第10話 日々の暮らしとハンター稼業の変化3
四週目に入って、ハンター用の情報端末にも手を入れた。
手のひらに収まる薄い板だ。買い取りの記録、仕事の履歴、身分の証明。ハンターとして暮らすのに要る物が全部この中に入っている。掲示板を覗くのも遠くの誰かと連絡を取るのも、これでやる。
ただ俺のは、もう何年も前の型落ちだった。掲示板の画面を開くのに時間がかかる。電池の減りも早い。
卓に置いて素材を添えて右手をかざす。
端末が一瞬だけ銀の粒にほどけて、すぐに元の形に戻った。画面の端の小さな傷まで元のままだ。
電源を入れる。
掲示板が触れた瞬間に開いた。遺跡ごとの板を行き来しても画面が少しも待たない。電池の残りを示す印は、一日使ってもほとんど減らなかった。
<< 中身を旧時代の基準に入れ替えました。できることは前と変わりません。ただそのすべてが、ずっと速く、長く持つようになっています >>
<< パソコンと同じだね >>
<< はい。見た目を変えずに、中だけです >>
前と同じ端末に見える。前と同じことしかできない。それでも手の中の板は、もう別物だった。
◇
ほかにも細々とした物を良くしていった。
天井の、ちらつくようになっていた灯り。湯がなかなか沸かない古い湯沸かし。立てつけの悪い窓。水の出が細い台所の蛇口。
一つ一つは大したことじゃない。旧時代の人間なら気にもとめないような物ばかりだ。けれどそれが一つ良くなるたびに、部屋の中の小さな面倒が一つずつ消えていった。
灯りは目に優しい色で、部屋の隅まで明るく照らすようになった。湯は蛇口をひねればすぐに熱いのが出る。窓は指一本で音もなく開く。
気づけば、この狭い部屋がずいぶん暮らしやすくなっていた。
広さは少しも変わっていない。壁の染みも天井の染みもそのままだ。外から見れば、ハンター向けの安アパートのどこにでもある一室だ。
ただ中にある物の中身だけが、少しずつ旧時代になっていった。
◇
四週目の遺跡で、奥の役所の通りにまた機銃の砲台タレットと、狙撃の砲台センチネルが据えつけられていた。
壊した物はいつの間にか新しく置き直される。この遺跡を守っているAIが作り足しているのだろう。
一か月前、俺はここでセンチネルの一発に肩をかすめられて、シールドを半分持っていかれた。瓦礫を投げて気をそらし、体感時間の操作に頼ってやっとのことで仕留めた。
今日は違う。
タレットの光が首を振る。その隙間を歩いて抜ける。塀の陰から陰へ、光が戻ってくる前に移る。焦りも急ぎもしない。光がどの速さでどこまで振れるのか、もう体が覚えていた。
拳銃で二発。タレットが黙る。
屋根の上のセンチネルが、こちらに腕を回しはじめる。撃ってくる瞬間がわかる。腕の向きと間の取り方で、もう読める。
撃ってきた。
俺は半歩下がった。弾は目の前の空気を裂いて塀に穴を開ける。
腕がもう一度動く前に、ライフルで腕の後ろの黄色い筒を撃ち抜いた。
センチネルが煙を噴いて止まった。シールドは少しも減っていない。
役所の中の、浮かぶ重装甲のシュレッダーも同じだった。破片の嵐が来る前に戸口へ一歩引く。嵐が過ぎた瞬間に一歩出て推進器を撃つ。溜めに入ったところでとどめを刺す。
どこにも苦戦はなかった。
強くなったのは体だけじゃない。良くなった体の使い方を、この一か月で体の方が覚えたのだ。どこまで跳べるか。どこまで速く動けるか。どこで力を抜けばいいか。それがわかってくると、姫路の警備機械は驚くほど遅く、驚くほど脆く見えた。
一か月前は気の抜けなかった相手だ。
今はもう怖くなかった。
壊れたタレットの残骸を背嚢に詰めながら、俺は念話でぼやいた。
<< これ、壊さずに止められたら楽なのにね。いちいち撃つのも弾がもったいないし >>
<< 技術者の権限があれば、できますよ >>
<< え? >>
<< 警備機械は地区の警備の網で繋がっています。技術者の権限があれば、その網に入って機械を止めたり、目を潰したりすることもできます。旧時代の技術者の方は、点検のときに皆さんそうしていました >>
警備の網に入って止める。
撃たずに壊さずに、機械を黙らせる。
<< それすごくない? >>
<< はい。ですので市民の権限の次は、技術者の権限を目指すのがいいと思います >>
アカリは楽しそうに言った。
俺は手甲の上から手首を押さえた。三つの四角はもうすぐ四つになる。その先に技術者の権限がある。
一段ずつ上っていく。その道筋が少しずつ見えてきた気がした。
◇
遺跡の稼ぎは伸び続けた。
三日に一度姫路に潜る。装甲の球のサーベイヤーを狩り、浮かぶ重装甲のシュレッダーを狩り、奥の方ではセンチネルやタレットも壊す。売れる部品はゲンの店に売り、売れない部品は素材として持ち帰る。
弾は改良した物を自分で作るから、ほとんど金がかからない。シールドセルも自分で作る。強化服は傷んでもアカリが直す。飯は調理器が作る。
稼いだ金がほとんどそのまま残った。
