第54話 政治屋
「何故敵を見つけられん!」
薄闇が草原に帳を下ろし始めるころ、アンドニウスの怒号が響いた。
森林での戦いは犠牲こそ少ないものの、明確な収穫はほとんどなかった。冷静に考えれば得るもののない戦いなのだから当たり前だ。この戦いは完全にアンドニウスの私情だった。
それを誰よりもそれを当人が理解せず、責任を周囲に擦り付けていた。
「もしも明日までに進展がないのなら森に火を放て!」
それはゲリラ戦を行う相手には有効な戦術だが、統治者からすると土地を傷つける悪手で、兵士からすると戦いの機会を奪う愚策である。
とはいえ高圧的で太鼓持ちで回りを固めているアンドニウスに意見できるものなどいない。
(全く。使えん連中だ)
アンドニウスは心の中で悪態をつく。
何故誰も自分の期待に応えないのかといらだっていた。その苛立のせいでふと先日面会した子供、ルキウスのことを思いだした。
(あのがき……ルキウス……グエナウスの義弟だったとか……くそ。グエナウスめ)
グエナウスという名前を聞くだけであの男から受けた屈辱をいやでも思い出す。
アンドニウスとグエナウスが出会ったのはとある戦場だった。
(あの男! グエナウス! 私の部隊を救援したなどとほらを吹きおって……あのままでも私は逆転できた! そうすればあの男の手柄は私のものだった!)
牽強付会でしかない一方的な言い分だが、アンドニウスにとってそれはまさに真理なのだ。
(だが奴は死んだ。蛮族に討ち取られるとはな。しょせんあの男の実力はその程度だ。この戦いで私はもっと上に行く!)
心の中で決意を新たにふと北の空、バーリの方角を見た。
そして、そこに浮かぶ光を見た。月よりは瞬き、太陽ほど存在を主張しない遠くにある光を。
その少し前。
バーリの町は百の頭を持つラドンと海の怪物ケートスに襲われたような騒ぎになっていた。このような噂が流れていたためだ。
『漁船が水泳の魔法を持つセイレーンに襲われた』
『近くの山にミノタウロスたちが布陣している』
『海と陸から連動して蛮族が襲い掛かってくる』
事実としてバーリの城壁から見える山にはタラントの旗が翻っており、帰ってこない漁船がいた。
その噂はもうすでにバーリ中に広まっており、夜逃げの準備を始めている住民さえいた。
厄介なことに現在バーリには執政官がいない。だから決断は本来この町の住人ではない監察官にゆだねられ、それは実行された。
つまり、複数人による明かりの魔法の行使である。
その光は補給拠点にまで届き、リレー形式でアンドニウスのもとまで届いた。その意味はノヴァローマすべての都市で共通した意味を持つ。すなわち。
『敵に襲われている。至急救援を乞う』
その光を見たアンドニウスの脳裏に何が浮かんだか。都市が蛮族に焼かれる光景? 民衆が惨殺される姿?
否。
(このままでは私が執政官になれない!)
彼の関心は自分の政治的立場だけ。監察官が視察に訪れているところを襲撃されれば間違いなく彼の立場は悪くなる。なにしろ町を守るべき兵士を遠征に同行させたのは彼なのだ。
「バーリが襲われている! 直ちに帰還するぞ!」
「お、お待ちを! 今急いでも夜道は走れません!」
ローマお得意の街道ならいざ知らず、こんな整備されていない道を馬で走れば最悪命を落としかねない。
「構うものか! 少しでも早くバーリに戻らねば!」
必死で部下たちが制止し、結局少し戻ってから野営し、明日の朝早くバーリを目指すことになった。




