第16話 小さな歪み
第16話 小さな歪み
その日、コーイチは掲示板を見る前に呼び止められた。
「コーイチ」
受付の声だった。
特別な抑揚はない。だが、確かに自分を指している。
振り向くと、依頼書を一枚手にしたまま、こちらを見ている。
「今日、これ。人手が足りない」
内容は、低危険度の護衛。
人数は三。期間は一日。
条件は、これまで選んできたものと変わらない。
ただ一つ違うのは、「指名」という形を取っている点だった。
「……構いません」
コーイチはそう答えた。
理由を尋ねることはしない。
受付は頷き、依頼書に目を落とす。
コーイチの名前の横に、印を入れた。
それだけで話は終わった。
集合時間まで、少し余裕がある。
コーイチは酒場へ向かった。
昼の酒場は静かだ。
朝の喧騒が引き、夜の熱気が来る前の、空白の時間。
いつもの席に座る。
壁際。入口が見える位置。
少し遅れて、ミアが入ってきた。
一瞬こちらを見てから、近くの席に腰を下ろす。
「最近、名前聞くよ」
前置きもなく、そう言った。
「……そうですか」
コーイチはそれだけ返す。
「変な意味じゃない」
ミアは肩をすくめた。
「一緒に仕事すると、揉めないんだってさ」
揉めない。
怪我をしない。
予定が崩れない。
彼女は続ける。
「派手じゃないのに、終わる」
コーイチは否定もしなかった。
肯定もしない。
「噂って、広がるの早いから」
「……そうですね」
ミアはそれ以上踏み込まなかった。
しばらく無言が続く。
酒場の扉が開き、別の冒険者が入ってくる。
こちらを一度見て、すぐに視線を外した。知らない顔ではない、と確認するような目だった。
コーイチは気に留めない。
気に留めないが、状況は記録する。
集合時間が近づき、酒場を出る。
待ち合わせ場所には、すでに二人来ていた。
どちらも、初対面ではない。
「コーイチだな」
確認のような声。
「はい」
それで十分だった。
移動中、誰も細かい指示を出さない。
だが、隊列は自然に整う。
誰かが前に出れば、誰かが半歩下がる。
重なることはない。
作業は問題なく終わった。
小さな獣が一体出たが、接触する前に離れていった。
「……楽だった」
誰かが言う。
言葉に特別な意味はない。
だが、積み重なっている。
ギルドに戻ると、受付が顔を上げた。
「お疲れさま。次も、似た条件で来るかも」
それは予定の話ではなく、流れの話だった。
コーイチは頷く。
自分が変わったとは思っていない。
やっていることも、立っている位置も、同じだ。
だが、世界のほうが少しだけ動いている。
名前が呼ばれ、
席が空き、
選択肢に残る。
小さな歪みは、まだ違和感と呼ぶほどではない。
ただ、確かにそこにあった。




