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60 贈りたい色

ラウラから卒業パーティーのドレスの色を聞いた、その日の夜。


侯爵家へ戻ったセドリックは、自室の机の前でしばらく黙っていた。


机の上には、いくつかの小さな箱が並んでいる。


銀細工の髪飾り。


淡い紫の石をあしらった櫛。


真珠の小さな飾り。


どれも、卒業祝いにふさわしいものとして、宝飾商が持ってきた品だった。


けれど、セドリックはなかなか決められなかった。


藤色。


ラウラはそう言っていた。


淡い藤色のドレス。


あまり派手ではない、と少し遠慮するように。


だが、セドリックにはその色が似合わないとは少しも思えなかった。


むしろ、見なくてもわかる。


きっと似合う。


やわらかくて、控えめで、けれど目を離せなくなるような色。


ラウラらしい色だと思った。


「……」


セドリックは小さく息を吐いた。


問題は、髪飾りだ。


本人はまだ決めていないと言っていた。


だから、何か贈れればと思った。


ただ、それだけだ。


それだけのはずなのに、こうして並べてみると、どれも違う気がしてくる。


華やかすぎるものは、ラウラが困る。


地味すぎるものは、卒業パーティーには寂しい。


派手な宝石を大きく飾ったものなど論外だった。


きっとラウラは、身につける前に遠慮する。


いや、そもそも受け取る時点で困る。


そう考えると、また選べなくなる。


「……わからん」


低く呟いた。


だが、面倒だと思っているのは選ぶことではない。


ラウラに似合うものを、自分がちゃんと選べるのか。


それが妙に難しいだけだった。


その時、扉のそばで小さな物音がした。


振り返ると、銀色の影が静かに入り込んでくる。


「シーフ」


セドリックが名を呼ぶと、銀狼は返事をするように尾を一度揺らした。


そして、机の上の箱をじっと見上げる。


「お前には関係ない」


そう言ったものの、シーフは当然のように近づいてきた。


金色の瞳が、並んだ髪飾りを順に見ていく。


まるで品定めでもしているようだった。


セドリックは眉を寄せる。


「……何だ」


シーフは答えない。


ただ、鼻先でひとつの箱を軽く押した。


淡い紫の石と、小さな真珠をあしらった銀細工の髪飾りだった。


派手ではない。


けれど、光に当たると白銀の蔦のような飾りが静かにきらめく。


中心には、藤色に近い石がひとつ。


その周りに、小さな真珠が控えめに添えられている。


セドリックはその箱を手に取った。


「これか」


シーフは尾を揺らした。


まるで当然だと言うように。


「……お前が選ぶのか」


シーフは、ふん、と鼻を鳴らした。


セドリックはしばらく髪飾りを見つめていた。


たしかに、悪くない。


華やかすぎない。


それでいて、卒業パーティーにふさわしい。


藤色のドレスにも合うだろう。


そして何より、ラウラがつけても困りすぎない気がした。


いや、困るかもしれない。


きっと困る。


けれど、受け取ってくれるかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥に落ち着かないものが広がった。


