第17話 旧時代の買い物
姫路駅遺跡に通いはじめて三週間が過ぎた。
三日に一度、外周と一つ目の輪で機械を狩る。部品をナイフで外してゲンの店に売り、残りは素材として持ち帰る。そうして二つ目の輪にも少しずつ足を伸ばすようになっていた。屋上の砲台の群れを狙撃銃で崩し、目印役を先に落とす。それを繰り返すうちに、二つ目の輪の端の方であれば、だいたいの機械の動きが読めるようになっていた。
稼ぎは安定し、危ない目にもずいぶん慣れた。
そろそろ次の段階に進んでもいい頃だ。
<< アカリ。今日は建物の中に入ってみようと思う >>
<< はい。どの建物にしますか? >>
<< まだ誰も入ってない所。開かずの扉の向こう >>
機械を狩るだけなら外の通りで足りる。だが本当に高い物は建物の中に眠っている。住宅街遺跡でもそうだった。
ここは姫路の中心だ。住宅街よりずっと良い物が残っているはずだった。
◇
地図の上でアカリが一つの建物を指し示した。
<< ここはいかがですか。二つ目の輪の端のあたりです。旧時代の大きなお店の建物です >>
<< 何を売ってたの? >>
<< 服や身の回りの物を売っていたお店です。たくさんの売り場が一つの建物に集まっていました >>
塔の陰の狭い道を縫って、その建物の前まで来た。
大きかった。塔ほど高くはないが横に長い。正面は何階分もの高さがある一面のガラスの壁で、そのガラスが一枚も割れずに残っていた。中は暗くて何も見えない。
入口の扉の横にある黒い板へ右手首をかざすと、揃いの輪の下でマークが光ったのが分かった。
扉が音もなく開く。
中に一歩踏み入れた瞬間だった。
建物じゅうに灯りがともった。
天井の高い広間に、柔らかな光が一斉に広がっていく。床は磨かれた石で、埃ひとつ積もっていない。広間の両側には売り場がいくつも並んでいた。服の掛けられた棚。靴の並んだ台。小物の詰まった硝子の箱。
どれも567年前のまま、そこにあった。
『いらっしゃいませ』
声がした。
広間の真ん中に女が立っていた。アカリと同じ、光でできた人の姿だ。ただ、アカリより少し年上に見える。きちんとした制服を着て、両手を体の前でそろえていた。
<< この建物を預かっているお店のAIです >>
アカリが念話で教えてくれた。
『住民の方のご来店ですね。たいへんお久しぶりです。どうぞごゆっくりお買い物をお楽しみください』
店のAIは深々と頭を下げた。
俺は思わず、背中の銃に伸ばしかけた手を止めた。
<< 襲ってこないの? >>
<< はい。お店の中では、アラタさんはお客様です。駅の警備のAIとは別の方ですから >>
この遺跡で初めて、撃たれずに済む場所だった。
◇
売り場を一つずつ見て回った。
服の棚の前で足が止まる。
手に取ってみると、薄くて軽い。肌触りが驚くほど柔らかかった。俺がアカリと作り変えた普段着と同じ手触りだ。旧時代のごく普通の服なのだ。
下着の棚も靴の台も同じだった。どれも今の時代の物とは、まるで出来が違う。
<< これ、持って帰ったら売れるよね >>
<< はい。今の時代ではとても珍しい物だと思います >>
旧時代の服は遺跡から時々出てくる。ただ、たいていは何百年も風雨にさらされて、ぼろぼろになっているのが普通だ。
たまに旧時代の保存の包みに入ったまま見つかることがある。旧時代には、物を何百年でも新品のまま保っておける包みがあった。その包みに入っていた物は今でもぴかぴかの新品で、そういう物にはとんでもない値がつく。
それがここでは、包みにすら入らず棚にずらりと並んでいる。この店そのものが包みの役目を果たしていたのだろう。
広間の奥には、上の階へ続く動く階段があった。
足をかけると階段がひとりでに動き出し、俺を二階へ運んでいく。二階には子供の服の売り場があった。小さな靴。小さな帽子。棚の端には、色とりどりの柔らかそうな人形が並んでいる。
三階は寝具と台所の道具の売り場で、俺が家で作り変えたのと同じような軽い毛布や、旧時代の鍋がきれいに積まれていた。
どの売り場も、ついさっきまで客がいたような顔でそこにあった。
ここで旧時代の人たちが買い物をしていたのだ。子供の服を選んだり、新しい毛布を買ったりしていた。567年前のある日までは。
一階に戻ると、店のAIが変わらず広間の真ん中に立っていた。
「あの」
思わず声をかけていた。
『はい、何でございましょう』
「人が来なくなってから、ずっとここに?」
『はい』
店のAIは穏やかに微笑んだ。
『いつ皆さまがお戻りになってもいいように、毎日お店を整えておりました。棚の品物を並べ直して、床を磨いて、灯りを確かめて』
「一人で、ですか」
『はい。わたし一人で』
