第22話 技術者試験
『ようこそ、アラタ様』
静かな広間の奥から現れたのは、光でできた初老の男の姿だった。
背筋が定規を当てたようにまっすぐ伸びた、白髪まじりの男だ。紺の上着に、きちんと襟元を締めている。両手を後ろで組み、俺の前で静かに足を止めた。
『この建物の管理を預かっております。お待ちしておりました』
「どうも」
床に座りこんで息を整えていた俺は、間の抜けた返事をしてしまい、慌てて立ち上がった。膝を払う俺を見て、男は穏やかに目を細めた。
『どうぞご無理をなさらずに。外の様子はこちらでも見ておりました。ずいぶん急いでいらしたようで』
「ええ、まあ」
<< この方に、アラタさんがいらっしゃるとお伝えしておいたんです >>
視界の端でアカリが念話を入れてきた。
『サポートAIのアカリさんから先日ご連絡をいただいておりました。基本技術者の資格の試験をお受けになりたいと』
男はアカリの立っている虚空へ向けて、丁寧に頭を下げた。アカリの姿は俺の視界の中にしか映っていないはずだ。それでもこの男には、アカリがどこにいるのかがわかっているらしかった。
『アカリさん、ご丁寧なご連絡ありがとうございました』
『いいえ。お手数をおかけします』
アカリの声が耳の奥からも響いた。俺の頭の中だけでなく、この男にも聞こえるように話しているのだ。AI同士の、どこか儀礼めいた挨拶だった。
『では、アラタ様。本日の試験の会場は、この建物の三階、第二試験室でございます。ご案内いたします』
◇
案内された建物の中は、拍子抜けするほど簡素だった。
白い壁に、白い床。天井から落ちる灯りの色も白で統一されている。飾りらしい飾りは何一つなく、廊下に沿って同じ形の扉が、測ったように規則正しく並んでいるだけだった。
空箱や、住宅街の奥にあった役所とよく似ている。旧時代の役所というのは、どこもこういう造りだったのかもしれない。
靴音を吸いこむ階段を三階まで上がると、男はある扉の前で足を止めた。
『こちらが第二試験室でございます』
扉が音もなく横に滑る。
部屋の中には、ぽつんと椅子が一つだけ置かれていた。背もたれの高い、ゆったりと深く腰掛けられそうな椅子だ。そのすぐ横にある小さな台の上に、目元を覆う薄い眼鏡のような装置が置かれていた。
『試験はこちらの装置を着けて、仮想の空間の中で受けていただきます。中では時の流れを縮めてございます。中で何時間過ごされても、こちらではほんのわずかな時間しか経ちません』
「そんなことができるんですか」
『はい。旧時代の試験は皆このように行っておりました。受ける方も、こちらの暮らしの時間をあまり削らずに済みますので』
男はそこで一度言葉を切り、少しだけ声を改めた。
『それから、試験のあいだ、サポートAIの方のお手伝いは受けられません。アカリさんとのお話も、試験が終わるまでできなくなります。ご承知おきください』
俺は隣に立つアカリを見た。アカリはいつもの調子で柔らかく微笑んでいた。
<< 大丈夫です。アラタさんは、ちゃんと勉強してきましたから >>
<< うん >>
<< 行ってらっしゃい >>
椅子に深く腰を下ろし、台の上の眼鏡を取り上げる。冷たい枠を目元に当てた瞬間、視界のすべてが真っ白に染まった。
◇
まばたきをすると、俺は白い部屋の真ん中に立っていた。
さっきの試験室と広さも色もよく似ている。ただ、座っていた椅子はなく、代わりに部屋の中央に四角い机が一つ置かれていた。その向こう側に、誰かが腰掛けている。
女だった。
年の頃はさっきの男と同じくらいだろうか。白い服を着て、髪をきっちりと後ろで束ねている。手元には薄い板が一枚置かれていた。
『試験官を務めます。どうぞお掛けください』
促されて振り返ると、いつの間にか俺の後ろにも椅子が現れていた。腰を下ろす。
