↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
64/66

61 もう一度、婚約者としてではなく

卒業式の日は、よく晴れていた。


冬の名残を含んだ風はまだ冷たかったけれど、空は高く澄み、陽射しにはほんの少しだけ春の気配が混じっている。


貴族学校の講堂には、卒業を迎える生徒たちと、その家族が集まっていた。


厳かな式辞。


代表生徒の挨拶。


静かに響く拍手。


そのすべてを聞きながら、ラウラは胸の奥が少しずつ熱くなるのを感じていた。


今日で、この学院での日々が終わる。


そう思うと、不思議だった。


入学した頃の自分。


セドリックのことがわからず、婚約という言葉だけを重く感じていた頃の自分。


傷ついて、逃げたくなって、それでも向き合おうとした自分。


そのすべてが、今の自分へ続いている。


式が終わり、講堂を出る頃には、あちこちで別れの挨拶が交わされていた。


泣いている令嬢もいれば、笑顔で抱き合っている者もいる。


ラウラも級友たちと挨拶を交わしながら、胸の奥にこみ上げる寂しさを静かに受け止めていた。


「ラウラ様、今夜のパーティー、楽しみにしておりますわ」


「ええ。わたくしも」


「藤色のドレス、きっとお似合いですわ」


そう言われた瞬間、ラウラの頬に少しだけ熱が集まった。


藤色のドレス。


そして、セドリックが贈ってくれた髪飾り。


そのことを思い出すだけで、胸が落ち着かなくなる。


級友の一人が、楽しそうに目を細めた。


「……そのお顔。やはり、何かありますのね」


「何もありません」


「何もない方は、そのようなお顔をなさいませんわ」


ラウラは言い返せず、視線を落とした。


卒業式が終わった後、夕刻から卒業パーティーが開かれる。


生徒たちは一度それぞれの屋敷へ戻り、装いを改めてから再び集まることになっていた。


馬車に揺られて伯爵家へ戻る間、ラウラは膝の上でそっと手を握っていた。


胸の中にあるのは、寂しさだけではない。


期待。


緊張。


そして、ほんの少しの怖さ。


セドリックは、あの髪飾りを見たらどんな顔をするだろう。


似合うと言ってくれるだろうか。


いや、きっと彼はまた、見なくてもわかる、と言うのかもしれない。


そう思った途端、ラウラは自分で自分の考えに恥ずかしくなり、そっと窓の外へ視線を向けた。


伯爵家へ戻ると、侍女たちが待っていた。


淡い藤色のドレスは、すでに丁寧に整えられている。


薄く重なった布は、光を受けると淡い紫にも、薄い銀にも見えた。


派手ではない。


けれど、静かに目を引く色だった。


ラウラはそのドレスに袖を通し、鏡の前に座る。


髪を結い上げられながら、机の上に置かれた小さな箱を見つめた。


濃紺の箱。


その中にあるのは、セドリックが選んでくれた髪飾り。


「お嬢様、本日の髪飾りはどうなさいますか?」


侍女に尋ねられ、ラウラは少しだけ息を吸った。


「……そちらの箱のものを」


侍女が箱を開ける。


銀細工の髪飾りが、室内の灯りを受けて静かにきらめいた。


細い蔦のような白銀。


淡い藤色の石。


控えめな真珠。


侍女が一瞬だけ目を丸くする。


「まあ……とても素敵ですね」


「ええ」


ラウラは小さく頷いた。


「大切な方から、いただいたものなのです」


そう言った瞬間、自分の声が思ったよりやわらかく響いて、ラウラは少しだけ恥ずかしくなる。


侍女は何もからかわなかった。


ただ、やさしく微笑んで髪飾りを手に取る。


「では、一番美しく見えるようにいたしますね」


「お願いします」


髪飾りがそっと挿される。


鏡の中の自分は、いつもより少し大人びて見えた。


藤色のドレス。


銀細工の髪飾り。


そのどちらも、静かに自分を包んでいる。


ラウラは鏡を見つめながら、胸の奥で小さく呟いた。


――セドリック様。


どうか、変だと思われませんように。


