4.二匹、知る
老婆は二匹をアラチの町の社へ連れて行った。
祭りは終わり、社は静かな闇の底に沈んでいた。
宮司も禰宜もどうやらないようで、老いた巫女一人で普段は暮らしているようだ。
それがこんな夜更けになぜ、馬を引いてあの窪地にいたか。
昨夜の祭りの締めのためであったのだと、二匹を社へ上げて巫女は語った。
「もともと百目とは、神に仕えるものであったのです」
巫女は語りながら火鉢で湯を用意する。
まだ宵の遠い縁側に太郎が座り、その腿の上にいち子が頭を乗せて聞いていた。
「天津原より降りし神が、地上の厄を祓う長き旅路の中で、お乗り遊ばしたご神馬でした。我が社は旅を終えたご神馬を、お預かりしておくところであったのです。ご先祖様はそれはもう、大事に大事に祀っておりました」
土瓶の中で湯がふつふつしてくると、老婆はそこに種々の薬草を入れた布の包みを投げ込んだ。煮出して薬湯を作っている。
「ご神馬のお世話をまかされていたのが、キクリという巫女でした。かつてこの社にいた宮司の一人娘でありました」
「キクリ? その名を百目が言っておったぞ」
太郎は抜け目なく覚えていた。
「・・・そうですか。いえ、そうでしょう。千年経てど、忘れられるものではないでしょう」
「そのキクリとやらと何があったのだ」
「子を成したと、聞いております」
押し殺した声音で、巫女は言う。
太郎もいち子も、わずかばかり眼を見開いた。
「馬と人がか」
「人よりも大事に扱われるうち、馬の分際を忘れたのやもしれませぬ。あるいはキクリのほうも、相手が馬であることを忘れたのやもしれませぬ。そのことに怒った宮司は、娘と馬の足の腱を切り、藪の中へ捨てました」
「神馬を捨てたのか」
「ご神馬は穢れ、すでに物の怪に堕ちておりました。それはキクリも同じこと。互いに穢れ、二度と元には戻れなかった。おぞましき腹の子が生まれる前に、ご先祖様は片を付けてしまいたかった」
薬湯を椀に注ぎ、いち子に差し出した。
いち子は太郎に支えてもらい、ゆっくり飲み干す。
「そのうち、馬捨て場に出る化け物の噂が広まりました。ご先祖様は、すぐご神馬の祟りと思われました。ゆえに毎年鎮めの儀を行い、祭りの最後に、巫女に引かせた馬を捧げるようになりました。そのおかげか、化け物は藪の外までは出て参りません。されどこの社の氏族も、とうとう私一人。この命尽きる前に、百目を黄泉路に送ってやりたく思っておりました」
「その役目を俺らに託す気か」
「できますれば」
「俺らは狐狸の半妖ぞ。人と妖の混血ぞ。百目とキクリの子と同じだ、ぬしらが心底から忌み、殺す者であろうが?」
「そうであればこそ。気兼ねなく頼めます」
「婆めっ」
太郎は軽快に膝を打つ。
いち子はじっと、椀の底を見つめていた。
「良かろう。ならば俺らが勝てるよう、すっかり語れ。百目はおかしなことを問うてきたぞ。今は何時かと、キクリが死んでどれだけ経ったかと。あれはどういう意味だ」
「さて。そのままの意味ではありませんか」
「十か、五十か、それともやっと百年かなどと問うてきたぞ。奴が物の怪に堕ちたは千年前の話であろう? キクリが死んだのもその頃であろう?」
「そのはずです」
「奴は己が千年を生きとる自覚がないのか」
「そうやもしれませぬ。もとは神使と言えども所詮は馬ですから」
「やっと百年とはどういう意味だ。百年経っていたらどうだと言うのだ」
「さようなことは百目にお聞きなされ」
巫女は澄まして、さっさといち子から椀を回収する。
太郎は膝に頬杖ついて、うぅ、と唸った。
「ぬし、役に立たんな」
「お答えできることはいたしましょう。知らぬものはお答えできませぬ」
「ならば、そうだな、キクリの姿絵などはあるか。それから」
太郎は、つと壁に掛けられているものを指す。
「あの梓弓を貸せ。破魔矢もだ。あるだけよこせ」
巫女は眉ひそめ、土瓶と椀を持って行ってしまった。




