第27話 森の中の白い道
日が昇る頃に目を覚ました。
荷物は昨夜のうちにすべて車へ運び込んである。装備一式、弾薬、シールドセル、集めた素材。それに、自動調理器で作り置きしておいた食べ物を荷台の棚いっぱいに詰め込んだ。体を作り変えてからというもの、腹が減るのがとにかく早い。
<< おはようございます、アラタさん >>
<< おはよう。行こうか >>
運転席へ滑り込み、念話で車を起こす。床下に据え付けたジェネレーターが、微かな唸りを上げて目覚めた。
<< 出発される前に、一つだけお伝えしておきたいことがあります >>
助手席の空間に、座る格好でアカリの姿が浮かび上がった。
<< 何? >>
<< 中等教育修了者の権限で、新たに使えるようになった設備があります。旧時代の地下路線です >>
視界の端に薄青い光の板が開き、地図が映し出された。姫路の駅の直下から、東へ向かって一本の細い線がまっすぐに伸びている。その線は神戸を通過し、さらにその先、遥か東まで続いていた。
<< 旧時代の人々は、都市間を移動する際に地上の道ではなく地下の路線を用いていました。管の中を、乗り物がとても速く走る仕組みです。今も動いています >>
<< 速いって、どのくらい? >>
<< 姫路から神戸まで数分です >>
耳を疑った。車を走らせれば一時間は下らない道のりが、ほんの数分で済むという。
<< 入口は姫路駅遺跡の駅の下にあります。神戸側は神戸遺跡の駅の下ですね。路線内の警備は、住民の方を襲うことはありません >>
俺は視界に浮かぶ細い線をじっと見つめた。
とてつもなく便利だ。喉から手が出るほど魅力的な移動手段には違いない。
だが頭の片隅で、冷静なもう一人の自分が即座に首を振っていた。
<< ……やめておくよ >>
<< はい。理由を伺ってもよろしいですか? >>
<< 早すぎるんだよ >>
俺は頭の中で指を折った。
<< まず、到着が早すぎる。ユメサキを朝に出た奴が、車で一時間はかかる距離を飛び越えて数分で神戸に現れたら、誰だって怪しむでしょ。それに、道中で誰の目にも留まらない。途中の痕跡が完全に抜けた状態で向こうに着くんだ。どうやって来たのか聞かれたら、辻褄の合う言い訳ができない >>
<< はい >>
<< それから出入り口。駅の下に入っていくところや、そこから出てくるところを誰かに見られたら終わりだ。神戸の駅のあたりなんて、腕利きのハンターがいくらでもうろついてるんでしょ? >>
<< はい。神戸遺跡は実力のある方々が多く活動されています >>
<< それに、中の警備が俺を襲わないなら、なおさら人前には晒せない。周りの人間が襲われている中で俺だけ平気な顔をして歩いていたら、一発で普通じゃないって悟られる >>
研究所送り。
あの不吉な言葉が、今も頭の奥底に冷たく張り付いている。
<< 車で行くよ。一時間ならちゃんと通える距離だ。神戸に通っているハンターなんてごまんといるんだから、その中の一人に紛れ込んでいた方がずっと安全だよ >>
<< はい。わたしもそのご判断が賢明だと思います >>
アカリは微笑んで、ふわりと地図の板を畳んだ。
<< ですが、路線のことは覚えておいてくださいね。どうしても困った時の、とっておきですから >>
<< うん。奥の手として取っておくよ >>
◇
車を発進させ、ユメサキの壁沿いの道を回り込んで東へと向かう。
朝の光が差し始めた通りには、すでに何台かのハンター車が動き出していた。壁の外にある俺の家のあたりから、さらに外側に広がるスラム街を貫いていく道だ。崩れかけた小屋の軒先で火を焚いていた子供たちが、煤けた顔を上げて通り過ぎる車を目で追っている。
俺の乗っているのは、くたびれた中古の四輪駆動だ。屋根の上に機銃が一挺据え付けられているだけの、どこにでも転がっているありふれたハンター車である。
