第28話 ミナトベ都市
門の係は俺のハンターライセンスを受け取ると、読み取り機にかざし、画面に流れる文字列を目で追った。
「ユメサキか。五級だな」
「ええ」
「遠くからご苦労なこった」
それだけ言うと、係は顎で門の奥を無造作に指し示した。背後にはまだ車の列が長く続いている。一台にかける時間はほんのわずかだった。
アクセルを軽く踏み込み、分厚い門をくぐり抜ける。
◇
ユメサキとは、何もかもが違っていた。
まず道が広い。車が四台並んで走れるほどの幅がある。その両脇には建物がぎっしりと連なり、三階建てや四階建ては当たり前で、ユメサキの坂の上でしか見かけないような高い建物が、ここではごく普通にあちこちへ建ち並んでいた。
人の数も桁違いだった。歩道を行き交う人々、屋台の前に列を作る者、重そうな荷車を押していく者。ハンターらしい強化服を着込んだ連中の姿もユメサキの何倍もあり、その装備のどれもが、あちらでは滅多にお目にかかれない上等な物ばかりだ。
通りの辻々には、揃いの制服を着た男たちが立っていた。腰に銃を提げ、行き交う人々の流れを黙然と見張っている。
<< 都市の防衛隊の方です >>
アカリの声が届いた。
<< ユメサキにもいるけど、こんなにあちこちには立ってないね >>
<< はい。人が多い分、それだけ揉め事も多いのだと思います >>
どこかで鐘の音が重く響いた。港の方角からだ。流れてくる風に、かすかに潮の匂いが混じっていた。
◇
ハンター組合の支部は、大通りに面した一等地に堂々と構えていた。
ユメサキの中央の買取所と比べても、ひと回りもふた回りも大きい。正面の重厚な壁面には、組合の大きな印が掲げられている。
扉を抜けて中へ入ると、広間は人で埋め尽くされていた。買い取り窓口の前には何本もの列が伸び、壁一面の巨大な掲示板には、遺跡の噂話や機械の目撃の知らせ、仲間を募る貼り紙などが隙間なくびっしりと貼られている。
俺は人の波を避けながら、一番端にある空いた窓口へ向かった。
「今日から神戸遺跡に潜らせてもらおうと思っています。ユメサキから来たアラタです」
窓口の女性係員は俺のライセンスを受け取り、手元の機械にかざした。
「ご丁寧に恐れ入ります。神戸遺跡で活動されるハンターの一覧に、お名前を載せておきますね」
「お願いします」
「組合への事前の届け出のようなものは不要ですので、潜るのはいつでもご自由になさってください。ただ、万が一何かあった際に、どこの誰が潜っていたかくらいはこちらでも把握しておきたいので」
何かあったとき。その言葉の指す意味は、あえて尋ねるまでもなかった。要するに、生きて戻らなかったときのことだ。
「ユメサキでは、こういう挨拶は要らなかったんですけどね」
「あちらは潜る方の数自体が少ないですから。こちらは人も遺跡の規模も格段に大きいので。はい、載せました。神戸へようこそ」
ライセンスが手元に返された、その瞬間だった。
広間全体の空気が、ふっとわずかに張り詰めた。
入口の扉が開き、十人ほどの一団が足並みを揃えて入ってくる。全員が揃いの上等な強化服を身にまとっていた。その肩口には、港で船の荷を吊り上げる巨大なクレーンを模した印がくっきりと描かれている。
窓口の列に並んでいたハンターたちが、促されるでもなく自然と道を左右に空けた。一団は何事もないかのようにその中央を堂々と通り抜け、奥の窓口へと向かっていく。奥から組合の男が出迎えに出てきて、低声で言葉を交わし始めた。
掲示板の噂話で、その名だけは知っていた。神戸遺跡の攻略を進めている、この界隈で最大の規模を誇るハンターチームだ。
<< あれがガントリーか >>
<< 強化服の質が揃って高いですね。今の時代の物としては、かなり上の方だと思います >>
<< あの人数で、全員があれを着てるんだね >>
ユメサキにはあのようなチームは存在しない。組む者がいたとしても、せいぜい三、四人止まりだ。
通り過ぎる一団の誰一人として、窓口の前に立つ俺の方へ視線を向ける者はいなかった。
俺は息を整え、窓口の女性に向き直った。
「もう一つ、伺ってもいいですか。こちらで活動されているトキワさんというハンターにお会いしたいのですが」
女性の穏やかだった表情が、わずかに引き締まった業務用のものへと切り替わった。
「申し訳ございません。個々のハンターの方の居場所や連絡先は、組合からお伝えすることはできない決まりになっております」
「そうですよね」
