第9話 弟
クラヴァスとユリアが会話を交わしているころ、話題の中心であるマテラでは急速に開発が進められていた。この辺りは荒涼とした山だが、洞窟などが点在しているため拠点として利用できると判断されたのだ。
目的はクラヴァスの予想した通り十の氏族の街道を塞ぎ人や物の移動を困難にさせるためであるが、その最終目標について現場で働いている人間は誰も知らない。
ただ、赤茶けた大地を働きアリのように淡々と作業をこなす。いや、事実彼らは働きアリだった。
何しろここにいる労働者の大部分は奴隷だったのだ。
「お、お許しを!」
トゥニカと呼ばれる簡素な半袖の服を着た男性はしりもちをつき、上等そうなトガを纏った役人に許しを請うていた。
この国では身分によって着るものが違い、特にトゥニカの上に羽織るトガの種類は法律で定められていた。
「許し? さっきからお前はなんだ? 奴隷の分際で……先ほどからまともに働いていないだろう!」
役人は鞭を携え、こんな僻地に飛ばされたうっ憤を晴らすように男に詰め寄る。
せめてもの抵抗として男は頭を抱え、痛みから身を守ろうとする。
そこに典雅な声が響いた。
「どうかいたしましたか?」
声の主は金髪碧眼という珍しい男性であり、道行く女性がいれば思わず見とれてしまうほどの凛々しい貌の持ち主だった。
身分を示すトガはそれほど上等なものではなかったが、たくましい肉体は身分よりも彼の戦歴を雄弁に語っていた。
「こ、これはグエナウス様。いや、実はこの奴隷が先ほどから怠けておりまして……」
「それは申し訳ない」
「い、いえグエナウス様が謝罪する必要は……」
「ここの奴隷の多くは我がピウス家が所有しているか借り受けたものです。であれば私に責があって当然でしょう。それともまさかあなたは不当な言いがかりでわが奴隷を傷つけるおつもりですか?」
「まさかまさか! そ、そのようなことはありませんとも!」
もみ手を擦りながら役人はそそくさと立ち去って行った。
この時代において奴隷は人間ではなく主の所有物として扱われていたが、一方で明らかに理不尽な暴力に対しては処罰が下されることもあった。
「グエナウス様……ありがとうございます」
「上に立つものとして当然のことです。少し木陰で休んでおきなさい。ただ、あまりにも休みすぎると口を挟む輩もいるでしょう。立ち上がれそうになってから仕事に戻りなさい」
はい、と頷き男性は木陰に向かった。
老人を見送ったグエナウスの後ろからひょっこりと八歳くらいの男子が顔をのぞかせた。
もしもここにゼノンかルクレチアがいれば大いに驚いただろう。その顔はクラヴァスそっくりだったからだ。
服装はグエナウスと異なるトガで、憧れを込めた瞳をグエナウスに向けたまま熱っぽく語る。
「義兄上は奴隷にもお優しいのですね! 寛大なお心、感服いたしました!」
「ただの人心掌握術の一つだよ、ルキウス。それとあまりかしこまらなくていい。本来なら君はナポリの貴族なのだから」
「ですがそれは昔の話です。家族は皆、焼け死にました」
ルキウス……まだ誰も知らないがクラヴァスの双子の弟……の家庭事情はかなり複雑だ。
原因不明の火災で家族のほとんどが死亡し、その後グエナウスのピウス家に引き取られた。本来なら他の貴族が引き取る予定だったのだが旧知の仲であったピウス家が割って入ったのだ。
ピウス家は裕福だが平民だったため、財産目当て、家格目当てと陰口を叩かれたもののピウス家の家長は本当に善意でルキウスを引き取ったのだ。
それを察しているルキウスはピウス家にも感謝し、特にグエナウスにはこんな僻地の任務にもついてくるほど懐いていた。
「そうだね。だから君はいつかコルネウス家を復興させる義務がある。微力ながら私も助力しよう」
「グエナウス様にそう言っていただけるのなら心強いです!」
花がほころぶような笑顔を浮かべたルキウスにグエナウスもまた微笑みを返す。
身分も、年も、目も髪の色も何かも違う二人だが仲の良い兄弟のように見えたのだった。




