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第53話 侮辱

 森林を抜け、背の低い草しか生えていない草原に差し掛かったバーリの軍隊は堂々と行進していた。

 その中央で騎馬にまたがっているのがアンドニウス・ロペス・クインクスだった。

 茶色い目に、くすんだ灰色の髪を後ろに撫でつけており、胸の鎧に軍功を挙げたことを示すプレートが取り付けられていた。

 彼は代理とはいえ執政官であり、バーリの最高責任者だった。まだ年齢が二十代としては考えられないほどの栄達だった。

 その立場にふさわしく、自信に満ちた表情で前途が明るいことを疑っていなかった。

 だが、前方の兵士たちが騒がしくなっていることに気づき、眉根を寄せた。

「どうかしたのか?」

 低い声で副官に尋ねると、副官は偵察を派遣し、やがてルコーラがアンドニウスの前に現れた。

 ノヴァローマでは主に騎兵は貴族が務め、歩兵は平民だった。ルコーラはアンドニウスの覚えが良かったため歩兵を統率する立場に抜擢された。

「は。それが……その……」

 ルコーラは木簡を持っており、それに何かがあるのは明白だった。

「なんだそれは? 何か書かれているのか?」

「ええ……その……」

 言い淀むルコーラにいら立ちが募ると、左側の森林地帯から妙な歌声が聞こえた。


『おお! 戦と一人の英雄の運命について私は歌おう! かのものの名はアンドニウス! 神々に翻弄され、代理執政官になった果報者! その胸の勲章は飾り! その軍功は家柄のおかげ! 自分ではなにもせずとも昇進する! これ以上に恵まれたものがいるだろうか! お前は実力に見合わぬ地位にいる! バーリに帰った方が身のためだ! お前は私を捕まえることなどできないだろう!』


「……」

 この歌声はクラヴァスがタラントから連れてきたセイレーンの歌手だった。かなりの距離が離れていたが、それでも波のような声が届くのはさすがだった。

 そしてアンドニウスは木簡にも同じような文言が書かれており、それゆえにルコーラは報告しづらかったのだと予想できた。

 アンドニウスは顔をひきつらせ、こう叫んだ。

「よかろう! 愚かな蛮族よ! 我々ノヴァローマを侮辱した罪、死を持って償え!」

 なお、侮辱したのはアンドニウスであってノヴァローマではないのだが、ノヴァローマを侮辱されたと曲解することで自分を侮辱した相手を追い詰める大義名分にしたのだ。

 その命令に従い、ノヴァローマの兵士たちは森へと進路を変更し始めた。


 だが、ほどなく森林に突入したノヴァローマの兵士たちは苦闘していた。

 森林に待ち構えていたのは主に小人のピュグマイオイである。小回りの利く彼らに対し、平原での会戦に重点を置いている兵士の武装は明らかに不利だった。

 さらに簡単な罠が張り巡らされた森は死傷者こそ少ないものの、誇り高い戦いとは程遠い地味な森狩りのため士気はあまり上がらなかったが、それでも人々は指示に従っていた。


「よし。いい調子だ。このまま続けろ。二日だ。そこまで釘付けにしろ」

 クラヴァスは別の場所で暗くつぶやく。計画は着々と進行していた。

 懸念点があるとすれば、兵士たちが黙々と作業していることだろうか。もう少し反感なり、離脱なりする兵士がいるかと思ったのだけど。

 こういう規律正しさもローマという国家の強みで、ノヴァローマにもそれは継承されているらしい。

 もしも前世の俺がみたら興奮したかもしれない。それはまさに思い描いていた古代ローマの軍隊そのものだったから。

「あ。そっか。ここまで来ても俺、ノヴァローマのことがそんなに嫌いじゃないんだな」

 ユリアを殺されたことは憎いし、怒りを感じる。でもそれはそれとして憧れて、知りたいと思っていたローマの子供、なのだ。ノヴァローマは。

 まあしかし、それはそれ。

 俺のローマに対するあこがれはノヴァローマと戦わない理由にはならない。


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