第3章 第18話 戦列に立つ
第3章 第18話 戦列に立つ
森を抜けた先の街道で、隊列は自然と間延びしていた。
先頭と後衛の距離が開き、中央が薄くなる。意図した布陣ではない。ただ、道幅と歩調の問題だった。
コーイチは、気づけばその中央にいた。
前に二人、後ろに一人。
左右は低い茂みと倒木。逃げ場があるとも、ないとも言えない。
ミアは少し後ろにいた。
酒場にいるときとは違い、視線がよく動いている。歩幅は小さいのに、揺れが少ない。何気なく歩いているようで、周囲の草の揺れや倒木の陰まで拾っているようだった。
コーイチは、そんなミアの横顔を一度だけ見て、すぐに前へ視線を戻した。
そのときだった。
身体が、ふらりと揺れた。
横に滑るように、立ち位置がずれる。
次の瞬間、空気を裂く音が耳元を通過した。
どすっ、と鈍い音。
背後の木に矢が深々と突き刺さっていた。
「伏せろ!」
誰かの声が飛ぶ。
遅れて、隊列がざわつく。
「え……?」
コーイチは振り返った。
木の幹が小さく震え、矢羽根がまだ揺れている。
心臓が、嫌な音を立てていた。
今のは、完全に死角だった。
後ろからだ。気づけるはずがない。避けられるはずもない。
「大丈夫か!?」
近くにいた冒険者が駆け寄ってくる。
「……はい」
声が少し震えた。
自分でも、それがわかった。
周囲が一斉に警戒態勢に入る。
剣を抜く者。弓を構える者。ミアもすでに半身を沈め、次の射線を切る位置へ移っていた。
だが、追撃は来ない。
「牽制か……?」
誰かが低く呟く。
深追いはせず、隊は移動を再開した。
空気は張り詰めているが、誰も今の出来事を詳しく口にしない。
コーイチも、何も言わなかった。
言えなかった。
説明できない。
自分でも、何が起きたのかわからないのだから。
しばらく進んだあと、今度は前方の茂みが揺れた。
「来るぞ!」
叫びと同時に、黒い塊が飛び出した。
猪に似た体躯。
だが、目が濁っている。鼻先は異様に硬く、前脚の筋肉が不自然に盛り上がっていた。魔物だ。
一直線だった。
狙いは――コーイチ。そう見えた。
速い。
回避は間に合わない。
そう思った瞬間、また体が動いた。
前でも横でもない。
ほんのわずか、重心が沈み、足の位置だけがずれていた。
魔物はコーイチの横を通り抜ける。
体毛が服をかすめる。
轟音とともに魔物は流れ、その横合いから仲間の刃が入った。
「今だ!」
さらにミアが踏み込む。
速かった。
大きく振らない。回り込まない。ただ一歩で魔物の死角へ滑り込み、短い武器で脚を払うように切った。
魔物の足が崩れる。
そこへ追撃が重なり、猪型の魔物は地面に転がった。
コーイチは、その場に立ち尽くしていた。
足が少し震えている。
怖かった。
本当に、怖かった。
剣を振ったわけでも、魔法を使ったわけでもない。
ただ、そこにいただけだ。
「……助かったな」
誰かが、軽く言った。
それで終わりだった。
誰も深くは触れない。
だが、視線が集まっているのは、わかっていた。
偶然にしては、おかしい。
二度続けてだ。
コーイチは、それを感じながらも、何も言わずに歩き出した。
この時点では、まだ――
誰も確信していなかった。
異変が三度目に来たのは、その少しあとだった。
金属が擦れる音。
短い足音。
それに重なる、低い声。
「前を止めろ!」
左右の茂みから、人影が躍り出る。
盗賊だ。見えるだけで二人。片方は剣、もう片方は短槍を持っている。
さらに一拍遅れて、後ろの茂みの奥が赤く光った。
「魔法だ!」
誰かが叫ぶ。
次の瞬間、火の玉が飛んできた。
雪合戦の雪玉くらいの大きさ。
だが、軽くは見えない。投石に火がついて、そのまま飛んでくるような感じだった。空気を焦がしながら、一直線に近づいてくる。
熱い。
まだ当たってもいないのに、頬の皮膚が焼けるようだった。
コーイチの身体が横に滑る。