けれど同時に、別の声もあった。


きっと、彼は変だとは言わない。


見なくてもわかると、また言ってくれる。


そう思える自分がいることに気づいて、ラウラは少しだけ微笑んだ。


夕刻。


卒業パーティーの広間には、すでに多くの生徒たちが集まっていた。


灯りに照らされた大広間は、昼間の講堂とはまるで違う表情をしている。


白い花。


淡い色のリボン。


磨かれた床。


卒業を祝う音楽が、穏やかに流れていた。


令嬢たちはそれぞれ華やかなドレスに身を包み、令息たちも改まった装いで談笑している。


ラウラが広間に入ると、何人かの級友がすぐに気づいた。


「ラウラ様」


「まあ、本当に素敵ですわ」


「藤色、とてもお似合いです」


「髪飾りも……ドレスにぴったりですわね」


その言葉に、ラウラは思わず髪飾りへ手を伸ばしそうになった。


けれど触れる前に、そっと手を下ろす。


「ありがとうございます」


「どちらで選ばれたの?」


「それが……」


答えに迷った瞬間、級友たちが意味ありげに顔を見合わせた。


「もしかして」


「やはり?」


「セドリック様から?」


ラウラは一瞬で頬を染めた。


それだけで、答えたようなものだった。


「皆さま、どうしてすぐに……」


「だって、ラウラ様のお顔が」


「とても大切そうになさっているから」


「それに、今のラウラ様、本当にお幸せそうですもの」


幸せそう。


そう言われて、ラウラは何も言えなくなった。


自分では隠しているつもりでも、やはりもう隠しきれていないらしい。


でも今日は、それを少しだけ許せる気がした。


「……そう見えますか」


小さく尋ねると、級友の一人がやさしく微笑む。


「ええ。とても」


その言葉に、ラウラの胸がじんわりと温かくなった。


その時だった。


広間の入口近くが、少しだけざわめいた。


ラウラは何気なくそちらを見る。


そして、息を止めた。


セドリックが入ってきた。


いつもの騎士学校の制服ではなく、夜会用の改まった装いだった。


黒に近い上着。


深い色の飾り布。


余計な装飾は少ない。


けれど、その襟元に、ほんのわずかに淡い紫が差されていた。


飾り布の縁に入った細い刺繍。


光の角度によって、藤色にも銀紫にも見える、ごく控えめな色。


ラウラは思わず、自分のドレスを見下ろした。


淡い藤色。


胸の奥が、どくんと鳴る。


まさか。


そう思った瞬間、セドリックがラウラを見つけた。


目が合う。


彼の表情が、止まった。


ほんの一瞬。


けれどその一瞬だけで、ラウラにはわかってしまう。


セドリックが、言葉を失っている。


彼は周囲の声など聞こえていないように、まっすぐこちらへ歩いてきた。


一歩。


また一歩。


近づくほどに、ラウラはどうしていいかわからなくなる。


「ラウラ」


低い声。


けれど、いつもより少しかすれていた。


「セドリック様」


ラウラは小さく礼をする。


その拍子に、髪飾りがかすかに揺れた。


セドリックの視線が、そこへ向かう。


髪飾り。


ドレス。


それから、ラウラの顔へ。


「……」


何も言わない。


ただ、見ている。


ラウラは耐えきれず、小さく口を開いた。


「あの……変ではありませんか」


セドリックの眉が、わずかに動く。


「変なわけがない」


即答だった。


「本当に?」


「本当だ」


「似合っていますか」


聞いてから、ラウラは自分で驚いた。


こんなふうに、自分から聞いてしまうなんて。


けれど、聞きたかった。


セドリックの言葉で。


セドリックは一瞬だけ黙った。


それから、低く言った。


「似合ってる」


胸が跳ねる。


花祭りの日と同じ言葉。


けれど、今はあの時よりずっとまっすぐ届いた。


ラウラが髪飾りにそっと手を添えると、セドリックの目元がやわらぐ。


