第20話 対リーパー
姫路駅遺跡に通いはじめて、二か月が過ぎていた。
三日に一度の巡りで塔の群れへと潜る。外周も一つ目の輪も、今ではすっかり勝手知ったる庭のようになっていた。二つ目の輪に潜む目印役のドローン、スポッターも、警備の網に知らせを走らせる前に撃ち落とす呼吸を掴んでいる。厄介な砲撃さえ呼ばせなければ、屋上に据えられた狙撃の砲台も、装甲のドローンも火を噴くドローンも、落ち着いて一つずつ崩していけた。
稼ぎは申し分なく安定していた。ゲンの店に部品を並べても、ゲンはもう小言の一つも口にしない。ただ帳面を開く前にじっと背嚢を見つめ、それから時折、俺の左右の手首の腕輪へと視線を落とすだけだった。口座の数字は、潜るたびに少しずつ、だが着実に増えていった。
毎日配られるクオタも、日々の弾の補給とシールドセルの消費分を差し引いて、大切に貯め続けている。あの店への借りを返すためのものだ。まだ必要な額の半分にも届いていなかったが、返済の道筋は確実に前へと伸びていた。
そして、勉強も順調に進んでいた。
中等教育の科目はあと一か月あまりで履修し終える。それと並行して進めてきた技術者の勉強に至っては、すでに終わりが見え始めていた。警備の網の仕組みに、機械の組み立ての理論。旧時代の設備の扱い方。睡眠学習に割り当てられる四時間を二つに分け、朝の机に向かう時間を長く取って、毎日少しずつ積み上げてきた成果だった。
<< 技術者の勉強は、あと数日で試験を受けられるところまで届きます >>
ある日の朝、アカリが穏やかに言った。
<< あとは試験の会場まで行くだけです >>
簡単に言ってくれる。
地図の上で、試験の建物の印は二つ目の輪のさらに奥に置かれている。俺がこれまで歩いて踏み固めてきた線の届いていない、白い空白の向こう側だ。
そしてその空白の手前には、あいつが陣取っていた。
◇
三つ目の輪へと足を踏みこんだのは、その三日後のことだった。
二つ目の輪の奥、塔と塔がひときわ密に立ち並ぶ一角を抜けると、建物の背丈がまた一段と跳ね上がった。見上げても、霞の向こうにてっぺんが隠れて見えない塔がいくつもそびえ立っている。それらを繋ぐ空中の通路は二重三重に複雑に重なり合い、見上げる空を細かく幾何学模様に切り分けていた。
<< ここからが三つ目の輪です >>
アカリの声とともに、肌を刺す空気の質がはっきりと変わった。
機械の数が、目に見えて減っていた。
二つ目の輪までは、首を巡らせれば視界のどこかしらで何らかの機械が蠢いていたのに、ここにはその気配がない。屋上を見張る砲台も見当たらず、装甲のドローンが空を巡回している様子もない。
不気味なほどに静まり返っていた。
<< ……アカリ >>
<< はい。わたしも同じことを考えています >>
守る機械の数が少ないのには、それだけの理由がある。少なくても十分に守れるからだ。
遠くの頭上で、硬い何かが塔の壁を蹴りつける重い音が響いた。
ずしりとした衝撃が、足元の地面をかすかに揺らす。間を置かず、もう一度。今度ははっきりと距離が縮まっていた。再び地面が震える。
見上げる塔と塔の隙間を、巨大な影が音もなく横切っていった。
◇
リーパーだった。
二か月前、遠くに見かけただけで引き返したあの獣だ。
間近で見るその姿は、記憶にあったものより遥かに巨大だった。胴体だけでも俺の車ほどの容積がある。その丸みを帯びた塊から、四本の長い脚が伸びていた。鋭角に折れ曲がった関節の先には、分厚い装甲を貫くための鉤爪が備わっている。胴の前面には、丸い硝子を思わせる大きな目が一つ。その暗がりの中で、鈍い赤の光が生き物のように揺らめいていた。
全身を隙間なく覆うのは、分厚い旧時代の装甲だ。
リーパーは、通りの向こうにそびえる塔の壁に、四本の爪を深く食い込ませて張りついていた。
その単眼が、まっすぐにこちらを捉える。
<< 弱点はあの目と脚の関節です。装甲は厚いので、ほかの所は―― >>
アカリの言葉が途切れるよりも早く、リーパーが壁を蹴った。
恐るべき速さだった。通りの横幅などないに等しい勢いで、一直線に跳躍してくる。四本の長い脚を正面に揃え、凶悪な鉤爪の切っ先をこちらへ突き出して。
左腕をとっさに跳ね上げ、心の中で念じる。盾。
青い光の膜が前面に展開した瞬間、リーパーの巨体が真正面から衝突した。
金属の軋む音と凄まじい衝撃とともに、膜が大きく深く内側へたわむ。腕を通して、倒壊する塔をそのまま受け止めたかのような途方もない質量がのしかかってきた。足元の地面に強化服の靴底がめりこむ。膜を隔てたすぐ向こうで、鋭利な鉤爪が火花を散らしていた。
