第34話 シラクサの現状
「おはようございます。お加減はよろしくて?」
扉を開けるとラフな町娘の格好をしたイレーネが立っていた。……この人は他人を驚かすのが趣味なのだろうか。
「どうぞ、イレーネ様」
「ええ、失礼いたします」
安普請の宿屋はかすかにきしむが、イレーネはそれを気にした風もない。
ちなみに十の氏族の部屋は大きめに作られていることが多い。ミノタウロスのように大柄な氏族のためだろう。
「おはようなんだ……イ、いれ……もが」
大声を出しかけたアザーレの口を塞ぐ。背が高いので全力で背伸びしなければならない。
「ミノタウロスの紳士さん。わたくしはここにお忍びで来ているのであまり大声を出さないでいただけるかしら」
アザーレはもちろんシバもこくこくと無言でうなずき口を手で塞いだ。こいつら純粋でわかりやすいなあ。
「どのようなご用事ですか?」
「たいしたことではありません。あなたの提案について返答しに来ました。まず布教は許可します。クリフォトも所有してもらって構いません。ですが、あなたをクラヴァスと認めてシチリア島への渡航許可を出すのは難しいかと」
「それは、何故?」
正直これが一番認められやすいかと思っていたのだけれど。
「やはりあなたはまだシチリア島の政治情勢に詳しくないようですね。まあ、タラントに直接かかわらないことですからしょうがないのかもしれませんが……敵ばかり見ていては足元をすくわれますよ」
「それは、どういう……?」
「シチリア島最大の都市シラクサ。そこの執政官がエルフによって召喚された転移者なのはご存じですか?」
「ええ。それは知っています」
古代ローマの執政官とは政治、軍事の最高責任者で大統領や首相に該当する役職だ。権力の集中を防ぐために執政官は常に二人いる……のだが、この世界のシラクサでは一人しかいないらしい。
タラントはそこまで役職が細分化されていないものの、シラクサは地球の共和制ローマに近い政治体制を取っているらしい。
エルフは氏族ではないものの、強い政治力と発言力を持ち、シラクサの中枢に強く食い込んでおり、エルフによって召喚された転移者、ないしは転生者がしばしば執政官に選ばれることがあるらしい。
俺がこの世界に転生したのもエルフの魔法によるものなのかは今のところはっきりしない。もしも俺の転生にエルフが関わっているなら……協力できるかもしれない。
が、どうも転移者のコンスルは俺とは反りが合わないかもしれない……だからクラヴァスの名を出すのをためらっているのかと思ったのだがその予想は裏切られた。
「シチリア島で政変がありました。すでに現在のコンスルは解任されています」
「な!?」
これは確かに重大なニュースだ。
いくら田舎で雌伏の時を過ごしていたとしても政治オンチにもほどがある。
「正直に言ってわたくしたちも混乱しています。なので今少し時間を頂けませんか?」
「承知いたしました。いえ、むしろ感謝いたします。貴重な情報を教えていただきました」
「いえいえ。これはお互いにとって良い話なのです。あなたがクリフォトを修理できるのなら、これ以上のことはありません。重ねてお礼申し上げます。ああ、ついでと言っては何ですが……ささやかながら私から贈り物をしたいと思います」
艶やかな微笑みを浮かべるイレーネに嫌な予感が抑えられないのだった。




