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25 図書室の記録


花の本をもらってから、数日が経った。


ラウラはその本を、思った以上に何度も開いていた。


庭で見つけた花。

咲く時期。

葉の形。

育ち方。


見比べているだけでも楽しい。


けれど、ページをめくるたびに、どうしても気になることがひとつあった。


ヴィルネアのページに挟まれた栞。

そして、あのとき神官が言っていた言葉。


――神獣が関わる縁です。


ラウラは部屋の机に頬杖をつきながら、小さく息をついた。


「縁、ってなんなんでしょう……」


花の本にそんなことまでは載っていない。


神獣たちが自分に懐く理由も、セドリックとの婚約がなぜそこまで大げさに扱われるのかも、結局きちんとはわからないままだ。


気になる。


けれど、神官にもう一度聞くのも少し難しい。


しばらく考えた末に、ラウラは立ち上がった。


「図書室なら、何かあるかも」


リンドグレイ伯爵家の図書室は、屋敷の北棟の奥にある。

古い歴史書や領地の記録、神殿関係の書物まで、父の代だけでなくその前から大切に集められてきた部屋だ。


高い棚が並び、昼でも少しひんやりしている。


ラウラは慣れた足取りで中に入り、ぐるりと本棚を見回した。


「ええと……神獣、縁、神殿……」


それらしい背表紙を探して、指先でなぞっていく。


古い信仰誌。

王都神話集。

契約獣伝承録。


何冊か抜き出して机へ運び、ぱらぱらとめくる。


けれど、載っているのは伝説めいた話ばかりで、今知りたいこととは少し違う。


「うーん……」


ラウラは眉を寄せた。


そのときだった。


すぐ後ろから、低い声がした。


「何してる」


ラウラはびくっと肩を震わせる。


振り向くと、そこにいたのはセドリックだった。


黒い髪。

青い瞳。

相変わらず、少し不機嫌そうな顔。


ラウラは思わず眉を上げる。


「びっくりしました」


「勝手に驚いただけだろ」


「図書室で急に話しかける方が悪いです」


「知らない」


やっぱり感じが悪い。


ラウラは小さく鼻を鳴らした。


「……また来てたんですか」


「父上の用だ」


ぶっきらぼうな返事だった。


けれど、それならそれで、なぜこんなところにいるのだろう。


ラウラがじとっと見ていると、セドリックは机の上の本に目を落とした。


「神獣の本?」


「そうです」


ラウラは素直に答えた。


「前に神官様が言ってたでしょう。“神獣が関わる縁”って」


「あれが何なのか気になって」


セドリックは少しだけ黙った。


それから、机の上の一冊を手に取る。


「……俺も少し気になってた」


ラウラは目を瞬いた。


「そうなんですか?」


「別に、お前だけじゃない」


感じ悪い言い方だった。


でも、気になっていたのは本当らしい。


ラウラは少しだけ視線をやわらげた。


「じゃあ、手伝ってください」


セドリックが眉をひそめる。


「なんで命令されるんだ」


「気になってたんでしょう?」


「……まあな」


「じゃあ一緒です」


言い切ると、セドリックは少しだけ呆れたように息をついた。


けれど帰りはしなかった。


ラウラはなんとなく、それが少しうれしかった。


二人は向かい合うようにして本を開いた。


しばらくは、紙をめくる音だけが静かに響く。


窓から差し込む午後の光が、机の端を明るく照らしていた。


やがて、ラウラが一冊のページで手を止める。


「……あ」


セドリックが顔を上げた。


「何かあったか」


「これ……」


ラウラはその本を少し押し出した。


古びた文字で書かれた一節。


“神獣は、主の命に関わる大いなる縁に反応することあり”


ラウラはその行を指でなぞる。


「命に関わる、大いなる縁……」


セドリックも身を乗り出して読む。


「恋とか婚姻とは書いてないな」


「ですね」


ラウラは少し考える。


「でも、“縁”ではあるんですよね」


「そうだろうな」


その先を読んでいくと、さらに続きがあった。


“されど、その縁は祝福であると同時に試練ともなる”


