第36話 侵攻
「え、ええっと、神は唯一のものです」
「神に従い、神を信じれば傷は癒されます」
「神を信じ、善行を成し、徳を積めば天国への扉が開かれます」
「神を侮辱し、悪行を成せば地獄に落ちます」
五人はたどたどしく、俺から言われたことを広場の前で繰り返している。
「あのー……これ、意味あるんですか?」
俺の隣で横から見ていたカーチェの疑問はもっともだった。
「うーん……多分」
そして俺もちょっと同感だった。
こう……駅前の募金よろしく子供を客寄せに使おうとしたのだけれど……逆効果な気がしなくもない。
「まあ、ひとまず一日くらいやってもらおう。布教は一日にしてならず、だ」
語源を考えればかなり皮肉な言い回しだな、と思ってしまった。
「はい! で、私は何をしますか!」
「読み書きができるんだよな。ならひとまず模写でもしてもらおうかな」
活版印刷や木版印刷は現在開発中。インクの開発に難航中だ。
一番の難題は金属加工技術だけれど、こちらはキュクロプスに頼らないと無理そうだ。
キュクロプスはギリシャ神話にも登場する単眼の巨人で優秀な鍛冶師の一族だ。この世界でも鍛冶の魔法が使えるらしく、氏族側の金属加工の九割以上を担っているとか。
そう。
この世界では種族によって大きく得意不得意に差がある。
氏族ではないにせよこのデュラハンが得意とすることは何だろうか。
「クラヴァスさん? どうかしましたか?」
わきに抱えた首から声を出すカーチェ。
「ん……いや……」
それを見ているとどうにも、もっと別の使い方があるような気がしてならない。それが何なのかわからないけれど。
ふと空を見る。
真昼の太陽が俺たちを照らし……ふと、空に影を認めた。
「あれは……ハルピュイア?」
飛行の魔法を持つ氏族、ハルピュイア。
高度はあまり上げられないものの空を飛べるゆえに最速の氏族であり、氏族の連絡役を務めることも多い。問題なのは、その数。
ざっと見るだけでも四人。後続も含めればもっといる。
猛烈に嫌な予感に突き動かされる。
「カーチェ。悪い。布教は中止だ。シバ!」
「ワウウウ!」
「イレーネのところに行くぞ」
ハルピュイアがこれほど多く必要な火急の知らせ。
それが良い報告であるとはどうしても思えなかった。
俺は全速力で駆け抜けていた。
ハルピュイアが伝えてきた知らせはまさに最悪だった。
バーリの軍隊が侵攻を開始したという報告だった。
ただ、情報が錯綜しておりどれくらいの規模なのか、どのくらい侵攻が進んでいるのかまるで把握できていない。
(ああくそ! スマホでもあればな!)
とはいえ電気通信技術がなければこのくらいの情報の遅れは当然だ。むしろハルピュイアたちが頑張ってくれたぶんかなり迅速に対応できたとさえ言える。
当然ながらタラントの町はバケツをひっくり返したような大騒ぎだ。そのおかげで足を用意し損ねた。
「ワウウ!? どうして徒歩で向かうことになってるんですか!?」
「しょうがねえだろ! タラントは戦うかどうかすら迷ってんだよ!」
「ワウウウ!? 降伏するつもりですか!?」
「それはねえ。基本的にノヴァローマは氏族を皆殺しにする。でも逃げるのはありだ。今から五年くらい前にコゼンツァが襲撃されたからみんなビビってる」
コゼンツァはイタリア半島の足で例えると足の甲あたりにある都市で正確な発音はコンセンティアという都市だが、現在の地名の方がわかりやすいのでこう記しておく。
シチリア島へ侵入するには絶対に突破しなければならない重要な場所で、氏族にとっては絶対防衛線に該当する。五年前の戦いでは何とか退けたもののかなりの被害を出したらしく、その影響でこちらまで戦力を割く余裕がなくなっている。
つまりタラントは自力で防衛しなければならない。イレーネをはじめとしたタラントの有力者がしり込みするのも無理はない。
ここの有力者にはまだシチリア島という逃げ道がある。しかし大半の氏族はそうではない。タラントが落とされれば堤防が壊れたようにどんどんノヴァローマに侵略されるだろう。
だがそんなことよりも俺にとっての最大の問題は侵略されている場所にユリアが向かっていた村もあるってことだ。
避難が間に合えばいいけど、そうでなければどうなるか。
「でもその村って結構遠いですよね。今から急ぎ足じゃばてますよ!」
こう助言してきたのはついてきたカーチェだ。
デュラハンたちはもうどこへも行けない立場なせいか、明らかに危険な場所へ向かう俺たちへと同行を申し出た。
荷物持ちが増えるのは歓迎だったのでひとまず連れていくことにしたのだ。アザーレは置いてきた。あいつの足では俺たちについていけそうにないのだ。
「そうだな……ゆっくり急げ、だ。……ってこれアウグストゥスの言葉じゃねえか」
ゆっくり急げとは共和制ローマを終わらせた男で、ある意味古代ローマ最強の男だ。
この矛盾した言葉は急がば回れとか焦りは禁物とかそういう意味なのだが……古代ローマの代表格の言葉を引用してどうするんだ。
「あう……誰です?」
「ん、ああ気にするな」
(アウグストゥスは知られてないしノヴァローマは共和制みたいだから少なくとも紀元前の時代に転移したはず……あってるよな?)
転移、ないし転生において時間は正しく進んでいない。もしかしたら俺より後の時代の人間が俺より前に転生しているかもしれない。
ただそれなら超科学を持った文明が転移してきてクリフォトを作った……みたいなこともあり得るんだろうか。
(いや、今はそんなことはいい。たしかにカーチェの言う通りだ)
「悪い。ちょっと急ぎすぎた。でもできるだけ早足で向かうぞ」
たった数人でバーリの軍隊に戦えるわけはない。それでも急がずにはいられなかった。