その機銃は、この五日のあいだにユメサキの車屋で見繕って載せたものだった。今の時代のハンター車によく付いている型だ。ただし、狙いを定める目も引き金を引く指も、すべてアカリが受け持っている。
取り付けの際、車屋の親父が油まみれの手で額を拭いながら言っていた。最近、道の東の方で野良が出てるから気をつけろ、と。
スラムの粗末な家並みが途切れ、街の輪郭が背後に遠ざかっていった。
◇
姫路駅遺跡を形作る巨大な塔の群れを、北側から大きく迂回するように進む。
何十階もの塔が、朝の白い霧の底に青黒い巨影を沈めていた。この数か月間、日々の糧を得るために何度も見上げてきた景色だ。それがいま、窓の外をゆっくりと後方へ流れていく。
塔の群れを抜けたあたりで、不意にタイヤの擦れる音が変わった。
そこまでの道は、今の時代の人々が瓦礫を押し退け、窪みに土を放り込んで、どうにか繕いながら使ってきた悪路だった。舗装はあちこちで剥がれ落ち、深い亀裂が走り、ところどころ土に呑まれかけている。
だが、その先へと続く道は違っていた。
白く、平らで、どこまでも滑らかな路面だった。継ぎ目一つなく、細い亀裂一つ見当たらない。朝の淡い光を照り返しながら、まるで定規で引いたようにまっすぐ東へ延びている。
道の両脇には、鬱蒼とした森が迫っていた。
見上げるような大木が路肩すれすれまで枝を広げ、場所によっては頭上を覆って緑のトンネルを作っている。それほど旺盛な自然が間近にあるというのに、白い路面の上には根の一本も草の一本も生えていなかった。
<< 旧時代の道です >>
アカリが静かに告げた。
<< かつて都市と都市を結んでいた地上の道ですね。物を運ぶ機械や、畑の世話をする機械が通るための道でした。人の移動は、大半が地下の路線で済んでいましたので >>
<< 畑って、どこにあるの? >>
思わず窓の外へ目を凝らしたが、視界を埋めるのは鬱蒼とした木々の幹ばかりだ。
<< この森の下すべてが、かつての畑です。旧時代の人は街に集まって暮らしていて、街の外の土地のほとんどは畑か、手つかずの自然でした。人がいなくなり、畑の世話をする機械も止まってから、567年かけて森になったんです >>
言われて目を凝らすと、木々の合間にぽっかりと開けた背の低い草地が見えた。その草むらの底に、赤茶けた鉄の残骸が埋もれている。巨大な車輪の枠、折れ曲がって朽ちた腕のような部品。かつて畑の世話をしていた機械のなれの果てだろう。
森は、人が残した営みをあらかた呑み込んでしまっていた。
ただ、足元を貫くこの白い道だけが、567年前の姿のまま傷一つなく残されている。
<< 自動運転に切り替えますね。アラタさんはどうぞゆっくりしていてください >>
<< それなら、少し勉強を進めておこうか >>
<< はい。技術者の次の段の課程の続きを開きますね >>
視界に光る板が開いた。車は微かな振動も立てず、滑るように白い路面を東へと走っていく。
◇
勉強に集中し始めてから、半時間ほどが過ぎた頃だった。
<< アラタさん。前方およそ二百歩、道の右側の森の中に何かいます >>
思考を切り替え、光る板を閉じる。
フロントガラス越しに目を向けると、木立の影の中に蹲る不吉な輪郭が見えた。
機械だ。
犬ほどの大きさの、四本脚の機械が三体。だが、姫路の遺跡で見慣れてきた警備機械とはまるで異なっていた。左右の脚の太さがちぐはぐで、胴体を覆う装甲は、まるで別の機械の残骸から無理やり剥ぎ取ってきたかのように継ぎ接ぎだらけだ。頭部とおぼしき箇所には、目のような光が一つの体に二つ、三つと、ばらばらに付いている。
<< 野良です。遺跡の領域から外に出て、自分で自分を作り変えてきた機械ですね。どの遺跡の警備の網にも繋がっていません >>
<< 警備の網に繋がってないなら、目は潰せないね >>
<< はい。ですが、仲間を呼ばれる心配もありません >>