「……これにする」


セドリックがそう言うと、シーフは満足そうに目を細めた。


その様子が妙に偉そうで、セドリックは眉を寄せる。


「お前が贈るわけじゃない」


シーフはもう一度鼻を鳴らした。


まるで、わかっている、とでも言いたげだった。


セドリックは箱の蓋をそっと閉じた。


その手つきは、自分でも少し慎重すぎると思うほどだった。


卒業式まで、あとわずか。


その日、ラウラがこの髪飾りをつけるかどうかはわからない。


無理に身につけろとは言わない。


困らせたいわけではない。


ただ。


ラウラが藤色のドレスを選んだと聞いた時から、その姿を見たいと思ってしまった。


そして、その髪に、自分が選んだものがあったら。


そこまで考えて、セドリックは思わず眉間にしわを寄せた。


「……浮かれてるな」


小さく呟く。


シーフがこちらを見た。


その金の瞳が、何を今さら、と言っているように見える。


セドリックは視線を逸らした。


「見るな」


シーフは尾を揺らしただけだった。


数日後。


卒業式を前に、学院はますます浮き立っていた。


授業の内容は少しずつ軽くなり、廊下では卒業後の予定やパーティーの話ばかりが聞こえてくる。


ラウラも、少しだけ落ち着かなかった。


淡い藤色のドレスは、すでに仕立て上がっている。


手袋も靴も決まった。


けれど、髪飾りだけはまだ迷っていた。


母が用意してくれた真珠の飾りも素敵だった。


控えめな銀の櫛も悪くない。


けれど、どれを選んでも、あと少しだけ何かが足りない気がしてしまう。


自分でも理由はわからない。


ただ、卒業パーティーという特別な日に、何かひとつだけ、胸に残るものを身につけたいと思っていた。


そう思ってしまう自分が、少し不思議だった。


放課後。


校門を出ると、冬の空気が頬を冷やした。


今日も、いつもの場所にセドリックが立っていた。


黒い外套。


少し不機嫌そうな顔。


けれど、ラウラを見つけた瞬間、目元がわずかにやわらぐ。


その変化に気づくたび、ラウラはまだ胸が跳ねる。


「お疲れさまです、セドリック様」


「ああ」


「今日は騎士学校の方はよろしいのですか?」


「終わった」


「そうですか」


会話は短い。


けれど、それで十分だった。


並んで歩き出そうとした時、セドリックが珍しく立ち止まった。


「ラウラ」


「はい」


「少し、渡したいものがある」


ラウラは瞬きをした。


「私に、ですか?」


「他に誰がいる」


「そうですけれど……」


不意打ちだった。


セドリックが何かを渡すなど、あまりない。


いや、最近の彼ならあり得るのかもしれない。


けれど、慣れないものは慣れない。


ラウラが少し身構えると、セドリックは外套の内側から小さな箱を取り出した。


濃紺の箱。


手のひらに乗るほどの大きさだった。


「卒業祝いだ」


ラウラは息を止めた。


「卒業祝い……」


「ああ」


「私に?」


「だから、そうだと言ってる」


いつものように少しぶっきらぼうな言い方。


けれど、箱を持つ手は妙に慎重だった。


それだけで、ラウラの胸が小さく鳴る。


セドリックは人の流れから少し外れた場所へ、ラウラを促した。


校門からは見えるけれど、行き交う生徒たちの邪魔にはならない場所だった。


それだけの気遣いが、何だかひどくセドリックらしくて。


ラウラは箱を見つめたまま、小さく息を吸った。


「開けてもよろしいですか?」


「そのために渡した」


「……はい」


ラウラはそっと箱を受け取った。


指先に、箱の冷たい感触が伝わる。


蓋を開けると、そこには銀細工の髪飾りが入っていた。


細い蔦のように編まれた白銀。


淡い藤色の石。


控えめに添えられた小さな真珠。


派手すぎず、けれど確かに華やかで。


見た瞬間、ラウラは言葉を失った。


「……綺麗」


思わずこぼれた声は、自分でも驚くほど小さかった。


セドリックは視線を逸らした。


「藤色に合うと思った」


その一言で、ラウラの胸がいっぱいになる。


あの日の帰り道。


セドリックがさりげなく聞いた、ドレスの色。


髪飾りのこと。


あれは、このためだったのだ。


「……覚えていてくださったのですか」


「聞いたからな」


「それだけでは、普通は選んでくださいません」