辛うじて突破は許さない。だが、視界の端の表示では、左手首の盾のエネルギーが一撃だけで三割近くも削り取られていた。
リーパーは膜を蹴り放すと、反動を使って後方へと身軽に跳び去り、すぐさま別の塔の壁面へと張りついた。
息を整える間すらない。
<< まともに受け続けたら、三回目で盾が尽きます! >>
言われるまでもなかった。大型弾頭のハンドキャノン、アンヴィルを引き抜き、壁にへばりつくリーパーの単眼を狙って引き金を絞る。
しかし、発砲の瞬間、リーパーは装甲をきしませて壁の上で身をひねった。放たれた重い弾丸は目の脇の装甲を激しく弾き、わずかな火花と浅い傷跡を残しただけで跳ね返された。
信じられない反応速度だ。こちらが撃つ瞬間そのものを見切られている。
体勢を整えたリーパーが、再び後脚を撓ませて跳んだ。
今度は受けない。
意識を限界まで研ぎ澄ます。世界がゆるやかに速度を落としていく。
水底のように重く鈍くなった時間の中で、落下してくるリーパーの巨体を冷静に見上げた。迫り来る四本の脚。ギラつく鉤爪。胴体の下側、露出した脚の付け根の関節。
前傾姿勢のまま、その真下へと滑り込むように地を蹴った。
頭上すれすれを、巨大な質量が風圧を巻き起こしながら通過していく。
時間の流れが本来の速さに戻った刹那、背後で地面を砕くような重い着地音が轟き、足元が激しく揺れた。
素早く反転する。
巨躯を翻してこちらへ向き直ろうとするリーパーの、四本の脚のうちの一本が、ちょうど目の前に位置していた。
腰のナイフを引き抜き、青白い光の刃を伸ばす。
むき出しになった脚の関節めがけ、光の刃を渾身の力で叩きつけた。
確かな手応えがあった。装甲の継ぎ目に吸い込まれるように刃が沈む。しかし、芯にある太い駆動軸を完全に断ち切る前に、リーパーが異常な反射で脚を引き抜いた。
喉の奥から絞り出すような低い駆動音を漏らし、リーパーは再び宙へと跳ね上がった。隣の塔の壁へと張りつくその動作は、先ほどとは違って片方の後ろ脚をわずかに引きずっている。
<< 効いています! でも、あの距離からはこちらの刃は届きません! >>
アカリの言う通りだった。
見通しのいい空間では、あいつは高い壁から自在に跳躍を繰り返すことができる。跳んで突進し、弾かれたら壁に戻り、また跳ぶ。こちらが刃を届かせられるのは、着地した一瞬の隙しかない。
この開けた場所のままでは、いずれ盾をすり潰されて終わる。
<< アカリ、一番近い狭い所! >>
<< 右手の塔の一階の通路です! 入口が狭くなっています! >>
視界の隅の地図に、誘導の光る線が一本引かれた。
地面を蹴って全力で走る。背後で、巨大な爪が壁を蹴り砕く破裂音が響いた。
◇
塔の一階に口を開けていた入口は、人間が二人肩を並べて通るのがやっとの狭さだった。
転がり込むように中へ滑り込む。
そこは奥行きのある細長い通路だった。天井は低く抑えられ、左右を塞ぐのは旧時代の頑強な壁面だ。
息を呑んで振り返った瞬間、入口のすぐ外にリーパーの巨体が落ちてきた。
すさまじい勢いで入口に体当たりをかましてくる。
だが、入ってこれない。
あの大きく広がった四本の脚がある限り、この狭い開口部を潜り抜けることはできなかった。リーパーは脚を一本ずつねじ込もうと暴れ狂い、鉤爪が壁の縁を激しく削り落とす。胴体が入口上部の梁に打ちつけられ、旧時代の壁に亀裂が走った。
それでも、中へ踏み込むことは叶わない。
暗がりを隔てた入口の向こうで、あの丸い硝子の目が血のような赤を帯びてぎらついていた。
苛立ちを露わにしたリーパーが、脚を一本、槍のように通路の奥へと突き入れてきた。俺を引っかけ、外へ引きずり出そうという算段だ。鋭い爪先が床面を派手に削り飛ばしながら、真っ直ぐに迫ってくる。
さっき刃を叩き込み、手負いにした方の後ろ脚だった。
ここだ。
左腕の盾を広げ、突き出された鉤爪の先端を真っ向から受け止める。衝撃で青い膜がたわみ、脚の突進が完全に止まった。
その硬直の隙を逃さず、一歩前へ踏み込む。
光の刃を肘の長さまで伸ばす。狙うのは先ほどつけた傷のわずか上、装甲板が重なり合う関節の継ぎ目だ。
一気に振り抜いた。
今度は、奥まで届いた。
光の刃はほとんど抵抗もなく外殻と芯の太い駆動軸を断ち、そのまま反対側の装甲を抜けて宙を薙いだ。
関節から先を切り離された脚が、甲高い金属音を立てて床に転がる。
バランスを崩したリーパーが耳障りな電子音を上げた。三本の脚では、入口の外で巨体を支えきれない。胴体が入口の枠に寄りかかるように、がくりと低く傾いだ。
あの単眼が、入口のすぐ前まで落ちてきていた。
ちょうど、俺の目の高さと同じ位置に。