茂みが激しく揺れ、三体が弾かれたように飛び出してきた。
速い。不規則な駆動音を立てながら、白い道の上をこちらへ向かって一直線に突っ込んでくる。
<< 迎撃します >>
頭上で硬質な金属音が響き、屋根の上の機銃が旋回した。
アカリの握る機銃が、短く断続的な火花を散らす。乾いた銃声が連なり、先頭を走っていた一体の脚が継ぎ目から吹き飛んだ。勢いを失った鉄の塊が、白い路面を火花を散らして転がっていく。
二体目が低く横へ跳んだ。
俺は即座に運転席の窓を下ろした。
世界が引き延ばされ、音も風も粘りつくように減速する。
新しい身体感覚は、まだ思考と肉体のあいだに半歩ほどのズレを孕んでいた。五日間の慣らしでは、完全に物差しを引き直しきれていない。だからこそ、自分の感覚の半歩先に照準を置くつもりで腕を伸ばした。腰のホルスターから抜いた小型弾頭の拳銃――バーレッタの銃口を向ける。
引き金を絞る。
放たれた一発は、跳躍の頂点にあった二体目の、継ぎ接ぎだらけの装甲の隙間へ吸い込まれるように突き刺さった。
世界が通常の速度へと戻る。二体目が、跳んだ姿勢のまま道の端へ叩きつけられた。
残る三体目は、アカリの機銃がすでに蜂の巣にして道路脇の草むらへと薙ぎ払っていた。
<< これで終わりかな? >>
<< はい。周りにほかの反応はありません >>
車は一度も速度を落とすことなく、何事もなかったかのように走り続ける。
バックミラーの小さな四角の中で、白い道の上に置き去りにされた三つの鉄屑が、みるみるうちに点となって小さくなっていった。
<< 素材を回収に戻らなくてよかったの? >>
<< 野良の装甲や部品は継ぎ接ぎ品ばかりですから、高くは売れないと思います。労力に見合いません >>
<< そっか。車屋の親父さんが言ってたの、こいつらのことかな >>
<< おそらく。東へ行くほど、野良は数が増えて、強くなります >>
◇
白い道をさらに東へと進む。
しばらく走ったところで、前方の路肩に違和感を捉え、車が緩やかに減速した。
<< 前方に車があります。止まっています >>
森の緑に突っ込むような角度で、一台のハンター車が斜めに乗り上げていた。
俺の車と同じような四輪駆動車だ。だが、その横腹には無数の穴が穿たれ、フロントガラスは粉々に砕け散り、運転席のドアは力任せに引き開けられたまま歪んでいた。
周囲に人影はない。
<< 近寄らなくていいよ。このまま徐行して横を抜けよう >>
<< はい >>
脇を通り過ぎる際、開け放たれた車内の様子がはっきりと見えた。
徹底的に荒らされていた。座席のシートは引き裂かれ、荷台には塵一つ残っていない。積んでいたはずの弾薬や物資、回収した遺物はすべて持ち去られ、屋根の上に据えられていたはずの機銃すら、台座ごと剥ぎ取られていた。
車体に残された無数の穴は、機械の鋭利な爪によるものじゃない。
銃弾の痕だ。それも、今の時代の人間の銃の弾痕だった。
<< ……野良の機械の仕業じゃないね >>
<< はい。人間の手による強奪です >>
壁の外では、日常茶飯事の光景だった。
遺跡で成果を上げ、荷台を重くして帰途につくハンターを待ち伏せして襲う。物資も、装備も、命すらも根こそぎ奪い去っていく。ユメサキで暮らしてきた十七年間、酒場や組合の窓口でそんな話を耳にタコができるほど聞いてきた。
駆け出しの若い頃、俺自身も一度だけ同じような盗賊に襲われたことがある。少し値の張る遺物を背嚢に詰めて歩いていた帰り道、三人の男に囲まれた。生き残って夜の道を帰ったのは、俺の方だった。
あの時の血の匂いと手の感触は、思い出すだけで胃の奥が冷たくなる。
<< アラタさん >>
<< うん。大丈夫 >>
バックミラーを覗き込むと、壊された車が遠ざかり、やがて木々の陰に見えなくなった。
◇
太陽が高く昇り、木漏れ日の陰影が濃くなり始めた頃、前方の路面から微かな地鳴りが伝わってきた。
