3.二匹、問われる
夕暮れ時。
準備整え、太郎といち子は例の馬捨て場を訪れた。
藪の中にちょうど良い山桃の大木が生えており、そこに登ってまずは窪地の様子を窺う。
「さながら地獄じゃな」
死骸の敷き詰まった惨状に太郎がぼやく。
腐り落ちた山桃の実の酸っぱい匂いと、死臭がまざってなんとも言えぬ。
「皆、どっかしら千切れとるね」
「ん?」
「ほら、五体のどっかが欠けとるやろ。それに目玉をえぐり取られとる」
太郎も目を凝らさば、確かに牛馬も人もそのようなことになっている。
「ははあ、なるほどな。ゆえに百目か」
「死体から目玉を奪ったゆうこと?」
「かもしれん。さてさて、奇襲が通じると良いが」
「機ぃを違うたらいけんよ」
「おうさ」
太郎は窪地に飛び降り、武者の死体に化けた。
木に残ったいち子は、腰の刀に手をかけ時を待つ。
やがて。
西に日が沈みきるや、死骸の下より巨人の手が飛び出した。
だん、めきめき。だん、めきめき。
周囲の骨あるものを押し潰し、その巨体を地より引きずり出す。
両手は人。両足は蹄。
黒いたてがみの馬の頭をして、全身は鹿毛の色。
そして百個の目玉は、人でも馬でも牛でもある。
死骸を継ぎはぎした姿の、おぞましさたるや。
これぞ醜悪なりし死地の怪物、百目。
立ち上がったそれは、大木にいるいち子のところまで、頭の先が届きそうであった。
いち子はさっと刀を抜く。
前か後ろかで言うならば、巨人はいち子に背を向けている。
されど、いくつもの目玉がいち子を見ていた。
「はっ!」
電光石火。いち子が刃を振りかぶって飛び降りる。
目標は巨人の脳天。
と同時にその足元で、突如起き上がった死体が刃を抜いた。
上下から一度に狙われ百目は、
「ふん」
身を少しばかり、揺するだけ。
左手の裏がいち子を跳ね除け、右の蹄が太郎を蹴飛ばす。
百目は上下の動きをすべて見ていた。
「ぎゃん!」
と、それぞれ地に叩き付けられた二匹。
すかさず起き上がるや、巨人と距離を取りつつ合流する。
それを百目は動かず、じっと見ていた。
「・・・今ぁ、何時か」
見ながら問うた。
真っ赤な口を開けて問うた。
「ああ?」
「今ぁ、何時だ」
「なんやの、あんた」
太郎もいち子も刃を構え、警戒している。
百目はだらりと両腕を下げている。
「キクリが死んでどれだけ経った。十か、五十か、それともやっと百年か」
「なんじゃ、なんの話じゃ」
「知らんか。わからんか」
「知らん。わからん」
「そうかい」
途端、百目が跳ねた。
一足にて二匹の頭上にある。
太郎もいち子も泡喰って避けたが、巨体が着地とともに跳ね上げた死体にはぶつかり、吹っ飛ばされた。
さらに二匹を追って、百目が手足を地に叩き付ける。
牛馬の死骸の下から必死に這い出て、二匹は一生懸命に逃げ回った。
されど百目。
小さな者が細々逃げ回ろうと、すべてすっかり捉えている。首を回して追う必要もなく、太郎といち子をまとめて潰さんとする。
「――ええい、こいつでどうじゃ!」
太郎の合図で、二匹は懐より葉っぱをまき散らす。
葉っぱは小僧と小娘の姿に変じ、あっという間に増えた数十匹の狐狸が窪地を駆け巡った。
こうなれば、見えていようがいまいが意味はない。
百目の手足は合わせて四つ。狐狸どもを一度に踏み潰すことはできぬ。
とりあえずも足もとの奴ばらを潰さば、葉っぱに戻る。しかしまた狐狸に変ず。
二つも千年妖の珠を喰らったればこそ、こんな芸当もできるようになった。
さて、これではきりがない。
さぞや百目は困り果てていよう。
目ばかりの馬の顔色は読めねども、内心でほくそ笑む二匹は喜々と刃を振りかぶる。
先駆け一番、いち子が己が分身を蹴り、百目の背の格別大きな目に刃を突き立てた。
ぐじゅりと、柔いものを刺す感触。
のけ反る巨人。
さあここから反撃と勢いづくところ。しかし。
ぶしゃああ。