「……想像していたより、ずっと綺麗だ」


ラウラは息を止めた。


「セドリック様」


「何だ」


「今日は……いつもより、言葉が甘くありませんか」


セドリックは少しだけ視線を逸らした。


「悪いか」


「悪くはありません」


「ならいい」


「よくはありません。心臓に悪いです」


そう言うと、セドリックはまたこちらを見た。


いつもなら、そこで黙るはずだった。


けれど今日は違った。


「悪い」


短く言ってから、少しだけ間を置く。


「でも、今のは言わない方が無理だった」


ラウラはもう、返す言葉を失った。


広間の灯り。


ざわめき。


遠くで流れる音楽。


そのすべてが一瞬、遠くなる。


セドリックの襟元に入った淡い紫が、灯りを受けてかすかに光った。


ラウラはそれを見て、小さく尋ねる。


「そのお色……」


セドリックは一瞬、動きを止めた。


「……気づいたのか」


「はい」


「そうか」


「もしかして、私のドレスに合わせてくださったのですか?」


セドリックは答えなかった。


けれど、耳がわずかに赤くなる。


それだけで十分だった。


ラウラの胸が、甘く締めつけられる。


「……とても、素敵です」


そう言うと、セドリックは少しだけ目を見開いた。


それから、低く答える。


「お前の隣に立つなら、このくらいは合わせた方がいいと思った」


ラウラは固まった。


「……そういうところです」


「何がだ」


「隠せていないところです」


「隠すつもりはあった」


「ありましたか?」


「少しは」


「少しだけですか」


「ああ」


あまりに正直で、ラウラは困ったように笑ってしまった。


すると、セドリックの目がまたその笑みに吸い寄せられる。


「……やっぱり、似合ってる」


「二度目です」


「足りない」


ラウラは今度こそ何も言えなくなった。


周囲から、ちらちらと視線を感じる。


それも当然だった。


セドリックは、ラウラを見たまま目を逸らさない。


ラウラもまた、彼の前で頬を赤くしている。


何かあったのだと、誰にでも伝わってしまうだろう。


けれど今日は、もう少しだけそのままでいたかった。


セドリックはそんなラウラへ、静かに手を差し出す。


「踊るか」


ラウラはその手を見る。


大きくて、少し硬い手。


けれど今は、ちゃんと自分を待ってくれている手。


「……はい」


ラウラはそっと手を重ねた。


音楽が流れる。


二人は広間の中央へ進み出た。


周囲の視線が集まるのがわかる。


けれど、セドリックの手に導かれると、不思議と怖くはなかった。


一歩。


また一歩。


ドレスの裾が床を淡く滑る。


髪飾りが、動くたびに小さく光る。


セドリックの襟元の薄紫も、ラウラのドレスと同じように、灯りの中で静かに揺れていた。


「緊張してるのか」


セドリックが低く尋ねる。


「少しだけ」


「俺もだ」


「セドリック様も?」


「ああ」


「そうは見えません」


「必死で隠してる」


「隠せていません」


ラウラがそう言うと、セドリックはほんの少しだけ口元を緩めた。


「なら、諦める」


「諦めないでくださいませ」


「無理だ」


その声が、いつもより近い。


近いと思った瞬間、ラウラは足を運ぶ順を少しだけ間違えた。


「あ……」


小さく体が傾く。


次の瞬間、セドリックの腕がラウラの背へ回った。


引き寄せられる。


強くはない。


けれど、逃げられないほど確かな力で。


ラウラは息を呑んだ。


胸元が、近い。


セドリックの肩。


襟元の薄紫。


低く落ちる息遣い。


全部が近すぎて、ラウラは一瞬、音楽の拍子すらわからなくなった。


「大丈夫か」


耳元に近い声。


ラウラの頬に熱が上る。


「……大丈夫、です」


「本当に?」


「はい」


「なら、戻る」


そう言いながらも、セドリックの腕はすぐには離れなかった。