『それでは、基本技術者の資格の試験を始めます。最初は口頭での問答です。わたしが問いを出しますので、ご自分の言葉でお答えください』
<< アカリ >>
念話のつもりで頭の中で呼んでみた。何の気配も、声も返ってこない。本当に一人だった。
『第一問。地区の警備の網において、見張りの役を担う機械が異常を見つけたときの知らせの流れを、順を追って説明してください』
俺は深く息を吸いこんだ。
知っている。最初に習ったことだ。それに、姫路駅遺跡の中で嫌というほどこの目で見てきた。
「見張りの機械が、まず、見つけた相手に確かめのための光を合わせます。その中身を網に送ります。送られた知らせは網を伝って近くの機械に届きます。届いた機械は、知らせの中身に応じて動き方を変えます。砲撃の機械なら知らせの位置を撃ちます」
『よろしい。では、その流れの途中で知らせが網に送られなかった場合、どうなりますか』
「どの機械も動きません。見張りが見つけただけでは、ほかの機械には伝わらないので」
『よろしい』
試験官は手元の板に何かを書きつけた。
そこからは、淀みなく問いが続いていった。
旧時代の設備におけるエネルギーの回し方。機械の組み立ての根本にある考え方。部品と部品を繋ぐときの決まりごと。壊れた設備を見つけたときに確かめる順番。
どれも、睡眠学習で覚え、朝の勉強で確かめてきたものばかりだった。問われると同時に、答えがすっと浮かんでくる。浮かんできたものを、自分の言葉で順序立てて口に出す。
時折、試験官はさらに先へ踏みこんできた。
『なぜそうなっているのですか』
それにも詰まることなく答えられた。中等教育の科目を並行して学んでいたおかげで、ただの手順だけでなく、その理由まで理解していたからだ。
どれほどの時間が流れたのか、この空間にいるとまるで見当がつかなかった。
最後の問いに答え終えたとき、試験官の口元が、初めてかすかに緩んだ。
『問答はここまでです。続いて、実技に移ります』
◇
いつの間にか、机の上に素材が並べられていた。
金属の板。何本かの細い線。そして、小さな部品がいくつか。
『この素材から指定の器具を組み上げてください。手順は問いません。ただし、組み上げながら、それぞれの工程で何をしているのかを口に出して説明してください』
机の端に、淡い光で設計図が浮かび上がった。旧時代の簡単な計測器具だ。
右手を机の上の素材にかざす。
この仮想空間の中でも、手首のマークは現実と同じように青く光る。
いつもなら、ここから先はアカリが素材の状態を読み取り、最適な組み上げ方を割り出してくれていた。俺はただ、光る手首をかざしているだけでよかった。
だが、今はアカリがいない。
どの素材を使い、どういう順序で繋ぐか。すべて自分の頭で考え、自分の意志で手を動かさなければならない。
「まず、この金属の板を器具の外枠にします。厚みが図の外枠と合っているので」
かざした手のひらの下で、板が銀色の粒にほどけ、設計図通りの外枠の形へと組み上がっていく。
「次に、この細い線を外枠の内側に這わせます。計測の知らせを中枢に運ぶための線です。線同士が触れないように間を空けて」
銀の粒が線を包み、枠の溝に沿ってきれいに収まる。
「この部品が計測の中枢です。線の端をここに繋ぎます。繋ぐ順番は出口の側から――いえ、エネルギーの入口の側から。逆に繋ぐと、最初に知らせが流れたときに中枢が傷むので」
背中に冷たい汗が浮いた。口に出して確認していなければ、危うくそのまま逆に繋ぐところだった。
手順を一つ口にするたびに、頭の中で眠っていた知識と目の前にある素材が、歯車のように噛み合っていく。
アカリが今まで自分の代わりにやってくれていたことの細部を、今、俺は自分の手で一つずつなぞっていた。