息を吸い、意識を研ぎ澄ます。再び世界が緩やかに止まりかけた。
通路から、外へ向けて一歩だけ踏み出す。
ナイフを、真正面へとまっすぐに突き出した。
青白い光の切っ先が、丸い硝子の真ん中へと音もなく吸い込まれていく。
何の抵抗もなかった。刃はそのまま奥深くへと沈んでいく。
硝子の奥で揺らめいていた赤い光が、刃先を飲み込んだ瞬間に一度だけ激しく明滅し――そのまま、完全に掻き消えた。
◇
時間の流れが本来の速度を取り戻す。
力を失ったリーパーの巨体が、崩れ落ちるように地面へと沈んでいった。残された三本の脚が折れ曲がり、重苦しい衝突音が静まり返った塔の群れのあいだに長く反響する。
砂煙が晴れても、機械の塊は二度と動かなかった。
俺はナイフの刃を消す。安堵が押し寄せてきた途端、膝の奥がかすかに震えているのに気づいた。
<< やりましたね、アラタさん >>
<< うん >>
応えた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
左手首の盾の腕輪は、エネルギー残量が半分を切っていた。だが強化服自体のシールドは八割以上を維持しており、シールドセルは一本も使わずに済んでいる。
二か月前、遠くに見かけただけで引き返した相手だった。あのときアカリが言いかけた通り、当時の装備では、目印役や砲撃と一緒にリーパーを相手にするのは無理だった。
だが今日は、それらの邪魔が入らない一対一だ。
それでも勝てたのは、この二か月間で積み上げてきたものがあったからだ。盾で致命打を受け止める判断。狭い地形へと引きずり込む戦術。体感時間の操作を使って相手の懐へと潜り込む動き。そのすべてを、頭ではなく体が自然と選べるようになっていた。
そして何より、最後にとどめを刺したのは、旧時代の暮らしの道具に過ぎないナイフだった。
<< これ、普通の道具なんだよね >>
<< はい。警備機械を切るのも、物を切ることですから >>
念話の向こうで、アカリはどこか誇らしげに胸を張ってみせた。
◇
息を整えたあと、リーパーの解体にはずいぶん長い時間を費やすことになった。
胴体の頑丈な装甲を、ナイフの刃で一枚ずつ丁寧に切り離していく。内部からは、あの驚異的な跳躍力を生み出していた太い駆動部品が四つ、綺麗な状態のまま回収できた。さらに胴の最深部をまさぐると、手のひらに収まるほどの大きさの、淡く脈打つように光る特殊な部品が一つ収まっていた。
<< 跳ぶための力を溜めて放つ部品です。この機械からしか取れません >>
<< 高く売れる? >>
<< はい。とても >>
切り落とした脚の装甲板も、余さず背嚢へと押し込んだ。旧時代の装甲だ。この先、上等な素材になる。
これだけの鉄塊を詰め込んでも、背嚢は少しも重くならなかった。
◇
帰りの車中、運転をアカリに任せながら、俺は視界の隅に地図を展開した。
今日俺が歩いた軌跡のラインが、三つ目の輪の入口まで伸びていた。だが、その先は依然として霧のような空白に包まれている。技術者の試験を受けるための建物の印は、その空白の遥か向こう側に静かに灯っていた。
以前は、気が遠くなるほど遠い場所だと思っていた。
だが今は、不思議とそうは思えない。
<< ねえ、アカリ >>
<< はい >>
<< 次は、試験の会場まで行こう >>
アカリはわずかに間を置いてから、問いかけるように念話を返してきた。
<< よろしいんですか? 三つ目の輪から先は、まだ誰も歩いていません >>
<< うん。わかってる >>
頭では十分に理解していた。
三つ目の輪の中には、リーパーのような強力な機械がまだ何体も潜んでいるかもしれない。試験の建物の手前には、門番がいることを示す赤い印を、アカリが前もって地図の上に落としていた。
それでも、今の俺なら行ける気がする。
リーパーを単独で倒すことができた。一対一の状況を作り出せれば、あの門番にも勝てる。頭に叩き込んできた勉強の成果も、もうすぐ届く。腕前も、装備も、道具も、必要なものはすべて揃いつつあった。
勉強はもうすぐ終わる。試験の建物まで辿り着けるだけの腕も、ようやく身についてきた。
<< 技術者の勉強が終わったら、すぐに行く >>
<< はい。わかりました >>
アカリの声には、確かな弾みが混じっていた。
<< では、その日までに、試験の会場までの道を地図の上で一緒に考えておきましょう >>
傾きかけた夕日を浴びながら、車輪の音を立てて車はユメサキの街へと走っていく。
後ろの窓の外で、姫路駅遺跡の高く険しい塔の群れが、赤く染まりながら静かに遠ざかっていった。
今度は、引き返したわけではなかった。




