第7話 不穏な足音
木々を組み合わせ、粘土で無理矢理固定したような粗末な小屋をゼノンは視界に入れた。
勝手知ったる家ではあるのだが、十数年来の付き合いであるこの村の顔役をいまだに苦手にしていた。
扉がついておらず家と外の仕切りとして使われるシチリア島製ののれんをくぐった。
「入るぞ。ルクレチア」
その言葉にしわがれた声で返事があった。
「あら。坊やかい。久しぶりだねえ」
しゅるりととぐろを巻いていた下半身をほどき、上体を起こしたラミアは視線と舌をゼノンに向けた。
少しばかり皺の入った顔や、ざんばらに乱れた髪、けだるげな表情からそれ相応の年齢にしか見えないのだが、円熟した雰囲気はどうにも目を離せない色気があった。
「猪を狩ったから適当に使ってくれ。また冬に寄るかもしれん」
「ああ。あんたもあの子もいつでもここに帰ってきな。ついでってわけじゃないけどね。一つ仕事を頼まれちゃくれないかい?」
「どんな仕事だ?」
「偵察だよ。マテラって町だ。どうも人間どもがせわしない。またぞろ戦争でもおっぱじめるつもりじゃないかって疑ってるらしい」
その口ぶりからすると疑っているのはルクレチアではなく、もっと上の誰かということだろう。
リュカオンの魔法は潜入には向いている……というより、リュカオンでなければ人間の町に潜入することはできない。こういう仕事はゼノンに頼るしかないのだ。
「グル。報酬は?」
町への潜入はゼノンにとっても危険な任務であり、同時にタダ働きをさせるほどルクレチアも間抜けではないという信頼があった。
「好きな子を抱かせてやるよ」
「……まあそうだろうな」
クリフォトから産まれる十の氏族は子供を産むために交尾する必要がない。しかし性欲は存在し、それを解消する必要性があるのも事実だ。
さらに十の氏族は氏族によって性別が異なる。例えばラミアには女性しか存在せず、リュカオンには男性しか存在しなかった。
それゆえそういうことをするには必然的に異種族交友が必要になる。
「それとも久しぶりにあたしが抱いてやろうかい?」
これもゼノンがルクレチアを苦手とする理由だった。いろいろな意味で相手を自分より大人、と認識してしまうのだ。
「頼むからやめてくれ……いや、俺はともかくクラヴァスに手を出すなよ?」
「さすがに自分の乳をあげた子に手を出す気にはなれないねえ」
くっくっくっと愉快そうにルクレチアは笑う。
当たり前だがゼノンは母乳が出ない。
それゆえゼノンだけで子育ては不可能だった。人間の赤子を見たことはなくとも母乳で育つという知識はあったのだ。
最初は妊娠していた動物を狩ってしのいでいたが、すぐに限界が訪れると悟った彼は旧知のルクレチアを頼ることにした。
ラミアは本来子育てをする必要がない十の氏族のなかで唯一なぜか母乳が出せる種族だ。ほとんどゼノンに選択肢はなかったと言える。
それゆえにゼノンとクラヴァスはルクレチアに借りがあると感じ、頭が上がらないのだった。
「ま、楽しい昔話はここまでにしておこう。あんたクラヴァスにあのことは言ったのかい?」
真面目な顔になったクラヴァスは淡々と答えた。
「印落ちについては正確には伝えてない」
「そっちもそうだけどねえ……それよりあんた自身のことさ」
「……」
ゼノンは明らかに隠したいことがあると唸りすらせず黙る。
そういう彼の性格を誰よりも理解しているのがルクレチアかもしれない。
「しょせんあたしは傍観者さ。でも忘れないようにしな。あんまり時間がないよ」
「……わかってる」
風に乗って部屋に舞い込んできた木の葉がぴくりとも動かなくなる。その木の葉をゼノンはじっと見つめていた。




