幼馴染としては(エリオット視点)
セドリックが訓練場を出ていくのを、エリオットはしばらく黙って見送っていた。
大股で歩く背中は、いつもと変わらないように見える。
姿勢はまっすぐで、迷いがなくて、近づきがたいほど隙がない。
けれど、エリオットにはわかった。
あれは、平静ではない。
たぶん今、セドリックの中では、怒りと焦りと、本人がまだうまく名前をつけられない感情が、めちゃくちゃに絡まっている。
「……わかりやすいんだか、わかりにくいんだか」
エリオットは小さく笑って、杯に水を注いだ。
セドリックは昔から、肝心なところで言葉が足りない。
剣を持たせれば迷わない。
敵を前にすれば判断も早い。
誰かを守るとなれば、自分のことなど後回しにして動ける。
なのに、人の気持ちのことになると、途端に不器用になる。
特に、ラウラのことになると。
小さい頃は、そんなセドリックを見るのが面白かった。
庭先でラウラに声をかけられただけで、妙に口数が減ること。
言いたいことがあるくせに、わざとぶっきらぼうな言い方をすること。
ラウラが別の誰かと楽しそうに話していると、明らかに不機嫌になるくせに、本人に聞かれれば「別に」とそっぽを向くこと。
わかりやすいな、と思っていた。
面倒くさいな、と笑っていた。
そのうち本人たちも気づくだろうと、どこか気楽に見ていた。
けれど最近は、少し違う。
笑ってばかりもいられなくなってきた。
セドリックの不器用さは、ただの照れ隠しでは済まなくなっている。
言わないこと。
言い方を間違えること。
本当の気持ちとは逆の態度を取ってしまうこと。
それが、ラウラにはまるで別の意味で届いてしまった。
好かれていないのだと。
大事にされていないのだと。
自分ではなく、他の誰かの方がふさわしいのだと。
そう思わせるには、十分すぎるほどに。
「……昔は、見てるだけで面白かったんだけどな」
エリオットは小さく息を吐いた。
幼馴染だからわかる。
セドリックは、ラウラを軽く見ているわけではない。
むしろ逆だ。
大事にしすぎて、どう扱えばいいのかわからなくなっている。
けれど、そんなことはラウラには伝わらない。
伝わらなければ、ないのと同じだ。
セドリックの中にどれだけ不器用な好意があっても、それが冷たい言葉やそっけない態度になってしまえば、受け取る側は傷つく。
そしてラウラは、もう十分に傷ついている。
エリオットは、先ほどのセドリックの声を思い出した。
――見てるわけないだろ。
低くて、鋭くて、それでいて迷いのない声だった。
あれは、ただの嫉妬ではない。
もちろん、嫉妬もあっただろう。
ローデンベルク伯爵家のアルベルト。
彼がラウラに手紙を送ったと聞いた瞬間、セドリックの顔色は見事なくらい変わった。
本人は隠したつもりかもしれないが、あれで隠せていると思っているなら相当重症だ。
けれど、その反応を見て、エリオットは少しだけ安心もした。
焦っている。
悔しがっている。
失いたくないと思っている。
なら、まだ間に合う。
「……問題は、その先だよね」
エリオットはため息まじりに呟いた。
動けばいい、というものではない。
夜会に出る。
ラウラに会う。
言葉を交わす。
そこまではいい。
問題は、そこでセドリックが何を言うかだ。
まさかまた、眉間にしわを寄せたまま「手紙の返事はどうするつもりだ」などと詰め寄るつもりではないだろうか。
あり得る。
とてもあり得る。
想像しただけで、エリオットは額に手を当てた。
「だめだな。絶対、釘を刺しておかないと」
ラウラは、きっと簡単には頷かない。
それは当然だ。
今までずっと、自分の気持ちを置き去りにされてきたのだ。
セドリックが少し本音を見せたくらいで、すぐに全部を信じられるはずがない。
むしろ、信じたいからこそ怖いのだろう。
あの令嬢は、弱くない。
ただ、もう子どもの頃のように、思ったことをそのまま口にできる立場でも年齢でもない。
だからこそ、セドリックがまた言葉を間違えれば、今度こそ本当に離れていくかもしれない。
「君が怖い顔をするたびに、ラウラがどう受け取ってきたか……本人はわかってるのかな」
エリオットは空を見上げた。
春の終わりの青は、少しずつ夕方の色を含み始めていた。
小さい頃なら、それでもよかった。
庭でラウラを前にして妙な顔をしているセドリックを見て、ただ笑っていればよかった。
また変な態度を取っている。
また素直じゃない。
またラウラを困らせている。
そう思っていられた。
けれど、もう同じではない。
セドリックもラウラも、あの頃の子どもではない。
たった一言の行き違いで傷つくことがある。
たった一度の沈黙で、離れてしまうことがある。
そして、誰か別の人間が差し出した誠実な言葉に、心が傾くこともある。
それは、責められることではない。
むしろ、今までセドリックが渡してこなかったものを、他の誰かがきちんと差し出そうとしているだけだ。
だからこそ、エリオットは心配だった。
セドリックが変わらないままでいたら。
不器用だから仕方ないと、自分でも言い訳をしてしまったら。
今度こそ、本当に取り返しがつかなくなる気がした。
「……ちゃんとしろよ、セドリック」
呆れたように呟いた声は、思ったよりも軽くならなかった。
からかうだけなら簡単だ。
けれど今は、ただ笑って見ていられる段階ではもうない。
セドリックの不器用さで、ラウラをこれ以上勘違いさせるわけにはいかなかった。
エリオットは訓練場の外へ視線を向ける。
さっきまで熱を帯びていた場所には、もう少しずつ静けさが戻り始めていた。
けれど、止まっていたものは確かに動き出した。
セドリックが動くなら、ラウラもきっと何かを選ぶことになる。
それが良い方へ向かうかどうかは、まだわからない。
ただ。
「今度こそ、ちゃんと届くといいけど」
誰に聞かせるでもなく、エリオットはそう呟いた。
春の終わりの風が、汗の残る訓練場を抜けていく。
その先にある夜会で、あの不器用な友人がどんな顔をしてラウラの前に立つのか。
少し楽しみで、少し不安で。
それでもエリオットは、セドリックが歩いていった方をもう一度だけ見やった。
「……怒るな。詰め寄るな。命令するな。まず謝れ」
指を折りながら呟いて、最後に深くため息をつく。
「……全部できるかな、あいつ」
できない気がする。
かなりの確率で。
だからこそ、もう一度くらい釘を刺しておいた方がいい。
そう決めると、エリオットは杯を置き、軽く肩を回した。
面倒な友人を持つと苦労する。
それでも、見捨てる気にはなれない。
昔から、セドリックの不器用さを見るのは退屈しなかった。
けれど今は、その不器用な幼馴染が、大事な人を本当に失ってしまわないかが心配だった。
エリオットは小さく笑う。
そして、面倒で仕方のない幼馴染を追うように、訓練場を後にした。




