3.5章 第8話 ウォーターカッター
翌朝。
宿の階段を降りて受付に向かうと、女将さんが顔を上げた。
「あら、おはよう」
その一言だけで、コーイチの心臓は跳ね上がった。
「お、おはようございます……」
内心、かなりビクビクしている。
――バレてないよな?
――いや、あれだけ音立てたら、何か言われるよな?
そんな不安を抱えたまま立っていると、女将さんは特に気にした様子もなく、ぽつりと言った。
「昨日ね、玄関の横の木が突然倒れたのよ」
コーイチの背中に、冷たい汗が流れた。
「枯れてたわけでもないのに、不思議よねえ」
すると奥から亭主も顔を出す。
「幹がな、なんか切ったみたいになってるんだよ」
「しかも水浸しでさ。わけがわからん」
コーイチは必死に表情を保った。
「役所に相談して、片付けてもらえるか聞いてこないと……」
「余計な手間だよ、まったく」
どうやら、疑われてはいない。
それが逆に、胸に刺さる。
(……すまん、女将さん)
(……すまん、亭主)
心の中で、何度も頭を下げた。
(片付け、手伝うから)
そう誓いながら、コーイチは宿を出た。
ウサギ狩りの合間の休憩。
昨日の出来事を話し終えた瞬間、ミアの第一声は、それだった。
「……ファッ?」
思わず素が出たような声だった。
「木を切り倒した?」
「水で?」
ミアは混乱している。
「どういうこと?」
コーイチは、昨日の顛末を順を追って説明した。
水がぽたぽた滴ったこと。
窓から外に向けて水魔法を使ったこと。
向かいの建物の屋根に届くようになって、調子に乗ったこと。
魔力が切れて、魔石を握って詠唱したこと。
制御できず、木を切って倒してしまったこと。
話し終えたとき、ミアは完全に固まっていた。
「……ちょっと待って」
やっと絞り出すように言う。
「向かいの建物に、水が届いたって?」
「それ、どういう距離?」
「……このくらい、ですかね」
指で示すと、ミアの目がさらに見開かれた。
「私、昨日のが限界だよ?」
「水鉄砲みたいに出すので精一杯だった」
「えっ?」
今度は、コーイチが聞き返す番だった。
「それから……木を切るっていうのも、意味がわからない」
ミアは首を振る。
「水魔法だよね?」
「仮に勢いがあっても、倒すなら押し倒す、じゃない?」
「……違います」
コーイチは首を振った。
「切れました」
ミアは、しばらく無言だった。
「……見せて」
少し間を置いて、そう言った。
コーイチは一瞬ためらったが、危険なので距離を取るよう伝える。
ミアは素直に後ろへ下がった。
コーイチは革袋から魔石を取り出し、右手に握る。
昨日と同じ感覚。
同じ詠唱。
木に向けて、指先を向ける。
「……行きます」
細く。
強く。
水は轟音を立てて噴き出し、一本の線になった。
次の瞬間。
木は、水の軌跡をなぞるように、すぱりと切断された。
上半分が、重力に従って倒れる。
ドサリ、と鈍い音。
ミアの口は、開いたままだった。
「……」
真っ青な顔で、ミアはコーイチに近づいてくる。
「意味わかんない」
「なんで水が出て、木が切れるの?」
コーイチは少し考え、答えた。
「たぶん……ウォーターカッターです」
「……なに、それ」
コーイチは、水を極限まで細くして高速で噴射する技術の話を note 的に説明したが、ミアは終始、首を傾げていた。
「……とにかく」
ミアは結論を出す。
「水魔法は、こんなふうにならない」
「攻撃用の水魔法は、ボール状にしてぶつけるの」
「勢いがあると痛いけど、基本は目くらましとか、体勢崩し」
「……まあ、水ですもんね」
コーイチは納得した。
そこでミアは、コーイチの手の中の魔石に目を向けた。
「……あれ?」
一瞬、表情が変わる。
「魔石……空じゃん」
「え?」
「普通、魔石は何回も使えるよ」
「ものによっては、何十回も」
二人で魔石を見る。
完全に、力を失っていた。
「……一回で?」
「……みたいです」
ミアは、ゆっくり顔を上げた。
「……じゃあ、残りはいくつ?」
「……ひとつです」
沈黙。
「どうも」
コーイチは苦笑した。
「僕、燃費が最悪みたいで」
ミアは、しばらく何も言えなかった。




