第15話 希望と絶望
がっくりとうなだれた俺に判決を告げる法の神のようにグエナウスはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「先ほども言ったが私たちは君を殺すことができない。だから……」
「俺に自分で死ねって言いたいのか……?」
「そうだ。それが誰も傷つかない結末だ」
「い、嫌に決まってんだろ。俺、悪いことしてねえのに……」
「だろうね。だからせめて……」
そう言うとグエナウスは自分の剣を抜きはらった。
ひ、と怯えながら壁に背中をくっつける。
だが予想に反してグエナウスは自分の左のてのひらを壁に磔のように押し当て……右手に持った剣で貫いた。
一瞬だけグエナウスは顔を歪めたが、すぐに表情を引き締めた。
「グエナウス様!?」
「な、何を!?」
「君の死を見届けた後、私は自ら命を絶つ。それがせめてもの君への情けだと思ってくれないか。この傷はその覚悟の証だ」
茫然とした。
この人は本気だ。
本気で自分の命に代えても俺を殺さなければならないと思っているし、強引にそうしないのは……何か事情があるのか、それとも本当にただの温情なのか。
俺は……もう、何を考えていいのかわからない。
しかし突然家の外側から声が聞こえた。
「グエナウス様? いらっしゃいますか!?」
「……どうやら私の部下が私を探しに来たようだな。レッダ。彼を拘束してから外に連れ出そう」
「は」
それからは水が流れるように事態が進んだ。
部下たちに俺が印落ちだと説明し、マテラには蛮族の斥候を見つけたから追って討伐すると報告しろと命令した。
多分なるべく印落ちについて広めたくないんだろう。シュケルたちはまだ狂ったままでどこかに隠しておくようにとも命じていた。
そうして俺はどこかの洞窟……扉がついていたからおそらく倉庫か独房のようなものとして使われている場所へと押し込められた。
ただし、一本の短剣を押し付けられて。
それの用途は明らかだ。
ほとんど光が差さない洞窟の中でも鈍く輝くそれを拾う。自分の体が自分のものじゃないみたいに動いている。
短剣を自分の喉元にあてがう。
手も指も震えて、冷汗が止まらない。呼吸も乱れっぱなし。
それでも一気に力を入れようとして。
短刀を思いっきり放り投げた。
「う、うげええええええ!?」
胃の中のものを吐きだす。そうでなければ正気を保てそうになかった。
「無理だよ……こんなの……」
日本の自殺者はおよそ年間二万人らしい。
二万人もの人がこの恐怖に耐えたのだろうか。あるいはその恐怖すら上回る苦痛を味わったのだろうか。
今の俺には想像もできない。
いや、したく、なかった。
洞窟の外。
部下たちから離れた場所で声をひそめてグエナウスとレッダが会話する。
「グエナウス様。私に彼の殺害をお命じください。いまさらこの命、惜しくはありません」
レッダは真剣そのものだったがグエナウスはうなずかなかった。
「ダメだ。おそらく神の裁きが降り注ぐのはお前だけではない」
「何故です。相手は身分すらない子供。私一人が犠牲になれば済むことです」
「いいや。彼の生まれは貴族だ」
古代ローマの法律は身分によって適用される法律が異なる。例えば貴族を傷つけるのと奴隷を傷つけるのでは罪の重さが違うのだ。
「なぜそのようなことがわかるのです?」
「……あの顔に見覚えはないか?」
レッダはようやくはっとした。
「まさか……ルキウス殿? いや、しかしルキウス殿はコルネウス家の唯一の生き残りでは……?」
「父上に聞いた話ではコルネウス家の細君は双子を妊娠していたようだ。そうするとおおよそ何が起こったのか推測できる。印落ちである彼が生まれたことを知られれば間違いなくコルネウス家は迫害される。しかし彼を殺せば神の裁きが下り、神殿の記録に残る。間違いなく誰かに勘づかれる」
「それを隠すために殺害ではなくどこかに印落ちを棄てた……?」
「さらに事故を装って全員が自害することで口を閉ざし、赤子を棄てた罪もなかったことにする。……ルキウスは赤子だから神のお目こぼしがあると思ったのだろう」
つまるところルキウスはコルネウス家唯一の希望であり、クラヴァスはコルネウス家すべての絶望であるということ。
……あるいはたとえ印落ちであっても赤子を棄てることへの罪悪感があったのかもしれない。いずれにせよ真相のすべてを明らかにするのは難しい。
「もしもここで私が彼を殺せば……」
「貴族殺しの罪で最低でも君と私は神の裁きを受ける。そして神殿にも記録される。それを辿れば誰かが彼とルキウスが双子であることに気づくだろう」
「……つまりあなたは誰よりもルキウス殿を……」
初めてグエナウスがルキウスにあったのは彼が生まれたての赤子だったころだ。それからすくすくと育つ姿を身近で目にしていた。
とても利発で……時折、妙な……まるでここではないどこかのことを話すようなことがあったが、子供のころのよくある空想の産物だろう。
「……ルキウスは私にとって弟も同然だ。彼を守りたいのだ。わかってくれないか」
「……承知いたしました。ですがこれからどうなさるおつもりですか?」
レッダから了承を取り付けたことでふう、とため息をついてからグエナウスは語り始める。
「まず数日間洞窟に閉じ込める」
「かつてのクラヴァス……いえ、テュポーンのように?」
およそ百七十年前、クラヴァス……現在のクラヴァスと分けるために先代クラヴァスと呼ぶことにする……先代クラヴァス、生まれながらの印落ちは周囲を大いに当惑させた。思案した彼の家族は彼を傷つけず、かつその動きを封じるため洞窟に閉じ込めた。
しかしそののち先代クラヴァスは話を聞きつけた十の氏族に助け出されたのだが……それはまた別の話だ。
「その通りだ。閉じ込めるだけならすぐに神の裁きはない。だが彼が飢え死ねば裁かれる。つまり彼の餓死が確認された瞬間に私が自害すれば神の裁きは起こらないはずだ。ただ……ここまで話した君も……」
「すでに覚悟はできてますよ……若旦那」
あえて初めて出会った呼び方でグエナウスを呼ぶレッダ。
「万が一にもこれ以上被害を増やすわけにはいかない。わたしたちを探しに来た部下の三人以外には詳細を知らせない。いいな?」
「は。もちろんです」
二人はお互いに笑いあった。少なくとも彼らがすでに死ぬ覚悟を決めているようには見えないだろう。