ファイヤーボールは、さっきまで顔のあった場所を抜け、後ろの倒木にぶつかった。
火花が散り、木の表面が一瞬で黒く焦げる。
「熱っ!」
声が出た。
こんなの、当たったら火傷じゃ済まない。
肉ごと持っていかれる。
息が詰まる。
その横を、ミアが滑るように走り抜けた。
低い。速い。
火球の余熱を避けるように一段沈み、次の瞬間には別の木の陰へ入っている。止まらない。振り向かない。だが、もう次の位置を取っていた。
「奥に一人いる!」
ミアの声が飛ぶ。
茂みの奥。火の光がわずかに揺れた。
魔法使いか。少なくとも、投げてきた奴はいる。
前衛が前に出て、剣持ちの盗賊を受ける。
別の仲間が短槍を牽制し、隊列が一気に縮む。
コーイチはそこにいた。
戦うつもりはあった。
逃げるだけでは駄目だとも思った。
だが、剣を持った人間を前にすると、足がすくむ。
怖くないわけがない。剣を向けられる経験など、現代日本ではあり得なかった。
短槍の男が、コーイチへ向きを変えた。
狙われた。
そう思った瞬間、喉が詰まる。
「う、わ――」
情けない声が出た。
コーイチはへっぴり腰のまま、反射的にナイフを前へ出した。
狙ったわけではない。踏み込んだわけでもない。ただ、腕が前に出ただけだった。
その瞬間、短槍の男の足元が崩れた。
勢いのまま、コーイチのナイフに胸元からぶつかった。
「ぎっ……」
短い声。
コーイチは目を見開いた。
自分で刺したというより、向こうが勝手に刺さってきたようにしか思えない。
盗賊は数歩よろめき、膝をついた。
「えっ、あ……」
コーイチの口から、間の抜けた声が漏れる。
近くにいた仲間がすかさず踏み込み、男の武器を蹴り飛ばした。
短槍が地面を転がる。
「今の、わざとか?」
誰かが叫ぶ。
「そんなわけ――」
コーイチは言いかけて、やめた。
そんなわけがない。自分が一番わかっていた。
剣持ちの盗賊がそちらへ振り向く。
その隙を前衛が逃さない。刃が入り、男が後退する。
火球が、もう一つ飛んできた。
今度は低い。
腹の高さだ。
コーイチの身体がまたずれた。
火の玉は服の脇を通り抜け、石に当たって弾ける。
熱風が頬を打つ。
「熱っ……!」
頬に手をやりそうになって、すぐにやめた。
まだ終わっていない。
ミアが茂みの奥へ潜り込む。
姿が消えた、と思った次の瞬間、短い悲鳴が上がった。
「魔法役、仕留めた!」
その声で、盗賊たちの動きが露骨に乱れる。
剣持ちの男が、一歩だけ引いた。
それで十分だった。
前衛が押し込み、残る仲間も間を詰める。
短槍の男は武器を失ったまま立ち上がれず、剣持ちも数歩もたずに後退した。
「引け!」
鋭い撤退の声が飛ぶ。
人影が森の奥へ消えていく。
追撃はしない。こちらも乱れていたし、何より周囲の安全確認が先だった。
静寂が戻る。
コーイチはナイフを下ろした。
全身が震えている。
膝が笑う。呼吸が浅い。喉が乾く。
頬にはまだ熱が残っていた。
ミアが戻ってくる。
肩で息をしながら、コーイチを見る。
「生きてる?」
「……生きてます」
ミアの視線が、コーイチのナイフと、その前に膝をついた盗賊を一度だけ見た。
「今の、すごいへっぴり腰だった」
「自分でもそう思います」
思わずそう返すと、ミアは短く笑った。
「でも勝った」
それだけ言って、彼女はすぐに周囲の確認へ戻った。
近くにいた冒険者のひとりが、ぽつりと呟く。
「なあ……あんたと一緒にいると、妙に死なねえな」
コーイチは首を振った。
「たまたまです」
本心だった。
今日も攻撃は当たらなかった。
矢も、突進も、剣も、火球も。
理由は、わからない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
怖かった。
そして、人間が混じると厄介だということだ。
魔物だけでは終わらない。
コーイチは、まだ少し熱の残る頬に手をやりながら、ゆっくりと息を吐いた。




