56 返書を受けて
ローデンベルク伯爵家にその返書が届いたのは、翌日の午後だった。
書斎の窓からは、雨上がりのやわらかな光が差し込んでいる。
庭の緑はいつもより深く、濡れた葉先が静かに光を返していた。
アルベルトは侍従から封書を受け取った時、その差出人を見て、ほんのわずかに目を伏せた。
リンドグレイ伯爵家。
それが誰からのものか、考えるまでもなかった。
「……ありがとう。下がってくれ」
侍従が静かに一礼して退く。
書斎に残ったのは、紙を包むかすかな音だけだった。
アルベルトはしばらく封書を見つめていた。
急がなくてもいい。
返事は求めない。
そう書いたのは自分だ。
だからこそ、こうして返事が来たこと自体が、ラウラ・リンドグレイという人らしいと思った。
静かに封を切る。
便箋を開く。
そこに並ぶ整った文字を見た瞬間、アルベルトは小さく息をついた。
読み進める間、表情はほとんど変わらなかった。
ただ、最後まで読み終えたあと、便箋を持つ指先にわずかな力が入る。
返事は、丁寧だった。
誠実で、やわらかくて、それでいて曖昧ではなかった。
自分の気持ちに、同じ形では応えられない。
その言葉は、決して飾られてはいなかった。
けれど、冷たくもなかった。
それでも、受け取った言葉を軽んじてはいないことが、行間から静かに伝わってくる。
ラウラらしい手紙だった。
アルベルトはしばらく、便箋の上に目を落としたまま動かなかった。
胸の奥が痛まないわけではない。
もし違う時期だったなら。
もし別の形で向き合えていたなら。
そんなことが一瞬も浮かばなかったと言えば、嘘になる。
けれど、それ以上に胸へ落ちたのは、妙な納得だった。
ラウラは、逃げるために誰かを選ぶような人ではない。
ちゃんと迷って、ちゃんと悩んで、最後は自分の気持ちで決める人なのだと、最初の手紙を書いた時からどこかでわかっていた気もする。
だから、この返事は残酷ではなかった。
むしろ、まっすぐだった。
「……そうか」
誰に聞かせるでもなく、アルベルトは小さく呟いた。
それから便箋を丁寧に折りたたみ、封筒へ戻す。
未練がないわけではない。
惜しくないわけでもない。
けれど、無理に伸ばした手が届かなかったのなら、それを追うべきではないと知っている。
あの人の誠実さに報いるなら、自分もまた、静かに身を引くべきだ。
窓の外では、雨上がりの風が木々を揺らしていた。
アルベルトは立ち上がり、書斎の窓辺へ歩み寄る。
庭の先に咲く白い花が、濡れたまま静かに光を受けていた。
「……どうか、お幸せに」
その言葉は、もう誰にも届かなくてよかった。
それで十分だった。
アルベルトはほんの少しだけ目を細めると、便箋を机の引き出しへしまった。
思い出として残すためではない。
ただ、きちんと終わったものとして、自分の中に収めるために。
書斎の扉の向こうから、午後の穏やかな気配が流れ込んでくる。
アルベルトは静かに背を向けた。
もう、このことでラウラを煩わせることはない。
そう決めた足取りは、寂しさを残しながらも、不思議と乱れてはいなかった。