端末の残高を眺めるのが少しずつ面白くなっていった。貯金というものを、俺はこれまでまともにしたことがない。遺跡から戻るたびに、端末に記録された貯えの数字を確かめるのが楽しみになった。
ゲンは相変わらず何も聞いてこない。ただ俺が店に入ると、帳面を開く前にまず背嚢を見るようになった。
ユメサキの中堅と呼ばれていた俺は、いつの間にかそう呼ばれなくなりつつある。
それが少しだけ怖い。
もっと東の一流と呼ばれる連中には、まだ遠く及ばない。それでもユメサキの中では頭一つ抜けたところに来ている。
四週目の終わりには、ユメサキを出るところから後をつけてくるバイクがあった。
若いハンターの二人組だ。ゲンの店の前で何度か見かけた顔だった。
遺跡の手前で道を外れ、廃屋の陰でエンジンを切る。二人組は俺に気づかないまま遺跡の入口の方へ走っていった。
稼ぎのいい奴の狩り場を知りたい。ハンターなら誰でも考えることだ。俺も駆け出しの頃に一度やったことがある。
それでもしばらくは背中の冷たさが抜けない。
◇
勉強はするすると頭に入った。
自分でも信じられなかった。十五で学校を辞めた俺が、毎朝、旧時代の子供たちが習っていたことを、一日分ずつ片づけていく。
言葉。数。物が動く仕組み。体の仕組み。機械と情報の基礎。暮らしを回すための決まりごと。
夜のうちに入った知識は、朝にはもう頭の中の決まった場所に座っている。光る板の上で一度なぞれば、それがしっかりと根を張る。新しいことを聞けば、前に覚えたことと勝手に繋がっていく。
覚えたことを忘れない。わからなかったことが、ある瞬間すとんとわかる。それが毎日何度も起きた。
勉強が得意だと思ったことは一度もなかった。
今は朝の勉強の時間が少し待ち遠しい。
<< アラタさんは飲みこみが早いですね >>
<< 頭を良くしてくれたのはアカリでしょ >>
<< 頭を整えたのはわたしです。でも面白がって先に進もうとするのは、アラタさんです >>
そう言われると悪い気はしなかった。
ただ覚えれば覚えるほど、一つのことが気にかかった。
旧時代の子供たちはこれを全部当たり前に知っていたのだ。物を作る仕組みも、機械を動かす仕組みも、暮らしを回す仕組みも。その上であの街を作り、あの機械を作り、あの文明を作った。
そしていなくなった。
これだけのことを知っていた人間たちが、なぜ。
勉強が進むほど、その疑問は少しずつ大きくなっていった。
◇
ちょうど一か月が過ぎた朝。
いつものように勉強を終えると、アカリが光る板を閉じた。
<< アラタさん。おめでとうございます >>
<< 何が? >>
<< 基礎教育の課程をすべて修了されました >>
アカリは背筋を伸ばして、窓口で会ったときのように丁寧に頭を下げた。
<< これをもって、アラタさんの権限を一段階引き上げます。基礎教育修了者です >>
右手首が熱くなった。
内側のマークが青く光っている。四角が三つ、入れ子に重なった模様。その光がゆっくりと外へ広がっていって、一番外の四角のさらに外側に、もう一つ細い線を描いた。
四角が四つになった。
光が収まると、マークは元どおり目立たない程度にかすかに光るだけになる。ただ四角は四つのままだった。
<< 権限が上がったことで、毎日のクオタが増えます。作れる物も増えています >>
<< 何が作れるようになったの? >>
<< それはこれから一緒に見ていきましょう。それからもう一つ。姫路の地区の建物に、正式に入れるようになりました >>
<< どういうこと? >>
<< 今までは、開いている所からしか入れませんでしたよね。これからは鍵のかかった扉の多くを、住民として普通に開けられます。基礎教育を終えた住民には、それが許されていましたから >>
姫路の奥にはそういう扉がいくらでもあった。誰も開けられないから、誰も入ったことのない建物が。
<< 警備機械はどうなるの? >>
<< 今までどおりです。襲ってきます。扉が開くのに機械が襲ってこないのは、さすがにおかしいですから >>
アカリは少しいたずらっぽく笑った。
俺は手首の四つの四角を見下ろした。
一つ増えただけだ。見た目はほとんど変わらない。それでもあの遺跡の開かなかった扉が開く。
<< ねえアカリ >>
<< はい >>
<< 567年前に、何があったの? >>
一か月ずっと引っかかっていたことだった。
アカリは少しだけ間を置いた。
<< 申し訳ありません。その質問には、まだお答えできません >>
<< 権限が上がっても? >>
<< はい。基礎教育修了者は、まだ一般市民の中の一段階です。お答えできることは少しずつ増えていきますけれど >>
まだ、か。
それでも前とは言い方が違った。567年前のことを聞いたとき、以前はただ「お答えできません」だった。今は「まだ」がついている。
それだけで十分だった。
<< じゃあ、次に遺跡に行く日が楽しみだね >>
<< はい。わたしも楽しみです >>
窓の外ではユメサキの朝がいつものように動き出していた。




