第10話 犬とオオカミ
そして数日後、俺とおやじはルクレチアに頼まれた通り、マテラの町の近くまで来た。
「グル? クラヴァス。何が見える?」
「……」
「……クラヴァス?」
「え、あ、ああ。土を掻きだしたりしてるから……洞窟を掘り進めたり井戸を掘ったりしてるんじゃないかな」
リュカオンは犬と同じように動体視力や夜間視力が良いものの、遠くを見るのは苦手だ。だから遠くのものを観察する時、おやじは俺に頼むことが多い。
「グルウ……本格的な拠点を作ろうとしてるのかもな」
渋い顔をするおやじに対して俺は興奮を隠せなかった。
(そうだよ! マテラってどこかで聞いたことあるかと思ってたら洞窟住居で有名なマテーラじゃん! でもあれってローマがつぶれてからじゃなかったっけ!? いや、この世界じゃ歴史が違うのか?!?)
イタリアの洞窟住居として有名なマテーラは旧石器時代から人が住んでいたと見られるが、本格的な町として成立するのは15世紀以降になる。
一度は州都に選ばれるがその後衰退したものの世界遺産などにも登録され、知る人ぞ知る観光地なのだとか。
かなり歴史のある土地であるその町が今まさに切り開かれるとなると歴史好きとしては見逃せない。
(でもおやじは俺を人間に近づけたくないみたいだしなあ)
おやじが嘘をついているとは思わない。印落ちは人間社会にとって忌むべきものなのだろう。そうでなければ捨てられるはずがない。
(でも行ってみたいよな。ちょっとくらいなら……)
「クラヴァス。俺はひとまず様子を見てくる。お前はここに残れ」
「ん、ああ、了解。なんか注意することはあるか?」
「グルルル。蛇だな。この辺りの蛇は冬眠明けだと凶暴だ。特に洞窟で固まって冬眠している奴らには気をつけろ。一斉に襲ってくるぞ」
「わかったよ」
やけに聞き分けがいいな、とゼノンは考えたものの予想よりも拠点化が進んでいそうな様子に若干焦りを感じていたため急いで潜入の準備を整え始めた。
マテラの町に堂々と潜入という非常に矛盾した行動をとったゼノンは注意深く周囲に目を向けていた。
(大半は奴隷。だがそれは今からまさに拠点にするための労働力を確保できているってことだ)
「おう。そこの。旅商人か?」
ゼノンは役人らしき声をかけられたため立ちどまった。普段の狩人装束と変わらないが、リュカオンの魔法は服装さえもごまかしてしまう。
さらに心の中を潜入用に切り替え、口調すらも変えてしまう。
「へい。何かご入用ですか?」
「いや、許可証を見せてくれ」
「へい。もちろんでさあ」
ゼノンは適当な板切れを取り出して男に見せる。もちろん魔法によってそれは許可証に見えるはずだ。
しばらく眺めていた男は軽くうなずいた。
「よし。疑って悪かったな。商売をしたいならグエナウス様の元に行ってみるといい」
「ありがとうございやす。ところで、旅の安全を祈りたいんですがこのあたりに神殿はありやすか?」
「すまんが神殿はここにはないな。祠はいくつか設置してあるからそこで祈ってくれ」
それはどうも、と礼を言ってからゼノンは離れた。
(ノヴァローマの連中はクリフォトを更新して神殿にする。このあたりにクリフォトがあったって話は聞かねえから今の話に嘘はねえ。そして神殿が近くになけりゃ人間の魔法は威力が落ちる)
ゼノンは今までに何度も人間の町に潜入を繰り返しているおかげで演技は板についている。そうそう疑われることはないはずだった。
注意深く戦力や武器の類を確認するが、予想外の脅威が迫っていた。
金髪の男……の傍らに侍る犬だった。
(や、やべえ! 犬には俺の魔法が通用しねえ!)
リュカオンの魔法は動物にも有効だが、なぜか犬には一切の効果がなかった。
(頼む。吠えないでくれよ)
だがその祈りはむなしく、親の仇とばかりに犬はゼノンに吠えたてた。
近づくことはないものの、明らかに警戒する対象として認識しているようだった。
(くそ! やるしかねえ!)
壮絶な覚悟を決めたゼノンは人生でもう二度としないと決心した禁断の技を発動した。
「ひ、ひいいい! ど、どうして犬がこんなところにいいいい!?」
とてつもなく情けない悲鳴を出したゼノンは頭を抱えて地面にへたり込んだ。
それを見た周囲の人間のほとんどは生暖かい視線を向けながら苦笑した。
「こら、怯えているだろう。ほら、落ち着け」
金髪の男、グエナウスの部下らしき男性が犬を宥める。しばらくしてようやく犬は唸りながらも吠えるのをやめた。
それを見たゼノンは心の中では鋭い視線で、実際には情けなくほっとした様子で立ち上がる。
「ふう。感謝いたしやす、旦那」
「たいしたことじゃないさ。だがお前男のくせに犬が怖いのか?」
「へ、へえ。昔足を犬にかまれたことがあるんでさあ。それ以来どうもあいつらがだめで……そのくせあっしの姿を見るといつも吠えられるんでさあ」
「そうやって情けない姿をさらしているからだ。男らしく堂々としていれば犬だって吠えないさ」
「それできればいいんですがねえ……」
肩をすくめるゼノン。騒動を見守っていた野次馬も立ち去っていく。
「まあいい。旅商人だな。商いは規則を守れよ」
「はい。それはもちろん……ひ!?」
犬が歯をむき出しにするとゼノンはまた怯えたふりをした。その光景を見て誰もがゼノンを犬が嫌いな情けない商人だと思ったのだった。
……ただ一人を除いて。




