第22話 クリフォト
場所としてはルクレチアの村より少し東。
ノヴァローマの領土からはぎりぎり外れた場所。
おやじからもらった地図には一つだけ意図のわからない点があった。それが何か意味を持っている気がしてルクレチアに道を尋ねた。そしてそこにあったのは森にうずもれてしまいそうなクリフォトだった。
「そいつはリュカオンのクリフォトだね。……子を産まなくなってずいぶん経つがね」
ついてきたルクレチアが寂しそうに言った。
「おやじは……こいつを直そうとしたのか?」
「ああ。だが無理だったよ。鳴き声が聞こえたこともあるって言ってたが……それだけだ」
「クリフォトって鳴くの? 虫かよ」
「そういう話は聞いたことがあるけどね。意味も訳も分からないさ」
ルクレチアは諦めろと言外にほのめかしたがここで止まるわけにはいかない。
がっしりとした大木の前に立つ。それで何かが変わるかどうかはわからな……いや待て。
何か聞こえる。これは。
「英……語?」
確かにこれは英語だ。
この世界では基本的にラテン語がつかわれている。いや違う。ラテン語しか存在しない。
ノヴァローマの住民は多分ラテン語を話せる奴しかここに来なかった。十の氏族に至ってはクリフォトから知識を授けられるせいか、外国語というものを想像すらしていない。だから英語をただの鳴き声としか思えない。
(イヤイヤ待て。そもそもノヴァローマがこの世界に来てから四百年くらいのはず。多分共和制ローマのころに転移してきたはずだから俺が転生するまでに二千年以上の開きがある。時間の流れが違う? いやそれでもおかしい。クリフォトはノヴァローマが産まれるよりもずっと前にある。その頃って英語は存在するのか? ああくそ、そうじゃない!)
混乱する思考を打ち切ってヒアリングに集中する。大丈夫、俺は英検二級! ……いや、微妙だな。
「ええと……警告? 残量……不足……NM?」
やや癖のある英語が早口で流れているためかなり聞き取りづらい。
「自己……いや、自律修復……不可。NM供給なし? だからNMってなんだよ!」
Never mind(気にするな)? No mark(記録なし)? どっちも意味は通じない。
どん、とクリフォトを叩く。
するとわずかにアラームが変化した。
「え……NM供給1%? 俺が手を触れたから……か?」
だが何度触れても警告音は変わらない。なら、別の人間が触れれば?
後ろを振り返り叫んだ。
「ルクレチア! 頼みがある。俺が証拠隠滅を頼んだ人間をここに連れてきてくれ!」
ルクレチアとその村の住人がシュケルたちを連れてきた。
心配そうに俺を見つめるユリアに心配するなと言うように微笑む。
シュケル、ミーニィ、スート。
みんなぬいぐるみのような人形だった。三人は獣の遠吠えのような声を出している。もしかするとおやじの魔法の効果は声にも及んでいるのかもしれない。いや、それともまだ狂っているのか。
ああよかった。これなら何をしても気が咎めない。
がちがちに拘束しているから俺が襲われる危険はない。
一番大きな人形、多分シュケルの頭を掴み強引にくっつける。
残念ながら警告音は変わらない。ミーニィとスートも同じことをするとNM供給2パーセントという英語が聞こえてきた。
(NMは魔力みたいなもの……ミアズマのことか? いやでも人間にはミアズマがないんだよな? どういうことだ?)
わからない。
だが、ふと思い出すことがあった。
「ユリア。ノヴァローマの奴らが戦争を始める前に生贄を捧げることってあるよな」
「ええ。あるけど……クラヴァス。まさか……」
「うん。まあそういうこと」
短刀を抜き放つ。生贄という非生産的な行為が実は何らかの意味を持つ……例えば魔力のようなものを放出させる行為だったとしたら?
試す価値はある。
「待ちな。あたしがやるよ」
ルクレチアが俺をおもんばかってなのか前に進み出た。でも余計な心配だ。
「ありがとう。でも気にしなくていいよ。もうその程度のことでためらわないからさ」
躊躇なく人形の喉元を突く。
人形から綿がどんどんこぼれだす。すると。
「NM供給規定値到達……自己、修復……開始!?」
天上の福音を聞いた気分だ。どうやら俺の仮説は間違ってなかったらしい。クリフォトは灰色の光を放っており、動いて……いや、生きている気配がする。
「クラヴァス! これ……!」
「うん。ユリア。多分これで動……え?」
最後に警告文が聞こえたが、それは聞き逃せなかった。
「クラヴァス? どうかしたの?」
「いや……これならクリフォトはそのうち動き出すかもしれないってだけだよ」
やったあ、とユリアが喜ぶ。
周囲のラミアやピュグマイオイの中には涙ぐんでいる人もいる。それほど十の氏族にとってクリフォトは重要なものなのだ。例え他種族のものであってもそれが再び動き出したことは氏族にとって死者の復活以上の奇跡なのだろう。
(でもどういうことだ? 管理者不明による情報漏洩防衛措置の実施。……この言い方から考えると、クリフォトは誰かに創られたのか?)
ありえない話ではない。
クリフォトにせよ十の氏族にせよ進化論を真っ向から否定する存在だ。むしろ何者かに創られたと考えた方がしっくりくる。
そもそもこの世界自体古代ローマとその神話をパクって作られたようでもある。
(なら……この世界の謎を明らかにすれば……クリフォトをもっと使いこなせるようになる……そうすれば……もしかしたら……人類を地球に帰還させられる?)
クリフォトは完全なオーパーツだ。この世界の魔法にクリフォトが関わっている可能性は高い。
さらに、この世界に有益なものを召喚するエルフの魔法。なら、元に戻す魔法だってあるはずだ。クリフォトを調査し、エルフに話を聞けばそれがわかるかもしれない。
それが正しいことなのかはわからない。
それでも……もともとこの世界にいた人々を押しのけているノヴァローマを放置しておくことは……この世界に転生した個人としても、もともと地球にいた人類としても許してはいけない。
(やるしかない。もしもそれができないのなら……もう、ノヴァローマを……人類を……)
道筋は見えない。
だがそれでも……この時にようやく覚悟が決まった。
一方、グエナウスがいなくなったマテラでは。
「そんなことあるわけないでしょう! グエナウス様が蛮族に殺されたなんて!」
ルキウスが強い剣幕でまくしたてる。
グエナウスが情報を封鎖していたため真相を知る人間はいなかった。そのため行方不明になったグエナウスは偵察に来ていた十の氏族に殺されたと考えるしかなかったのだ。
「ですが全く行方がわからないので……」
マテラ開発の責任者であったグエナウスがいなくなったことでマテラは混乱し上に指示を仰ぐのが精いっぱいだった。
「う、ううううう!」
そしてルキウスは悲嘆に暮れていたが……突然彼は顔を上げてキマイラのように火を噴きそうなほど激しい怒りの言葉を吐いた。
「俺はここに誓う! 絶対に! グエナウス様を殺した蛮族を討つ!」
ルキウスもまた、覚悟を決めた。愛情を注いでくれた恩に報いると。
同じ血を分けた二人が巡り合うのはもう少し先の話だった。




