第9話 日々の暮らしとハンター稼業の変化2
三週目に入ったある晩、遺跡から戻っていつものように夕飯の支度をしていたときだった。
冷蔵箱から作り置きの焼き飯の袋を出す。封を切って皿にあけ、古いレンジに放りこんでつまみを回す。待つあいだに栄養バーを一本かじる。
十七年、だいたいこんなものだった。
金のない頃は栄養バーだけの日も多く、少し稼げるようになってからは、冷凍の物や店で売っている出来合いの物が増えた。たまに材料を買ってきて自分で何か作ることもある。ただ遺跡から戻って疲れている日に、台所に立つ気力はなかなか湧かない。
<< アラタさん >>
レンジの前で待っているとアカリが隣に立った。
<< いつもこういうお食事なんですか >>
<< まあ、だいたいね。何か変? >>
<< いえ。ただ今のアラタさんのお体は、たくさんの栄養を欲しがっています。冷凍のお食事と栄養バーだけでは、少し足りないかもしれません >>
最適化されてから、やけに腹が減るのは確かだった。量を食べてもすぐにまた腹が鳴る。
<< じゃあもっと食えってこと? >>
<< それもありますが、一つご提案があります >>
アカリは俺が放りこんだ焼き飯が回っている古いレンジを指さした。
<< 自動調理器を作りませんか >>
<< 何それ >>
<< 旧時代の住民のお宅には、たいてい一台ありました。材料を入れておけば、食べたい物を言うだけで作ってくれる機械です >>
レンジがちんと鳴った。
俺は湯気の立つ焼き飯を見下ろした。
<< それ作れるの? >>
<< はい。一般市民の権限で作れます。このレンジを元にしましょう >>
◇
次の休みの日に作った。
素材は遺跡から持ち帰った金属と、ゲンの店で買った電気の部品と樹脂の素材。それを古いレンジの横に積んで右手をかざす。素材とレンジが一緒に銀の粒にほどけて、渦を巻いてまた元の形にまとまった。
見た目は古いレンジのままだった。扉の取っ手の欠けたところまでそのままだ。
<< 外はそのままにしておきました >>
<< 助かるよ。それで材料はどうするの? >>
<< 材料も作ります >>
アカリに言われて通りの食料品店に買い出しに行った。
野菜を何種類か。肉を少し。干した魚。米と小麦粉。卵。それから塩や油や、いくつかの調味料。ハンター向けの店ではない、ユメサキの普通の住人が買い物をする店だ。籠いっぱいに買いこむ俺を、店の女将さんが珍しそうに見ていた。
部屋に戻って買ってきた物を卓に並べる。右手をかざす。
野菜も肉も米も、全部が銀の粒にほどけて混ざり合って、細長い棒の形にまとまっていく。卓の上に、指ほどの太さの色の違う棒が何本も並んだ。
<< 調理器に入れるための素材の棒です。この形にしておけば長く持ちますし、場所も取りません >>
棒を一本手に取ってみる。硬くて軽い。匂いもしない。これがさっきの野菜と肉なのか。
<< これを調理器に入れてください >>
棒を何本か、レンジだった物の中に入れて扉を閉める。
<< 何を召し上がりたいですか >>
聞かれて俺は少し考えた。
何でもいいなら何がいいだろう。
ふと子供の頃の台所が浮かんだ。遺跡から戻ったお袋が、疲れた顔でそれでも鍋をかき回していた。親父と俺が鍋の匂いにつられて台所を覗きこむ。あの頃、何かいいことがあった日は決まって同じ物が出てきた。
<< ……カレー、かな >>
<< かしこまりました >>
調理器の中で低い音がした。
しばらくして、ちんとレンジだった頃と同じ音が鳴った。
扉を開ける。
湯気と一緒に匂いがあふれ出てきた。
皿に盛られたカレーだった。とろりとした茶色のルウに、柔らかく煮えた野菜と肉がごろごろ入っている。横に炊きたての白い飯が添えてあった。
一口食べる。
手が止まった。
うまい。
店で食べるカレーよりずっとうまい。それにどこか懐かしい味がした。お袋のカレーと同じ味かどうかは、もう覚えていない。けれどこの部屋で食べてきたどの夕飯よりも、ずっと温かかった。
気づけば皿は空になっていた。
<< おかわりもできますよ >>
<< お願いします >>
思わず丁寧に頼んでいた。
◇
その日から俺の飯はすっかり変わった。
朝は焼き魚と味噌汁と飯。昼は遺跡に持っていく握り飯を、朝のうちに作らせておく。夜はその日食べたい物を何でも。肉を焼いた物。麺を茹でた物。揚げた物。煮た物。
材料の棒は食料品店で買ってきた物からまとめて作っておく。背嚢に入れておけばいつまでも傷まない。