567年。誰も来ない店を毎日整えてきた。いつか誰かが戻ってくる日のために。
『ですから、今日はとても嬉しいのです。お客様がいらしてくださいましたから』
店のAIはもう一度深々と頭を下げた。
俺は何と返せばいいのかわからないまま、棚の服を一着手に取った。
<< アラタさん >>
アカリの声が少しだけ改まった。
<< ここの品物はお店の物です。持ち帰るにはお代が要ります >>
<< お金がいるの? >>
<< はい。住宅街のお家の物は、持ち主のいなくなった物でした。ですから回収してもかまいませんでした。でもこのお店は、今もあの方が預かっています。持ち主がいるんです >>
アカリは、広間の真ん中に立つ店のAIの方を見た。
<< 払わずに持ち出せば泥棒になります。そうなれば、あの方は駅の警備に知らせると思います >>
駅の警備。屋上の砲台の群れ。装甲のドローン。目印役と見えない所からの砲撃。それが泥棒を追ってくる。
それは遠慮したかった。
<< お代って何で払うの? 両じゃないよね >>
<< クオタです >>
<< あれで買い物ができるの? >>
<< はい。旧時代のお店では、品物はクオタで買っていました。アラタさんが毎日使わずに残してきたクオタが、少し貯まっています >>
そういえばそうだった。
毎朝配られるクオタは、弾やシールドセルや細々した物を作るのに使っている。それでも使いきれずに残った分が、毎日少しずつ貯まっていた。権限が上がってからは配られる量も増えている。
<< どのくらい貯まってる? >>
<< このお店の服でしたら十着くらいは買えると思います >>
広間を見渡す。棚には何百着という服が掛かっていた。下着も靴も小物も。
十着か、と俺は思った。
だが払わなければ泥棒だ。
<< わかった。買おう >>
◇
服を十着選んだ。
どれが売れるのか俺にはよくわからない。アカリに聞きながら、生地が良くて今の時代でも着られそうな物を選んでいった。それから下着を何枚か。こちらは服より安いらしい。
選んだ品物を抱えて、広間の真ん中に立つ店のAIの前に進み出た。
『お会計ですね』
店のAIは品物を一つずつ確かめるように見て、にっこりと笑った。
『右の手首をお願いいたします』
右手首を差し出すと、揃いの輪の下でマークが一度だけ温かくなった。
『ありがとうございます。お支払いを承りました』
それだけだった。
品物は袋に入れて渡された。旧時代の、薄くて丈夫な袋だ。
<< これが、旧時代の買い物か >>
<< はい。皆さんこうしてお買い物をされていました >>
端末を取り出すこともない。手首をかざすだけで終わる。
567年ぶりの客を、店のAIは入口まで見送ってくれた。
『またのお越しをお待ちしております』
深々と下げられた頭を背に、俺は扉の外へ出た。
扉が閉まった瞬間、頭の上で羽音がした。
装甲のドローン、ホーネットが二機。
お客様の時間は終わりだった。
◇
ホーネットを盾でいなして撃ち落とし、塔の陰の道を縫って車まで戻る。
ユメサキに帰って、ゲンの店に服と下着を並べた。
ゲンは服を一着手に取って、長いこと黙っていた。生地を指でつまみ、縫い目を灯りにかざし、裏返してはまた表に返す。
「……新品だな」
「ええ」
「旧時代の服の新品だ。こんな物どこにあった」
「駅の方の大きな建物の中です」
「開かずの扉か」
「ええ。たまたま」
ゲンは俺の顔を見た。
この男に、たまたま、が何度通じるのだろう。
「まあいい」
ゲンは帳面を開いた。
「服はうちで捌ける。服を欲しがるのは坂の上の連中だ。旧時代の服を着て見せびらかしたがる。いい値がつくぞ」
計算機が弾かれる。
見せられた数字は、一着で装甲の球の機械、サーベイヤーの中枢三つ分だった。
十着で三十個分。
下着の分も合わせると、それを超えた。
<< ……アカリ >>
<< はい >>
<< あのお店、何百着もあったよね >>
<< はい。ありました >>
十着しか買えなかった。
払えるクオタがそれだけしかなかったからだ。
ゲンの店から家へ戻る車の中で、俺は何度もあの広間の棚を思い出していた。何百着という服。下着。靴。硝子の箱の中の小物。
クオタがもっとあれば。
<< 次は、もっとクオタを貯めてから行こうね >>
<< はい。そうしましょう >>
アカリは何事もなかったように答えた。
俺は窓の外を流れていく夕暮れの景色を見ながら、少しだけ別のことを考えている。
あの硝子の箱の中に、一つだけひときわ高そうな物があった。細い鎖の先に小さな石のついた首飾りだ。値札に書かれたクオタの数を見て、俺は見なかったことにした。
何か月貯めても買えない額だった。




