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41 違う

夕暮れの光が、回廊の石壁に長く伸びていた。


風はやわらかいはずなのに、ラウラの指先だけが冷えている。


「お前……本気で言ってるのか」


その問いに、ラウラは小さく頷いた。


それしかできなかった。


セドリックはしばらく何も言わなかった。


ただ、信じられないものを見るような顔で、ラウラを見ている。

怒っているのではない。

呆れているわけでもない。


本当に、そんなふうに受け取られていたとは思っていなかったのだとわかる顔だった。


やがてセドリックは、深く息を吐いた。


それから片手で額を押さえる。


「……頭が痛い」


あまりにも本気の声音で、ラウラは思わず目を瞬いた。


セドリックは低く呟く。


「誰だ、そんな誤解させたのは……」


そこで一度言葉が切れた。


次に落ちた声は、ひどく苦かった。


「……俺か」


ラウラは言葉を失う。


何を言われたのか、すぐにはわからなかった。


セドリックは額に手を当てたまま、しばらく黙っていた。

それからようやく手を下ろし、ラウラをまっすぐ見る。


「まず言っておく」


声は低い。

けれど今までのように、途中で逃げる気配はなかった。


「セシリア様のことは違う」


ラウラの胸が、どくりと鳴った。


「……違う、とは」


やっとそれだけ返すと、セドリックの眉が寄る。


「お前が思ってるようなことじゃないって意味だ」


「でも」


ラウラは思わず言い返した。


「実際に見ました」


声が少し震える。


「騎士学校でも、夜会でも。セシリア様には、私といる時と全然違う顔をなさっていました」


セドリックは一瞬だけ言葉に詰まる。


だが、今度はそこで黙って終わらなかった。


「違う」


もう一度、はっきり言う。


「家のことと、騎士学校の件で話していただけだ」


「向こうはそういう場で、きちんと線を引いて話す方だから、こっちもそれに合わせてるだけだ」


「それ以上じゃない」


ラウラはじっとセドリックを見る。


嘘をついているようには見えなかった。

少なくとも、誤魔化そうとしている顔ではない。


けれど、それだけでは足りない。


「でも、私には……」


ラウラは唇を噛んだ。


「私には、あんなふうに話してくださらないでしょう」


その一言で、セドリックの表情がまた少しだけ固くなる。


ラウラは止まれなかった。


「ちゃんと礼も言えるし、ちゃんと向き合って話せるのに」


「どうして私にだけ、いつもきつくなるんですか」


「どうして私にだけ、あんな言い方をするんですか」


“帰れ”。


その二文字を口にすることは、まだできなかった。


けれど、言わなくても伝わったのだろう。


セドリックの喉が、わずかに動いた。


「……それは」


低い声が出て、止まる。


ラウラはその続きを待った。


待ちながら、自分の胸がひどく苦しいことにも気づいていた。


もしかしたら今度こそ、答えが聞けるのではないか。

そんなふうに、まだ期待してしまっている自分がいた。


セドリックは一度視線を逸らし、また戻した。


珍しく迷っている顔だった。


「お前には」


そこで、また止まる。


ラウラの胸が小さく冷える。


まただ。


また、肝心なところで止まる。


けれど次の瞬間、セドリックは眉を寄せたまま、少し苛立ったように言った。


「……お前相手だと、調子が狂う」


ラウラは目を瞬いた。


「え……?」


「昔からだ」


セドリックは顔をしかめる。


「他のやつには普通に言えることが、お前には言えない」


「言おうとすると、余計なことまで気になって、結局きつくなる」


「……自分でも最悪だと思ってる」


その言葉は、不器用だった。

説明にもなっていないようでいて、でも今までのセドリックからすれば、信じられないほど本音に近かった。


ラウラは息をのむ。


「それは……どういう意味ですか」


問うと、セドリックは本気で嫌そうな顔をした。


「……そのままだ」


「そのままでは、わかりません」


ラウラが返すと、セドリックはひどく不機嫌そうに眉を寄せた。

けれど今度は、そこで黙らなかった。


「昔から、お前が他のやつと話してると気に食わなかった」


「笑ってるのを見ると、何でそいつなんだって思った」


「俺と話してる時には、そんな顔しないくせにって」


ラウラの指先がぴくりと動く。


セドリックは気づかないまま、低く続けた。


「庭でもそうだったし、騎士学校の時もそうだ」


「あの時だって、頭にきた」


「知らないやつ相手に、あんなふうに笑ってるの見て」


ラウラはしばらく何も言えなかった。


それはあまりにも子どもじみていて、あまりにも未熟で。

でも同時に、飾りのない本音だった。


「……それでは」


やっと絞り出した声は、かすれていた。


「まるで……私のことを、好きみたいではありませんか」


その瞬間、セドリックが固まった。


言ったあとで、ラウラ自身も息をのむ。

回廊の空気が止まったようだった。


セドリックはしばらく黙っていた。


眉を寄せたまま、何かを言おうとして、うまく言葉にならないように。


やがて、ひどく不機嫌そうに口を開く。


「……お前は、そういうところが鈍い」


ラウラは目を瞬いた。


「え……?」


「さっきから、そういう話をしてる」


ぶっきらぼうな返しだった。

でも、その声はわずかに掠れていた。


セドリックはラウラから目を逸らさなかった。


「義理だけで、この婚約を続けてたわけじゃない」


「……お前のことになると、昔からどうしても平静でいられない」


ラウラは何も言えない。


胸の中で、今まで積み上げてきた理屈が、大きな音を立てて崩れ始めていた。


けれど同時に、そんなはずがないと否定したい自分もいる。


だって、今までずっとわからなかったのだ。

こんな言葉だけで、全部をひっくり返されても、心が追いつかない。


ラウラの唇が、わずかに震える。


セドリックはそんな彼女を見て、やがて低く言った。


「婚約解消なんて、認めない」


その一言に、ラウラの胸がまた大きく鳴った。


認めてもらえなかった。

でも、それは騎士学校の「帰れ」とはまるで違う響きだった。


ラウラは何も言えない。


言葉が、もうどこにも見つからなかった。


夕暮れの回廊に、静かな沈黙が落ちる。


それはさっきまでの、冷たく重いだけの沈黙ではない。

何かが変わり始めてしまったあとの、息の詰まるような沈黙だった。


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