22 ふたりきりの帰り道
咲いた花をひとしきり眺めたあと。
春の庭には、少しずつ夕方の気配が降りてきていた。
やわらかな陽射しは傾き、花壇の影も長く伸びている。
ラウラはもう一度だけ白い花を見つめ、それから小さく息をついた。
「……そろそろ戻りますか」
セドリックが短く頷く。
「そうだな」
足元ではシーフがのっそりと立ち上がり、肩の上のアルトも羽を揺らした。
けれど、庭を屋敷へ戻る小道を歩き出すころには、二匹の神獣は少し先へ行ったり、後ろをついてきたりしていて、不思議と二人のあいだにはぽっかり空間ができていた。
並んで歩く。
それだけなのに、妙に落ち着かない。
ラウラはちらりと隣を見る。
セドリックは相変わらず、少し不機嫌そうな顔のままだった。
「……」
「……」
沈黙が続く。
ラウラは少し考えてから口を開いた。
「まさか本当にくるとは…」
セドリックが横目で見る。
「呼ばれたからな」
「それでもです」
ラウラは前を向いたまま言う。
「来るとは思ってなかったので」
セドリックは少しだけ黙った。
それから、そっけなく返す。
「約束しただろ」
ぶっきらぼうな声だった。
けれどラウラは、その一言を聞いて、また少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。
こんな言い方しかしないのだから、やっぱり感じは悪い。
でも。
「……そうでしたね」
そう返した自分の声は、思ったよりやわらかかった。
セドリックがちらりとこちらを見る。
「なんだ」
「別に」
ラウラは少しだけ口を尖らせた。
セドリックはほんの少しだけ眉を動かした。
「面倒だな」
「感じ悪い」
「そればっかりだな、お前」
「だって感じ悪いので」
いつものやりとりだ。
なのに今日は、なぜか少しだけ空気がやわらかい。
前を歩いていたシーフが、ふと立ち止まってこちらを振り返る。
アルトも近くの枝へ舞い降りて、静かに二人を見ていた。
まるで見張っているみたいだとラウラは思って、少しだけ可笑しくなる。
そのとき、セドリックがふいに言った。
「あの花」
ラウラは顔を上げる。
「え?」
「名前は」
ぶっきらぼうな聞き方だった。
けれど確かに、今、花の名前を聞かれた。
ラウラは目をぱちぱちさせる。
「知りたいんですか?」
「……聞いただけだ」
「そういうのを知りたいって言うんです」
「うるさい」
少しだけ言い返してから、セドリックは視線を逸らした。
ラウラは思わずくすっと笑う。
「ヴィルネアです」
「春の終わりに咲く花で、咲き始めがいちばんきれいなんです」
セドリックは小さく繰り返す。
「……ヴィルネア」
たったそれだけなのに、なぜだかラウラは少しうれしくなった。
ちゃんと聞いて、ちゃんと覚えようとしているみたいに聞こえたからだ。
「覚えるんですか?」
「覚えない」
「いま復唱したじゃないですか」
「口に出しただけだ」
「可愛くない」
「お前に言われたくない」
またそんな言い合いになる。
でも、ラウラはふと気づいた。
エリオットといるときは、自然ときちんとした言葉を選ぶ。
けれどセドリック相手だと、思ったことがそのまま口に出る。
今日だってそうだ。
気を遣うどころか、ついすぐ言い返してしまう。
感じが悪いのに。
いや、感じが悪いからこそなのかもしれない。
取り繕っても仕方ない相手だと、最初から思っているのだ。
そのことに気づくと、なんだか少しだけおかしかった。
「なに笑ってる」
不意に言われて、ラウラははっとする。
「笑ってません」
「笑ってた」
「気のせいです」
「嘘だな」
「感じ悪いです」
セドリックは小さく息をついた。
「便利だな、その言葉」
「便利ですよ」
真顔で返すと、セドリックは一瞬だけ黙ったあと、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
それは笑ったというほどはっきりしたものではなかったけれど、ラウラは確かに見た気がした。
思わず足が止まる。
「……今、笑いました?」
セドリックはすぐに顔をしかめた。
「笑ってない」
「絶対笑いました」
「笑ってない」
「感じ悪い」
「しつこい」
否定しながら歩き出す背中を見て、ラウラはますます怪しいと思う。
けれど追及しようとしても、もう本人は前を向いてしまっていた。
屋敷の玄関が見えてくる。
そこで、ラウラはふと足を止めた。
このまま見送ったら、今日の約束はそこで終わる。
そう思ったとき、なぜだか少しだけ惜しいような気持ちになった。
その気持ちをごまかすように、ラウラは口を開く。
「また別の花も咲きますよ」
セドリックが振り向く。
「……何」
ラウラは少しだけ視線を逸らした。
「この先、もう少し暖かくなったら、庭の奥の花壇もきれいになるんです」
「だから……その」
言いながら、自分で何を言っているのかわからなくなってくる。
呼びたいわけじゃない。
別に、来てほしいわけでもない。
ただ、なんとなく言っただけだ。
そう思い込もうとしたところで、セドリックが先に言った。
「じゃあ、そのときも呼べ」
ラウラは目を丸くする。
今度は、すぐには言葉が出なかった。
セドリックはそんなラウラを見て、少しだけ眉を寄せる。
「なんだ」
「……いえ」
ラウラは慌てて首を振った。
「来るんだなと思って」
「婚約したんだろ」
ぶっきらぼうな言い方だった。
けれど、その言葉には前より少しだけ棘がなかった。
ラウラは胸の奥が小さく跳ねるのを感じて、すぐに口を尖らせる。
「婚約者らしいことを言っても、感じ悪いのは変わらないですね」
セドリックが呆れたように見る。
「褒められると思ったのか」
「思ってません」
「ならいい」
「やっぱり感じ悪いです」
「お前も大概だ」
最後までそんな調子だった。
けれど、それでいい気もした。
玄関先まで来ると、使用人が馬車の到着を告げる。
そろそろ本当に別れの時間だ。
シーフはすでにセドリックの隣へ戻っていた。
アルトもふわりと空へ上がり、少し離れた屋根の上に止まっている。
セドリックは小さく息をつくと、ラウラを見た。
「じゃあな」
短い言葉。
いつも通り、そっけない。
けれどラウラは、今日はそれが少しだけ物足りない気がした。
「……はい」
そう返してから、思わず付け足す。
「ヴィルネア、忘れないでくださいね」
セドリックの青い目が、わずかに細くなる。
「お前こそ」
「次の花、忘れるなよ」
ラウラは一瞬きょとんとして、それからふっと笑った。
「忘れません」
今度は、ちゃんとそう言えた。
セドリックは何も返さなかった。
ただ、ほんの少しだけ目を逸らして、それから馬車へ向かって歩き出す。
やっぱり感じが悪い。
やっぱりぶっきらぼうだ。
でも。
ラウラはその背中を見送りながら、胸の奥に残った小さなあたたかさを、うまく否定できなかった。
春の夕暮れの風が、そっと花の香りを運んでくる。
まだ恋には遠い。
けれど二人のあいだには、少しずつ、確かに何かが積み重なり始めていた。




