3.5章第10話 結婚ってなに?
3.5章第10話 結婚ってなに?
その夜、酒場から戻ったあと。
部屋の灯りは落としたままで、窓の外から街のざわめきだけが薄く流れ込んでいた。
コーイチはベッドに腰を下ろし、杯を傾けながら、少し間を置いて口を開いた。
彼はミアに気安さを覚えていたのだろう。あるいは、酔いが心地よかったのかもしれない。
「……僕の受けていたゼミの女性の先輩が、院生のまま社会人の男性と結婚式を挙げたんだ」
ミアはすぐには反応せず、ほんの一拍置いてから問い返した。
「……ゼミ?」
「研究室みたいなものです。大学の」
「大学、コーイチがいってたところね。」
「勉強するところです。大人が」
ミアの眉が寄る。
「……院生?」
「大学を出て、さらに勉強する人です」
「……社会人?」
「仕事してる人です」
「……結婚式?」
そこまで聞いたところで、ミアは完全に思考を止めた。
「待って」
片手を上げる。
「ごめん、ひとつもつながってない」
コーイチは苦笑した。
「ですよね」
グラスを置き、言葉を選ぶ。
「その先輩は、勉強を続けながら、仕事をしてる人と一緒になるって決めて……それを、みんなの前で宣言するんです」
「宣言?」
「この人と、生きていきます、って」
ミアはゆっくり瞬きをした。
「……なんで?」
即座だった。
「なんで、わざわざ?」
「……けじめ、ですかね」
「誰に対して?」
「……社会、かな」
その答えに、ミアは納得しなかった。
「でもさ。一緒に暮らすなら、暮らせばいいじゃない」
「……うん」
「子どもができたら、育てればいい。問題が起きたら、そのとき考えればいい」
ミアの言葉は淡々としていた。否定でも批判でもなく、ただ「当たり前」を並べているだけ。
「なんで、先に縛るの?」
コーイチは言葉に詰まった。
縛る――その表現は正確だった。だが、それを否定する理由も、肯定する理由も、うまく言えない。
「……安心、する人が多いんです」
「誰が?」
「……周りが」
ミアは小さく息を吐いた。
「変なの」
そう言ってから、少し声を和らげる。
「だって。当人たちより、周りが安心する約束でしょ」
コーイチは、何も言い返せなかった。
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「それに」
ミアはコーイチを見た。
「式ってなに? 見せもの?」
「……近いかもしれない」
「お祝い?」
「……たぶん」
「お祝いって、一緒に生きるって決めただけで、するものなの?」
その問いは責めていなかった。
ただ、本当に理解できないという顔だった。
「……僕も、正直よくわかってないです」
そう答えると、ミアは少し驚いた顔をした。
「そうなの?」
「はい。普通だと思ってたから、考えたことなかった」
ミアはしばらく黙り、やがてぽつりと言った。
「コーイチはさ」
「はい」
「ここで生きるなら、どうするの?」
その問いは、結婚ではなく生活の話だった。
コーイチは少し考えてから答える。
「……たぶん。一緒に働いて、一緒に食べて、危ないときは助け合って」
「うん」
「それで、十分だと思います」
ミアは、少しだけ笑った。
「じゃあ、よかった」
「?」
「結婚の話、されるかと思ってた」
「……しませんよ」
ミアは肩をすくめる。
「そっちの国の話としては面白かったけどね。私には必要ないかな」
それ以上、踏み込むことはなかった。
ミアは理解できないものを、無理に否定しない。
ただ、自分の生き方と違うと判断しただけだった。
コーイチはグラスの中身を見つめながら思った。
――ここでは、説明できないものが多い。
――けれど、説明しなくても成り立つ関係もある。
そのことに、少しだけ救われた気がした。
ふと気づくと、
ミアがコーイチを見つめている。
「そんなことより・・・」
コーイチはミアの手に自分の手を重ね合わせた。