ラウラが顔を上げると、彼もこちらを見ていた。


近い。


近すぎる。


けれど、その目は真剣で、少しだけ甘い。


「セドリック様」


「何だ」


「……近いです」


「離れた方がいいか」


そう聞かれて、ラウラはすぐに答えられなかった。


離れた方がいい。


そう言うべきなのに。


心臓は痛いくらい鳴っているのに。


嫌ではなかった。


むしろ、この腕の中が安心できることに気づいてしまって、余計に困る。


ラウラは小さく視線を伏せた。


「……少しだけなら、このままで」


言った瞬間、自分でも信じられないほど頬が熱くなった。


セドリックの腕に、ほんのわずか力がこもる。


「そうか」


低い声。


けれど、その一言だけで、彼がどれほど嬉しそうにしているのかわかってしまう。


「……また、嬉しそうです」


「悪いか」


「悪くありません」


「ならいい」


「でも、周りに見られます」


「見せておけ」


「セドリック様」


困ったように名前を呼ぶと、セドリックは少しだけ目を細めた。


「今だけだ」


「今だけ?」


「ああ」


彼はラウラを支えたまま、静かに踊りの流れへ戻す。


「今だけは、少し浮かれていても許せ」


その言葉に、ラウラの胸が震えた。


卒業式の夜。


淡い藤色のドレス。


セドリックがくれた髪飾り。


そして、彼の衣にひそかに入れられた同じ色。


その全部が、まるで二人だけの秘密のようだった。


ラウラはセドリックの手を握り直す。


ラウラは俯き、胸の高鳴りを隠すように小さく息を吸う。


けれど隠しきれない。


きっと、セドリックにも。


周囲にも。


何より、自分自身にも。


音楽がゆっくりと流れていく。


セドリックの腕に支えられながら、ラウラは思った。


この夜のことを、きっと忘れない。


淡い紫が灯りの中で揺れるたびに。


引き寄せられた一瞬の熱を思い出すたびに。


きっと何度でも、胸が鳴るのだろう。


やがて曲が終わり、拍手が広間に広がった。


ラウラは手を離そうとした。


けれど、セドリックはすぐには離さなかった。


強く握るわけではない。


ただ、ほんの少しだけ。


まだこの時間を終わらせたくないように。


「セドリック様?」


「少し、外に出られるか」


ラウラの胸が静かに鳴る。


何か大切な話がある。


その声で、わかった。


「……はい」


広間の端を抜け、二人は廊下へ出た。


卒業パーティーの音楽は、扉の向こうでやわらかく響いている。


廊下は少し静かだった。


窓の外には、夜の庭が見える。


冬の空気は冷たいはずなのに、ラウラの頬はまだ熱を持っていた。


セドリックはしばらく黙っていた。


ラウラも急かさない。


彼が言葉を探している時の沈黙を、今はもう怖いとは思わなかった。


やがて、セドリックが口を開いた。


「卒業したら、忙しくなる」


「はい」


「俺は騎士団に入る。家のことも増える」


「……はい」


「お前も、伯爵家のことがあるだろう」


「そうですね」


静かな声だった。


けれど、その奥にある緊張を、ラウラは感じ取っていた。


セドリックは一度、息を吐く。


「だから、先に言っておく」


「何をですか?」


彼がラウラを見る。


逃げない目だった。


昔は、いつも言葉を飲み込んでいた人。


今は違う。


ちゃんと、言おうとしてくれている。


「結婚しよう」


ラウラは息を止めた。


音楽が、遠くなる。


廊下の灯りも、窓の外の夜の庭も、一瞬、輪郭を失ったように感じた。


婚約者なのだから。


いつか、そうなることはわかっていた。


わかっていたはずなのに。


今の言葉は、胸のいちばん深いところへ落ちてきて、ラウラの中にあった冷静な考えをすべて奪ってしまった。


「……セドリック様」


名前を呼ぶだけで、精一杯だった。


嬉しい。


驚いた。