もっともな話だ。身元も定かでない、今日ふらりとやって来たばかりの他所者に、人の居場所を教えるような組合があるはずもない。
「ただ、ご伝言でしたらお預かりできますよ。トキワさんへ、あなたの連絡先とご用件をお伝えいたします。実際にお会いになるかどうかは、トキワさんご本人のご判断になりますが」
「お願いします」
差し出された用紙に端末の番号を書いた。それから用件の欄に、少しの間考えてから書き足した。
ユメサキのゲンさんの紹介で来ました。アラタです。
親父やお袋の名前は出さなかった。ゲンの名前さえあれば、向こうには伝わるはずだ。
◇
返事が届くまでの間、俺はミナトベ都市の街並みを歩いて回った。
港の近くに広がる市場を覗き、焼いた魚を串に刺したものを三本買って歩きながら平らげた。それでも腹の虫がおさまらず、立ち並ぶ屋台の一つで具沢山の汁物を二杯立て続けに流し込む。体を作り変えてからというもの、俺の胃袋は驚くほどよく食べ物を受け付けるようになっていた。
防波堤沿いに出ると、港には大型の船が何隻も停泊していた。ユメサキには海がない。遠く海の向こうの土地からも、こうして物資が船で運び込まれてくるのだろう。
<< アラタさん、端末が鳴っています >>
昼を少し回った頃、アカリが知らせてくれた。
懐から端末を取り出して画面を開くと、短い文面が一つ届いていた。
今夜、日が沈んだら。港の三番通りの、錨という酒場。 トキワ
<< 会ってくれるみたいだね >>
<< はい。よかったですね >>
よかった、のかどうかは自分でも判然としなかった。十七年間、何一つ知らないまま生きてきたことに、今夜触れることになる。
◇
錨は、港の倉庫街の外れにひっそりと佇む古い酒場だった。
木製の重い扉を押し開けると、濃密な煙草と安酒、それから香ばしく焼かれた肉の匂いが混ざり合って鼻をついた。薄暗い店内には無骨な丸卓がいくつか並んでいる。客のほとんどはハンターのようだったが、若い血気盛んな連中は見当たらない。誰もが顔に深い皺を刻み、くたびれた服を着た古株ばかりだった。
その一番奥の卓に、男が一人、背を丸めて座っていた。
五十を少し越えたあたりだろうか。短く刈り込まれた髪には白いものが目立ち、がっしりとした肩幅をしている。木目の卓の上に置かれた両手は節くれ立ち、無数の古い傷痕が刻み込まれていた。
男がゆっくりと顔を上げる。俺の顔を視界に収めると、男の目がわずかに見開かれ、それきり彫像のようにぴたりと静止した。
「……親父さんに似てるな」
低く、腹の底に響くような落ち着いた声だった。
「よく言われます」
咄嗟に嘘をついた。そんなことを言われた覚えはほとんどない。親父の顔を覚えている人間など、今のユメサキにはもうゲンくらいしか残っていない。
「座れ。トキワだ」
「アラタです。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
軽く頭を下げてから、向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
トキワはカウンターの店主に向かって無言で手を上げ、酒を二つ頼んだ。
「ゲンは息災か」
「ええ。相変わらずです」
「そうか。あいつはまだ、あの店を続けてるのか」
「やってます。あの頃とたぶん何も変わってないと思います」
トキワは短く息を吐き、口の端をわずかに持ち上げた。
運ばれてきた硝子杯を手に取り、トキワは琥珀色の酒を一口含むと、ことりと卓上に置いた。
「何を聞きに来たかは、わかってる」
「はい」
「ゲンはどこまで話した」
「両親が最後に出た合同任務の行き先が、神戸遺跡の奥だったこと。それから、トキワさんがその任務から生きて戻ってきた一人だということ。それだけです」
トキワは黙り込み、しばらくの間、杯の中に揺れる酒を見つめていた。
「あの任務にはな、腕のいいのが集められたんだ。神戸の奥まで行って、帰ってくる。それだけの仕事だった。……それだけの仕事のはずだったんだ」
節くれ立った指が、杯の縁を静かになぞる。
「奥で、まずいものに出くわした。逃げるしかなかったんだ。だがな、ただ背中を見せて走ったところで、あっという間に追いつかれる。誰かがその場に残って、足を止めなきゃならなかった」
「……それが」
「お前の親父さんと、お袋さんだ」
店の奥で、酔った客の笑い声が上がり、杯がぶつかり合う鈍い音が響いた。