血とともに、目から噴き出した毒霧がいち子を襲った。
「――っ!」
たまらずいち子は落ちた。
分身も消え、しかも本体が死骸の上でぴくりとも動かぬとなれば、太郎も追撃どころでない。
「いち子!」
百目に潰されるより先に、太郎が全力で駆けてその身を抱え込む。
小賢し狐、退き際はさすがに心得ていた。
あっという間に窪地を脱すると、背後を少しも顧みず走りに走った。
やがて谷間に川を見つけ、そこへいち子をざぶんと浸ける。
いち子は目を閉じ、ぐったりしている。
手足のどこにも力が入っていない。
「まだじゃ、まだ死ぬなっ」
魂の抜けたような体を川瀬に横たえ、太郎は懸命にいち子の顔をこする。
疾く疾く、毒を流さねばならぬ。
すると、ぷは、とある時、水面で息を吹き返した。
「・・・あんたぁ、うちを、溺れさす気か」
急ぎ太郎はいち子を抱き起こす。
だがまだ完全に清められたかわからぬから、岸には上がらず流れの中に座ったままでいる。
現に、いち子はまだぐったりと目を閉じて、己で立ち上がることができぬようであった。
「いち子、死ぬな、死なんでくれ」
不安に駆られ、太郎は冷たい瞼を舐める。
それにいち子は弱々しく頭を振って抵抗した。
「やぁ、なんで、舐めるん」
「そら舐めるじゃろ。目ぇ開けんかったら」
「舐めんわ。犬か」
この辺り、狐に育てられた太郎と、人に育てられたいち子のわずかな違いであった。
「具合はどうじゃ。死にそうか」
「そこまでや、ない。けんど、体が、動かん。ちと、休まして」
「おぉ休め。さあもっと俺にもたれろ。案ずるな。百目が追ってきたらば、ぬしを担いで逃げてやるからな」
それを証明するよう、太郎はいっそう強くいち子を抱きしめる。
するといち子は笑った。
「あんたぁ、泣いとんの?」
「泣いとらん」
ぐずりと太郎は鼻を鳴らした。
「案外、弱虫ね」
「うるさい。ぬしに死なれたら俺は終わりじゃ。これより怖いことがあってたまるか」
「なんやの。ひとりで八十年も、生きてきたのじゃろ」
「ああ生きたさ、惨めに八十年も、隠れて逃げて生きてきたとも。だが、ぬしと組んでからは惨めでなくなったのだ。なあいち子、頼むから俺より先に死んでくれるな。俺を独りに戻すな」
「弱虫やねえ」
元気はないが、いち子はころころ笑っている。
その声が揺れが、太郎は天地の何よりも愛しく思えた。
「――にしてもあの百目、どう殺したもんか」
いち子を抱き直し、その肩に顎乗せて唸る。
変化でいくら裏を掻いても、百目を斬りつければその身の内に籠った毒霧にやられる。近づいて殺すのではどうやらまずい。
「弓ででも、射る?」
「おそらく、それしかなかろうな。しかしあれを殺すに何本の矢がいるか。まず何よりも、ぬしを養生させる場所を見つけねば」
「ん。そのうち、治るとは思うけんど・・・そういや、百目のやつ、全然追って来んね」
薄く目を開け、いち子は山林の闇を気だるげに見やる。
どんなに耳を澄ましても、あの巨体が木々を押し分け迫って来る気配はしない。
「ん、待て。何か来る」
不意に太郎が腰を浮かす。
百目の気配でないが、確かに何かがこちらへやって来る。
二匹が注意深く窺っておれば、現れたのは、馬引く一人の老婆であった。
川面の光に反射して、白と紅の巫衣装が浮き彫りになる。
老婆は川中の二匹を静かに見つめていた。
「あなた方は、百目を殺しに参ったのですか」
そうして静かに問いかけた。
「今ほど、あなた方が百目と戦うさまを藪の外より見ておりました。あれを殺してくれるのですか」
「だとすれば、どうする?」
「どうぞこちらへ。身を休める場所をお貸ししましょう」
老婆は二匹へ付いて来るよう、身振りで促す。
「ぬしは何者じゃ」
「私は、かの化け物を生みし社の巫女です」
告げて老婆は踵を返す。
二匹は少しばかり迷ったが、やがて後を追って行った。




