第12話 金と現実
街に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
門をくぐった瞬間、森の匂いが薄れ、代わりに人の生活の匂いが戻ってくる。火、油、食べ物、汗。音も増える。声が交差し、足音が重なり、金属が触れ合う音が混じる。
ムラカミ・コーイチは、肩の力が抜けるのを感じた。
完全に安心できるわけではないが、少なくとも「背後から噛みつかれる可能性」は下がる。
ギルドへ向かう途中、彼は巾着袋を一度だけ握った。
硬貨の感触が、はっきりと伝わる。
あの金属片が、どれほどの価値を持つのか。
それはまだ分からない。
分からないが――減るのは分かる。
ギルドの中はいつも通りだった。
依頼の掲示板の前に人が集まり、カウンターでは受付が淡々と作業をしている。酒を飲む者もいれば、装備の手入れをしている者もいる。
コーイチは、リーダー格の男たちと共にカウンターへ行った。
依頼完了の報告。確認。報酬の受け取り。
硬貨が手渡される。
重みは確かだが、これが「何日分」なのかが分からない。
そのまま、男たちと軽く言葉を交わす流れになった。
「次も、同じくらいの依頼だ。無茶はしない」
リーダーが言う。
重装備の男も頷く。
「今日のは、怪我がなくて助かった」
言い方は淡々としているが、本音が混じっている。
コーイチは「そうですね」とも言わない。
ただ頷く。
会話は長く続かない。
それでいい。余計なことを言わなくても、必要な情報は共有される。
男たちと別れ、コーイチはギルドの片隅の掲示板へ戻った。
今の自分にできる仕事の範囲を、もう一度確認する。
討伐。護衛。採取。
報酬の数字だけ見れば、危険な依頼ほど高い。
だが、高い報酬には理由がある。
死ぬ確率が上がる。怪我をする確率が上がる。回復に金がかかる。装備も消耗する。
――結局、残るのは少ない。
コーイチは、依頼書の紙を一枚、指で押さえた。
低危険度、低報酬。地味な採取。
これが「正解」かどうかは分からない。
ただ、自分の立ち位置に合っている。
強くない。
だが、無力でもない。
できることを積み上げるしかない。
それが一番現実的だ。
ギルドを出て、宿を探す。
看板に描かれた絵柄と人の出入りを見て、料金の雰囲気を推測する。高そうな宿は避け、安そうな宿に入る。
「一泊」
簡単なやりとりで部屋を取る。
狭い部屋。ベッドと机。水差し。最低限。
荷を下ろし、巾着袋を机に置く。
口を開け、硬貨を数える。種類が違う。価値も違うのだろう。だが、今は判断できない。
減らせば終わる。
増やせば続く。
それだけの仕組みだ。
食事は宿の一階でとった。
塩気の強いスープと硬いパン。肉の切れ端。味は悪くないが、贅沢ではない。
食べながら、周囲の会話が耳に入る。
「回復薬が高い」
「装備の修理で消えた」
「今日は運が――」
最後の言葉は途中で別の声にかき消えた。
コーイチは、反応しない。
聞こえた言葉を、そのまま記録するだけだ。
食後、部屋に戻る。
外は暗くなり始めている。
彼は、刃物を机の上に置いた。
短剣。使い込まれてはいるが、扱いにくいほどではない。
剣の訓練を本格的にしたことはない。
だから、頼り切る気はない。
だが、何も持たないよりはいい。
次に、両手を膝の上に置き、目を閉じた。
魔法。
ここまできて、使わない理由はない。
ただし、使うなら「静かに」だ。
コーイチは、呼吸を整える。
頭の中で、あの時見た“理屈”をなぞる。
魔力を流す。
血液の流れに似ている。流せるが、流しすぎれば疲れる。止めれば、ただ戻る。
彼は、指先に意識を集めた。
熱でも冷たさでもない、微かな違和感が生まれる。
そこで止める。
発動させない。
派手な現象を起こさない。
まずは「流す」ことができるか。
次に「止める」ことができるか。
それだけで、今夜は十分だった。
目を開ける。
部屋は静かだ。
だが、静けさの中に、自分の呼吸と心拍がはっきり聞こえる。
不思議な感慨はない。
ただ、積み上げるべきことがある。
金が必要で、時間が必要で、怪我をしないことが必要だ。
コーイチは巾着袋の口を締め、枕元に置いた。
短剣も手の届く位置に戻す。
夜は短い。
明日も動く。
そう決めて、灯りを落とした。