「あの組で一番強かったのが、あの二人だった。だから二人が残った。俺たちは、二人が稼いでくれた時間を使って逃げ延びた」
トキワは杯を強く握り締めたまま、絞り出すように言った。
「俺が今こうして、ここで酒を飲んでいられるのはな。あの二人のおかげなんだよ」
喉の奥が詰まり、言葉が出なかった。
親父とお袋がどうやって命を落としたのか。この十七年間、俺は意識してその疑問から目を逸らし続けてきた。考えたところで、どうにかなることなど何一つなかったからだ。
知らずにいた両親の最期を、いま、その場にいた男の口から聞いている。
仲間を逃がすために、自ら残った。
いかにもあの二人らしいと思った。なぜそう思えるのか、自分でも理由はわからなかったが。
「奥で出くわしたものって、何だったんですか」
トキワは答えなかった。残っていた酒を一息に煽って杯を干すと、射抜くような鋭い視線で俺の目をまっすぐに見据えてきた。
「お前、神戸に潜る気か」
「そのつもりです」
「浅い所で稼ぐだけなら、止めはしない。神戸の浅い所は、腕の立つ奴なら十分に割に合う場所だ。だがな」
トキワの声が、一段と低く重い響きを帯びた。
「奥には近づくな。あの二人の息子を、あんな場所にやるわけにはいかない」
俺は何も言わず、静かに頷いてみせる。
首を縦に振っただけで、奥へ行かないという約束は口にしなかった。トキワもその沈黙の意味に気づいているのかもしれないが、それ以上は何も追及せず、空になった杯を卓の端へと無言で押しやる。
◇
店を出ようとしたとき、トキワは椅子から立ち上がるのに思いのほか時間を要した。
卓の縁に手をつき、右の膝を庇うようにして、軋む身体をゆっくりと起こしていく。
「歳だな」
トキワは自嘲するように口元を歪めた。
「もう奥へ行けるような身体じゃない。この頃は浅い所の、安全な場所でしか狩りをしない。昔の仲間に見られたら笑われる」
「笑う人なんて、誰もいないと思いますよ」
「そうだな。笑う奴も、もうほとんど残っちゃいない」
扉を押し開けて外へ出ると、夜の港から吹き付ける潮風が肌寒かった。
トキワは何気ない風を装って、俺が身につけている強化服へ視線を走らせた。
「その服、ユメサキで整えたのか」
「ええ。自分で少し手を入れてます」
「そうか」
トキワはそれ以上深く詮索はしなかった。代わりに、上着の内ポケットから使い込まれた端末を取り出し、手早く指を動かした。ほどなくして、俺の端末が短く鳴って受信を知らせる。
画面には、ある店の名前と所在地が表示されていた。
「装備をちゃんと見てもらうつもりなら、そこへ行け。神戸で昔から続いてる工房だ。強化服でも銃でも盾でも、きっちり面倒を見てくれる」
「トキワさんの知り合いのお店ですか」
「娘がそこで働いてる」
トキワは少しだけ決まりの悪そうな、照れた顔を見せた。
「口は悪いが、腕だけは確かだ。俺の紹介だと伝えれば、ぼったくられることはないはずだ。たぶんな」
◇
その夜は、ミナトベ都市の壁の内側にあるハンター向けの車の預かり場に車を停め、荷台の中で夜を明かすことにした。
頑丈な扉を内側から閉めると、そこにはユメサキの家と何ら変わらない快適な部屋が広がっている。天井の灯りが優しく灯り、十分な湯が出て、自動調理器が温かい食事を作ってくれた。
食事を終え、寝台に横たわって天井を見上げる。
<< アラタさん。大丈夫ですか >>
静まり返った頭の内側に、アカリの柔らかい声が響いた。
<< うん。大丈夫だよ >>
嘘ではなかった。取り乱しているわけではない。
ただ、トキワが口にした言葉が、耳の奥で何度も繰り返されていた。
あの組で一番強かったのが、あの二人だった。
俺は、ハンターとしての両親の本当の実力をほとんど知らない。十五の子供だった俺の目には、二人はただ遺跡へ稼ぎに行き、帰ってくるのが当たり前の親でしかなかった。疲れた顔を隠しながら台所で鍋をかき混ぜていたお袋と、その隣で笑っていた親父。
あの二人が、腕のいいハンターばかりを集めた組の中で、誰よりも強かった。
<< 奥で、一体何に出くわしたんだろうね >>
<< トキワさんは、話したくないようでしたね >>
<< そうだね。いつか、話してくれるかな >>
<< はい。きっと >>
アカリの返事を最後に、念話は途切れた。
俺は枕元から端末を引き寄せ、トキワが送ってくれた店の名前をもう一度画面に映し出した。
明日は、まずここへ行ってみよう。
そう決めて、息を静かに吐き出しながら瞼を閉じた。