信じたい。


でも、胸がいっぱいで、どの気持ちから言葉にすればいいのかわからない。


ラウラは両手を胸の前で握りしめる。


「わたくし……」


続きが出てこなかった。


セドリックは、そんなラウラを急かさなかった。


ただ、まっすぐに見ている。


それが余計に、胸を震わせる。


「前のままでは嫌だった」


セドリックが低く続けた。


ラウラは顔を上げる。


「俺たちの婚約は、最初から俺たちだけのものじゃなかった」


「……」


「シーフが選んで、家同士が決めた」


その言葉に、ラウラの胸が小さく揺れた。


昔のことが、ふとよみがえる。


突然決まった婚約。


戸惑い。


自分の意思とは違うところで、未来が決まっていくような不安。


けれど今は、違う。


セドリックは、誰かに決められた婚約者としてではなく、自分の言葉でラウラの前に立っている。


「それが嫌だったわけじゃない。今は、感謝してる」


セドリックはまっすぐラウラを見た。


「けど、これから先は違う」


「……違う?」


声が震えた。


セドリックは頷く。


「俺が選ぶ。お前を」


その瞬間、ラウラの視界が滲んだ。


ずっと、どこかでほしかった言葉だったのかもしれない。


婚約者だからではなく。


家同士で決まったからではなく。


神獣が懐いたからでもなく。


ラウラ自身を、選ぶと言ってくれる言葉。


「……ずるいです」


こぼれた声は、自分でも驚くほど頼りなかった。


「何がだ」


「そんなふうに言われたら……」


喉の奥が熱くなる。


言葉が震える。


それでも、ラウラは逃げたくなかった。


セドリックが逃げずに言ってくれたのだから。


今度は、自分もちゃんと言いたかった。


「嬉しくて、何も考えられなくなります」


セドリックは一瞬、黙った。


それから、少しだけ困ったように眉を寄せる。


「……それは、悪かった」


「本当に思っていますか?」


「少しは」


「少しですか」


「嬉しいから、全部は謝れない」


その言葉で、もう駄目だった。


ラウラは涙をこぼさないように、小さく息を吸う。


そして、震える声で言った。


「……はい」


セドリックが動きを止めた。


「はい、とは」


ラウラは顔を上げる。


頬は熱い。


胸は苦しい。


けれど、目の前の人からもう逃げたくなかった。


「私も、セドリック様と結婚したいです」


言えた。


ちゃんと、自分の言葉で。


セドリックはしばらく何も言わなかった。


ただ、ラウラを見ていた。


その顔が、いつものように不器用で。


けれど、隠しきれないほど嬉しそうで。


ラウラは涙が出そうなのに、少しだけ笑ってしまった。


「また、隠せていません」


「……今日は無理だ」


「またですか」


「一生に一度だろ」


その言葉に、ラウラの胸がまた震えた。


廊下の向こうでは、卒業を祝う音楽が流れている。


終わりの日。


けれどラウラには、その日が何かの始まりのように思えた。


セドリックが静かに手を差し出す。


「戻るか」


ラウラはその手を見つめた。


さっきまでとは違う手に見えた。


婚約者として差し出された手ではなく。


これから先を一緒に歩くための手。


そう思ったら、また胸がいっぱいになる。


「……はい」


ラウラはその手を取った。


今度は、迷わなかった。


広間へ戻れば、きっとまた誰かに気づかれる。


髪飾りをつけたラウラと、衣に淡い紫をまとったセドリック。


二人の間に変わったものがあると、誰かが察するかもしれない。


けれど、もうそれが少しだけ怖くなかった。


セドリックの手は、確かにラウラを支えている。


そしてラウラも、その手をそっと握り返した。


かつて家同士に結ばれた婚約は、この夜、ようやく二人自身の約束になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。