第16.5話 向かいの席
第16.5話 向かいの席
「コーイチ、相席いい?」
「ミアさん、こんばんは」
私がコーイチと同じ卓につくようになって、もう何度目になるのだろう。
最初は本当に偶然だった。
借金取りに絡まれないための、ちょうど良さそうな男がいたというだけ。
酒場の混み具合と、空いている椅子。
それだけの理由だ。
二度目も、三度目も、たぶん偶然だった。
けれど四度目あたりから、私はコーイチがいると、自然にその卓を選ぶようになっていた。
特別に話しかけるわけではない。
挨拶も、必要最低限。
それで沈黙が気まずくならない。
それが、まず不思議だった。
彼は無口だ。
だが、愛想が悪いわけではない。
話しかければ、きちんとこちらを見る。
目を逸らさず、遮らず、急がせない。
男というのは、酒が入ると饒舌になるものだ。
自分の強さ、過去の武勇伝、倒した魔物の数。
聞いてもいない話を、誇らしげに語る。
コーイチは、それを一切しない。
冒険者であるはずなのに、戦いの話をしない。
依頼の成功も失敗も語らない。
「危なかった」「すごかった」という言葉すら使わない。
代わりに、こちらの話を聞く。
相槌は多くない。
ただ、必要なところで一度うなずくだけ。
それなのに、なぜか話しやすい。
ある日、私は何気なく愚痴をこぼした。
最近、石鹸の質が落ちていること。
泡立ちが悪く、匂いも強すぎること。
商工会が管理している以上、こちらではどうにもならないこと。
コーイチは少し考えてから、淡々と言った。
「脂肪酸の割合を変えているのかもしれません」
「灰の精製が甘いと、そうなります」
私は思わず、聞き返した。
「……石鹸、作れるの?」
「作れます」
即答だった。
驚いたのは、そのあとだ。
コーイチは、作り方を説明し始めた。
油の種類、灰汁の取り方、煮詰める時間、冷却の順序。
どれも具体的で、迷いがない。
「待って。それ、商工会の秘伝よ?」
そう言うと、コーイチは少しだけ首を傾げた。
「そうなのですか」
それだけだった。
知らなかった、という顔でもない。
秘密を暴いた、という自覚もない。
ただ「知っていること」を言っただけ。
不思議な人だ、と私は思った。
博学だ。
それも、書物だけの知識ではない。
実際に手を動かした人間の説明だった。
それなのに、自分を誇らない。
評価も求めない。
「すごいですね」と言っても、軽く会釈するだけだ。
強いかと聞かれれば、たぶん、そうではない。
少なくとも見た目は普通だ。
なのに、コーイチの周囲では、なぜか事が荒れない。
運がいい、と言えばそれまでだ。
でも、それだけで片づけるには、あまりに静かすぎる。
私は、理由を探すのをやめた。
理由を知った瞬間、
この距離が壊れる気がしたからだ。
男として、ではない。
恋愛感情とも、少し違う。
人間として。
コーイチと一緒にいて、心がざわつかない。
それだけで、十分だった。
だから今日も、
私はコーイチの向かいに座り、
同じ酒を頼む。
何も起きない夜が、
少しだけ、好きになっていた。