「そうなのか」


「そうです」


ラウラがそう言うと、セドリックは少しだけ困ったように眉を寄せた。


「迷惑だったか」


「いいえ」


即答してから、ラウラは自分の声の強さに少し驚いた。


慌てて視線を落とす。


「迷惑ではありません。とても……嬉しいです」


言葉にした途端、頬が熱くなる。


けれど、これはちゃんと言いたかった。


セドリックはしばらく黙っていた。


その沈黙が気になって顔を上げると、彼はどこか落ち着かない顔をしていた。


「……ならいい」


短い返事。


けれど、その声は隠しきれないほどやわらかかった。


ラウラは箱の中の髪飾りをもう一度見る。


「本当に、素敵です」


「無理につけなくていい」


「え?」


「他に決めているものがあるなら、それでいい」


セドリックは少しだけ視線を外したまま続けた。


「ただ、似合うと思っただけだ」


ラウラは胸がきゅっとなった。


本当に、この人は。


押しつけない。


けれど、ちゃんと気持ちをくれる。


それが、不器用で、優しくて、どうしようもなく嬉しい。


「つけます」


ラウラは静かに言った。


セドリックがこちらを見る。


「いいのか」


「はい」


「無理しなくていいと言った」


「無理ではありません」


ラウラは箱を胸元に寄せる。


そして、小さく微笑んだ。


「私が、つけたいのです」


言った瞬間、セドリックの目元がわずかに揺れた。


ほんの少し。


けれど、ラウラにはわかった。


嬉しいのだ。


彼はそれを隠そうとしている。


けれど、最近はもう、あまり上手ではない。


「……そうか」


「はい」


「なら、よかった」


それだけの言葉なのに、胸が温かくなる。


校門前には、まだ生徒たちがいた。


きっと何人かは、こちらを見ている。


けれど今のラウラには、少しだけ気にならなかった。


箱の中の髪飾りが、冬の薄い光を受けて静かにきらめいている。


卒業パーティーの日。


淡い藤色のドレス。


そして、セドリックが選んでくれた髪飾り。


そのすべてを思うと、胸が落ち着かなくなる。


「セドリック様」


「何だ」


「卒業パーティーの日、変ではなかったら……」


「変なわけがない」


言い終える前に返されて、ラウラは目を瞬いた。


「まだ、見ていません」


「見なくてもわかる」


前にも聞いた言葉だった。


けれど今は、その言葉の重みが少し違う。


髪飾りを選んでくれた人が言うから。


その日を楽しみにしてくれている人が言うから。


ラウラはたまらず、少しだけ笑ってしまった。


「本当に、真っ直ぐすぎます」


「曲げる必要がない」


「少しはあります」


「ない」


きっぱりと言い切るセドリックに、ラウラはまた笑った。


すると、セドリックはそれを見て、ほんの少しだけ目を細める。


その表情が、やっぱり隠しきれていなくて。


ラウラは胸の奥が甘くなるのを感じた。


馬車の前まで来ると、御者が扉を開ける。


ラウラは箱を大切に抱えたまま、乗り込む前に振り返った。


「セドリック様」


「何だ」


「ありがとうございます」


「もう聞いた」


「何度でも言いたいのです」


そう言うと、セドリックは少しだけ黙った。


それから、低く答える。


「……なら、何度でも聞く」


ラウラの胸が跳ねた。


まただ。


また、こういうことを急に言う。


けれど、もう少しだけ慣れてきた。


慣れてきたというより、受け止めたいと思えるようになってきた。


「では、また言います」


「ああ」


ラウラは小さく笑い、馬車へ乗り込んだ。


窓越しに見えるセドリックは、いつものように無愛想な顔をしている。


けれど、ラウラにはわかる。


今日の彼は、少しだけ嬉しそうだ。


そして自分もきっと、同じ顔をしている。


馬車がゆっくりと動き出す。


ラウラは膝の上に置いた箱を、そっと両手で包んだ。


淡い藤色の石が、箱の中で静かに光っている。


卒業式まで、あと少し。


終わりの日が近づいている。


けれどラウラの胸には、寂しさよりもずっと大きなものが灯っていた。


セドリックがくれた髪飾り。


その小さな輝きが、これから始まる何かをそっと示しているように思えた。

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