最後の小さな部品を押しこむと、組み上がった器具の表面が小さく青く灯った。文字盤の細い針が、ゆっくりと正しい位置を指して動き出す。
『……よろしい』
試験官が手元の板を静かに伏せた。
『以上で、試験を終わります。お疲れさまでした』
◇
視界がふたたび白く塗りつぶされ、次の瞬間には、柔らかい感触が背中に戻っていた。
第二試験室の椅子の上だった。目元を覆っていた装置を外し、軽く瞬きをする。
<< おかえりなさい、アラタさん >>
頭の奥に、澄んだアカリの声が響いた。ずいぶん長いあいだ聞いていなかったような気がした。
<< ただいま。俺、どのくらい向こうにいた? >>
<< こちらでは二十五分ほどです >>
<< 本当に? >>
体感では、どう考えても六時間以上は経っていた。問答だけでも何時間もかかった気がするし、実技の説明にも丸一時間は費やしたはずだ。それが、現実では三十分にも満たない。
背もたれから体を起こす。体に疲れはほとんど残っていなかったが、頭の芯だけが妙に熱を持っていた。
<< それで、どうだったんでしょうか >>
アカリが視界の中でそわそわと身を乗り出してくる。
そのとき、部屋の扉がすっと開き、先ほどの初老の男が入ってきた。
『アラタ様。結果が出ております』
男は居住まいを正し、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、深々と頭を下げた。
『基本技術者の資格の試験、合格でございます。おめでとうございます』
その言葉と同時に、右手首の内側がじんわりと熱を帯びた。
強化服の手甲の留め具を外し、手首の輪を少しずらして肌を確かめる。四つの四角が重なり合った青いマークが光を放っていた。その一番外側にある四角の、右上の角から、するすると細い光の線が外へ向かって伸びていく。
指の爪の幅ほどしかない、ごく短い一本の線だ。
光が落ち着くと、その線は四つの四角と同じように、手首でかすかに色を宿すだけの静かな印に変わった。
技術者の証だった。
<< おめでとうございます、アラタさん! >>
アカリが両手を合わせて、ぱっと顔を輝かせた。
<< 技術者の資格を得られたので、毎日のクオタも増えますよ >>
<< ……ありがとう >>
俺は手首に浮かんだ真新しい線を、しばらくじっと見つめていた。
問われたことにはすべて答えられたし、実技で一瞬ヒヤリとした以外は、試験そのものは思っていたよりもずっと易しく感じられた。
だが、それは俺の頭が、あの登録のときに最適化されていたからだ。
睡眠学習で詰めこんだ膨大な知識が、色あせることなく引き出しに残っている。問われた瞬間に、迷うことなく正しい答えと理由が結びついて出てくる。
もし、最適化される前の頭のままだったら、同じことができただろうか。
わずか一か月あまりの勉強で、これだけの知識を頭に叩きこめたか。六時間も立て続けに問われ、答え続けることができたか。
たぶん、無理だった。
旧時代の人々は、生まれつきこういう頭の状態で暮らしていたのだ。当時の子供たちにとって、この試験はごく当たり前の、簡単な通過点に過ぎなかったのかもしれない。
けれど、今の時代を生きる人間にとっては、到底そうではない。
旧時代の「普通」と、今の時代の「普通」とのあいだには、それだけの圧倒的な隔たりがあった。
<< 帰りましょうか、アラタさん >>
物思いに沈んでいた俺に、アカリが声をかけてくる。
<< うん。でも、どうやって帰ろう >>
この建物の外の広場には、あの巨大な要塞のような機械が、今も悠然と歩き回っているはずだ。
俺の呟きに、アカリはどこかいたずらっぽく笑ってみせた。
<< それはこれから一緒に考えましょう。技術者になったアラタさんにできることも増えましたから >>