<< 前方から大きな車列が来ます。機械の反応ではありません。人の車です >>
アカリの警告に従い、車を道の端へと寄せて徐行させる。
森のカーブの向こうから現れたのは、これまでに見たこともない威容を誇る重車両の群れだった。
俺の乗る車のゆうに三倍はある。分厚い装甲に身を包んだ、巨大な鋼鉄の箱のような運搬車が、五台、六台と整然と列をなして道を圧する。その周囲を、護衛の装甲車が前後左右から隙間なく固めていた。
装甲板の側面には大きな印が描かれている。ユメサキの街でも、弾の箱や回復薬の箱で見かけたことのある印――関西一帯を仕切る、大企業のものだ。
装甲車の天蓋から身を乗り出し、周囲を警戒している人の姿が見えた。
強化服を着込んでいる。だが、俺の知っている強化服とは根本から次元が違っていた。体型に寸分の狂いもなく吸い付く、漆黒の装甲。頭部を完全に覆う兜の奥で、目の部分だけが細い光となって冷たく瞬いている。腰に携えた銃器も、見たことのない形をしていた。
すれ違いざま、その護衛の一人がふと視線をこちらへ落とした。
兜の奥の細い光が、俺の車の上でぴたりと静止する。
ほんの一瞬、呼吸が止まるほどの圧迫感に背筋の産毛が総毛立った。
見られた、というのとは違う。こちらの装備も腕も、一目で残らず見抜かれたような感覚だった。
やがて車列は何事もなく通り過ぎ、重厚なエンジン音の地鳴りを西へと遠ざけていった。
<< ……今の、何だったの? >>
<< 大企業の輸送隊だと思います。護衛の方の装備は、わたしにもよくわかりません。ただ、今の時代の物としてはとても高い水準です。アラタさんの今の装備を、ずっと上回っていると思います >>
俺は息を吐き出し、強張っていた指先をゆっくりと解いた。
中等教育を終え、身体を最適化し、旧時代の技術で装備を整えたことで、自分は少し強くなった気でいたのかもしれない。
だが、この世界の上層には、ああいう連中が平然と闊歩しているのだ。
<< 行こうか >>
深くシートに背を預け直すと、車は再び滑らかな白い道の上を走り始めた。
◇
やがて森が途切れ、視界が一気に開ける。
白い道の向こうに、果てしない海が広がっていた。朝の霧はもう晴れ、昇ったばかりの日の光を浴びて、青い水面がきらきらと眩い光を跳ね返している。
そして、その海沿いに、巨大な壁がそびえ立っていた。
ユメサキの壁とは規模が違いすぎた。三倍か、あるいは四倍はあるだろうか。重厚な灰色の防壁が、海沿いの平野部を端から端まで囲いこむように連なっている。壁の上には砲台がいくつも据え付けられ、緩慢に首を振っていた。
壁の向こう側には、林立する建物の頭が見える。ユメサキの坂の上の建物など足元にも及ばない高さのものが、何本も何本もひしめき合っている。
さらにその奥、壁の向こうの山の手前に、空を霞ませる巨大な影がそびえ立っていた。
無数の塔の群れだ。姫路駅遺跡の塔よりも遥かに高く、数も桁が違う。塔と塔を繋ぐ空中の通路が、遠目からでも複雑な蜘蛛の巣のように張り巡らされているのが見て取れた。
神戸遺跡。
<< 着きました。ミナトベ都市です >>
アカリの声が静かに響く。
巨大な門の前には、中へ入るのを待つハンター車の長い列ができていた。俺の四駆など霞んでしまうような、上等な大型の車が何台も列をなしている。
俺はその列の最後尾へと車を滑り込ませた。
<< とんでもなくでかいね >>
<< はい。ユメサキよりずっと大きな都市です >>
窓を少し開けると、門の向こう側から見知らぬ街の気配が潮風に乗って押し寄せてきた。
無数の人々のざわめき。車の走る音。遠くから響いてくる、重く鈍い鐘の音。
トキワという男が、この壁の向こうのどこかにいる。
そして、親父とお袋が最後に潜った遺跡が、あの霞む塔の群れの中にあるのだ。
門の前で、車の列がゆっくりと一台分、前へ進んだ。




