は?」


「誰かが入れたんです」


「誰かって誰?」


「それを調べたいんです」


黒田は急に真顔になった。


「……お前さあ」


しんじを指差す。


「証拠もないのに、人を疑うの?」


「……」


「そういうの、社会人としてどうなの?」


真知岡も頷いた。


「佐井賀。まずは自分の管理不足を反省したらどうだ」


しんじは二人を見た。


「……管理不足?」


「そうだよ」


真知岡は腕を組んだ。


「引き出しをきちんと管理してれば、こんなことにならなかったんじゃないか?」


黒田が笑った。


「そうそう! 自己責任! 自己責任!」


そして、しんじの肩を軽く叩いた。


「お前、この前は水瀬のこと守ってたよな?」


しんじの表情が変わった。


黒田は声を落とした。


「まず自分の机くらい守れよ」


「……」


「ぶはははっ!」


黒田は腹を抱えて笑った。


真知岡も笑っていた。


しんじは何も言わなかった。


ただ、汚れた引き出しを見つめていた。




昼休み。


紗季は、しんじの机の前で立ち尽くしていた。


「……何、これ」


引き出しの中には、まだ油の染みが残っている。


床には清掃用のペーパー。


ゴミ袋には、食べ物で汚れた書類。


「誰がこんなこと……」


しんじは苦笑した。


「分かんない」


「警察に相談した方が……」


「まずは会社に報告するよ。写真も撮ったし、書類が駄目になったことも記録してる」


紗季は胸が痛くなった。


「……私のせいだ」


「何で?」


「昨日、私を助けたから……」


しんじは首を振った。


「違うだろ」


そして、静かに言った。


「悪いのは、こんなことするやつだよ」


紗季は俯いた。


しんじは笑った。


「ほら、そんな顔すんなって」


いつもの笑顔だった。


けれど、その目の下には、濃い隈ができていた。


「……しんじ」


「ん?」


「無理しないでね」


「分かってるよ」


そう言って、しんじは汚れた書類を片づけ始めた。


紗季は手伝おうとした。


だが。


「水瀬さーん!」


遠くから黒田の声がした。


「何やってんのー! 他部署でデートですかー!」


周囲の社員が顔を上げた。


黒田はにやにや笑っている。


「おいおい、社内恋愛もいいけどさあ!」


紗季は拳を握った。


黒田は続けた。


「今度は佐井賀くんに、お弁当作ってあげたのかなあ?」


真知岡が吹き出した。


「ぶはっ!」


二人の笑い声が、フロアに響いた。


紗季は顔を上げた。


黒田が笑っている。


真知岡も笑っている。


しんじは、何も言わずに引き出しを拭いていた。


その姿を見た瞬間。


紗季の胸の奥で、何かが変わった。


**今度は、私のせいで誰かが壊されようとしている。**


そして。


**黒田たちは、まだ笑っている。**


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