ラウラは小さく息をのむ。


「試練……?」


セドリックも眉を寄せた。


「縁が強いほど、引き寄せるものも大きいってことか」


「どういうことですか?」


「知らない」


「今ちょっとわかったふうに言ったでしょう」


「推測だ」


ラウラはむっとした。


「感じ悪いです」


「お前、ほんとそれしか言わないな」


けれど、セドリックはその本から目を離さない。


ラウラもまた、同じページを見つめる。


祝福。

試練。

神獣が反応するほど強い縁。


自分とセドリックの婚約が、そんなふうに書かれたものに重なるなんて、まだ実感はなかった。


ただ、少しだけ怖いような、不思議なような気持ちが胸に残る。


「……あまり、嬉しい話だけではないんですね」


ラウラがぽつりと言うと、セドリックは少し間を置いて答えた。


「楽な話でもなさそうだな」


ぶっきらぼうな言い方だったが、珍しくからかうような響きはなかった。


ラウラは視線を落とした。


「婚約も、そうですし」


「面倒だろ」


「面倒です」


即答すると、セドリックがほんの少しだけ口元を動かした。


ラウラはすぐに気づく。


「……今、笑いました?」


「笑ってない」


「笑いましたよね」


「気のせいだ」


「感じ悪い」


「しつこい」


やっぱり変わらない。


でも、そのやりとりがあると、さっきまでの妙な緊張が少しだけ和らぐ。


ラウラはまた別の本を手に取った。


今度はかなり上の棚に入っていた、薄い記録集だ。


背伸びしても指先が少し届かない。


「うーん……」


もう少しで取れそうなのに、惜しい。


そのとき、頭上から影が差した。


すっと伸びた手が、ラウラの指先の先にあった本を抜き取る。


「はい」


低い声と一緒に、本が差し出された。


ラウラは目を丸くする。


セドリックだった。


背が伸びたぶん、そんな高い棚も簡単に届いてしまうらしい。


ラウラは本を受け取りながら、小さく言った。


「……ありがとうございます」


セドリックはすぐに目を逸らした。


「別に」


「その言い方やめたらいいのに」


「お前もな」


本当に感じが悪い。


でも、取ってくれたのは事実だ。


ラウラは少しだけ困ったように眉を下げ、それから本を開く。


中は、過去の婚姻や神獣の記録をまとめた簡素な一覧だった。


その中に、短い記述を見つける。


“神獣が共に一人を選ぶ例、きわめて稀なり”

“その時、主たる二家の結びつきは王国に大きな転機をもたらす”


ラウラは息を止めた。


「王国に……?」


セドリックも横から読む。


「大げさだな」


「でも書いてあります」


「昔の記録だろ」


「そうですけど……」


二人は顔を見合わせた。


大きな転機なんて、あまりにも実感がない。


自分たちはまだ十歳だし、ラウラにとってセドリックは相変わらず感じの悪い婚約者でしかない。


けれど、神獣たちはそんな二人を最初から知っていたみたいに寄り添ってくる。


それが少しだけ、不思議で、少しだけ怖かった。


しばらく沈黙が落ちる。


その静けさを破ったのは、ラウラだった。


「……もし本当に、何か意味がある縁だとしても」


セドリックが見る。


ラウラは視線を本へ落としたまま続けた。


「そんなの、まだよくわかりません」


「わからなくていいだろ」


思ったより早く、言葉が返ってきた。


ラウラは顔を上げる。


セドリックは机に片手をつきながら、少しだけ眉をひそめていた。


「今全部わかる必要なんてない」


「……面倒なだけですし?」


ラウラが少し意地悪く言うと、セドリックは短く答えた。


「それもある」


「やっぱり」


「でも」


そこで一度、言葉が切れた。


セドリックはわずかに視線を逸らす。


「……別に、急いで答えを出さなくてもいいだろ」


ラウラは一瞬だけ黙る。


その言葉は、不思議とやわらかく胸に落ちた。


感じが悪いし、言い方もぶっきらぼうだ。

でも、今のは少しだけ優しい気がした。


ラウラはその感覚をごまかすように、本を閉じた。


「それは、そうかもしれません」


「だろ」


「でも、やっぱり言い方が感じ悪いです」


「最後にそれを言うな」


ラウラは少しだけ笑ってしまう。


セドリックは呆れたように息をついたが、追い払うような顔はしていなかった。


図書室の窓の外で、風が木々を揺らす音がする。

どこか遠くで、シーフの鳴き声にも似た低い気配がした気がした。


ラウラは積み上がった本を見下ろし、それからそっとヴィルネアの載った花の本に手を置く。


祝福か、試練か。

王国の転機か、ただの大げさな古い記録か。


まだ何ひとつ、わからない。


でも。


隣にいるこの感じの悪い婚約者と一緒に調べたことは、少しだけ心に残る気がした。


「……また、何かわかったら教えてください」


思わずそう言うと、セドリックは少しだけ目を細めた。


「お前もな」


短い返事。


でも、たぶん約束にはなっている。


ラウラは小さく頷いた。


「忘れないでくださいよ」


「お前こそ」


またそれか、と少しだけ思う。


けれど同じやりとりをするたびに、二人のあいだに小さなものが積み重なっていく気がした。


図書室には、古い紙の匂いと午後の静かな光が満ちている。


答えはまだ遠い。


それでも、二人の縁は、少しずつ形を持ちはじめていた。

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