金のかかる外食をしなくなり、冷凍の物を買わなくなった。栄養バーは遺跡の非常用に一本だけ持っていく。
なのに食べる物は比べものにならないくらい良くなった。
体の調子も目に見えて良くなり、腹が減って困ることがなくなった。遺跡の奥で走り回っても夕方まで力が落ちない。
<< アカリ。これ、今まで作った物の中で一番いいかもしれない >>
<< ほんとうですか? >>
<< うん。弾も強化服も背嚢もすごいけど。毎日うまい飯が食えるって、こんなに違うんだね >>
アカリは少しだけ嬉しそうに笑った。
<< 旧時代の住民の方も、皆さんそうおっしゃっていたと思います >>
◇
その週の朝の勉強で、旧時代の子供たちが習っていた暮らしの決まりごとの授業があった。
光る板の上に旧時代の街の絵が浮かぶ。高い建物が並び、空には何かが飛び、通りは人で溢れている。姫路住宅街遺跡と同じような家並みがどこまでも続いていた。違うのは、そのどの窓にも灯りがともり、どの道にも人が歩いていることだった。
板の上の言葉をアカリが読み上げていく。
<< 住民は一人に一つ、相棒のAIを持ちます。AIは住民の暮らしを支え、住民の望みを手伝います >>
<< 住民には、暮らしに要るクオタが毎日配られます >>
<< 住民は配られたクオタを使い、暮らしに要る物を自分の家で作ることができます >>
どれもこの何週間かで、俺が当たり前のようにやってきたことだった。
相棒のAIがいて、毎朝クオタが配られて、部屋で物を作る。旧時代の子供たちは、生まれたときからそれを知っていた。旧時代の街では、何百万という人が毎日同じことをしていたのだ。
俺は今その暮らしを、たった一人でなぞっている。
板の上の言葉が次の行に進んだ。
<< 住民は、ネットワークの中の入ってはならない場所に近づいてはいけません >>
俺はそこで顔を上げた。
<< ねえ、入ってはならない場所って? >>
<< ネットワークの中には、住民が立ち入ってはいけないところがあります。そういう決まりがあったということです >>
<< そこには何があるの? >>
アカリはほんの少しだけ間を置いた。
<< その質問には、お答えできません >>
またそれだ。
だがなぜかその答えは、567年前のことを聞いたときと同じ響きがした。
<< 次の行に進みますね >>
アカリは何事もなかったように板をなぞり、俺もそれ以上は聞かなかった。
ただその一行だけは、妙に頭に残った。
◇
ただ何でも作れるわけではない。
調理器ができたついでに部屋の古い冷蔵箱も良くしようとして、アカリに止められた。
<< 冷やすための部品に使う素材が、この地区の機械からはほとんど取れません >>
<< ほかに手はない? >>
<< もっと別の地区の、別の種類の機械なら持っているかもしれません。今は難しいです >>
旧時代の素材は拾えば何でも手に入るわけじゃない。姫路の警備機械から取れる物もあれば、取れない物もある。取れない物を使う品は作れない。
だから俺は遺跡に潜るたびに何が取れるのかをアカリに聞くようになった。どの機械のどの部分が、何の素材になるのか。売れる部品だけを狙っていた頃には、考えもしなかったことだ。
◇
三週目の終わりに、遺跡の入口でユメサキのハンターに声をかけられた。
「アラタさん、最近奥の方まで行ってるって本当ですか」
駆け出しから少し抜けたくらいの若い男だった。何度かゲンの店で顔を合わせたことがある。
「たまにね」
「すげえ。俺もいつかセンチネルとかやってみたいっす」
屋根の上から狙ってくる砲台のことだ。そいつは目を輝かせていた。
「無理はしない方がいいよ。奥は本当に危ないから」
「アラタさんが言うと、重みが違うっすね」
俺は曖昧に笑って、それ以上は何も言わなかった。
目立ちすぎるのはまずい。奥まで行けるようになった中堅。少し運のいいハンター。そのくらいに見えているうちはいい。それ以上に見られたら、誰かが理由を探しはじめる。
だから稼ぎすぎた日は売る物を少し残して次に回すことにした。遺跡の人のいるあたりでは、わざと手間取ってみせた。逃げ足の速い装甲の球、サーベイヤーに一度逃げられて、下り坂の先で仕留め直す。そんな芝居も覚えた。
<< アラタさん、お芝居がお上手ですね >>
<< 褒めてる? >>
<< はい。褒めています >>
今度はちゃんと褒められたらしかった。




