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第13話 ワンランク上の生活へ

 五級になった次の朝、俺は卓の上に置いた情報端末の画面を湯気の立つ白湯をすすりながらぼんやりと眺めていた。


 画面に並ぶ口座の残高には、昨日振り込まれた記録端末の鑑定代金と、この一か月で稼いだ金がそのまま反映されている。十七年間泥水をすするようにしてハンターを続けてきたが、こんな桁の数字は見たこともなかった。両親が残してくれた蓄えを使い果たし、安い部屋で自重トレーニングをしながら明日の弾代を計算していた頃を思えば、夢のようでもあった。


<< ねえアカリ >>


<< はい、何でしょう >>


<< 引っ越そうと思う >>


 声に出さず頭の中で言葉を紡いでみると、不思議なほどすんなりと胸に落ちた。


 この賃貸の部屋は狭すぎる。万年床の寝台と小さな卓、壁に掛けた装備の金具だけで、もう床の半分が埋まっていた。そこへ背嚢から出した金属素材や部品を広げれば、足の踏み場すらなくなる。アカリに指摘された通り、体をさらに鍛え直すためのトレーニング器具を置こうにも、置く隙間すらないのだ。


 何よりこれだけの金があるのなら、もう我慢してここに留まる理由もなかった。


<< それと、車を買うよ >>


<< 荷物のためですか >>


<< うん。背嚢を五十倍にしてもらったから、荷物自体はいくらでも入る。でもさ、手ぶらに近い背嚢から機械の装甲や大物の部品が際限なく出てきたら、そのうち誰かが怪しむでしょ。あの背嚢にはどれだけ入るんだ、って >>


 五十倍に広がった背嚢は便利すぎるのだ。これから稼ぎを増やして持ち帰る素材の量が増えれば増えるほど、見た目の大きさと中身の釣り合いが取れなくなっていく。


<< 車があれば、荷物は荷台に積んで帰ってきたって顔ができる。それにこれから姫路の駅の方まで足を延ばすなら、バイクよりも車の方がずっと楽だしね >>


<< なるほど。カモフラージュですね >>


<< そういうこと >>


 視界の端で、アカリが楽しそうに目を細めて笑った。


 ◇


 まずは車の手配からだった。


 ユメサキの壁の外れには、遺跡へ通うハンターたちを相手にした中古車屋が集まる一角がある。並んでいるのはどれも、舗装されていない悪路や瓦礫の山を乗り越えるための、無骨で頑丈な車ばかりだ。


 俺が選んだのは、使い込まれた四輪駆動のハンター車だった。


 背の高い角張った車体に、泥を噛む太いタイヤ。外装のあちこちに擦り傷やへこみがあるが、骨組みは生きている。警備機械の流れ弾程度なら受け止められる今の時代のシールドも、一応は動いていた。駆け出しを抜けた中堅のハンターが少し背伸びをして買い求めるような手頃な一台だ。


 新車を買うつもりは最初からなかった。どうせ持ち帰ってから、アカリの力を借りて中身を作り変えてしまうのだ。外見は少しくたびれていて、街に紛れ込めるくらいがちょうどいい。


「これ、買います」


 代金を端末から送金すると、店主は愛想のいい笑みを浮かべて鍵をよこした。


 ◇


 買い取った車を走らせて、新しく借りる家の前に乗りつけた。


 場所はユメサキの壁の外、防壁のすぐ外側に沿った地区にある。


 街の地価は、安全な中心部や坂の上へ行くほど跳ね上がる。高い塀に囲まれた上等な屋敷が並ぶあたりなど、俺のようなハンターには一生縁がない。壁の中はどこもそれなりに値が張るが、一度壁の外へ出れば土地はぐっと安くなり、家も一気に広くなる。そのさらに外側に広がっているのがスラムだ。壁の外はごく稀に遺跡から溢れ出た警備機械が迷い込んでくる恐れがあるため、普通の住人はあまり住みたがらない。


 もっともユメサキは安全な街だ。壁の外とはいえ、機械に襲われたなんて話はここ何年も耳にしていない。


 危険が少ない割に、広くて安い。俺にとっては願ってもない土地だった。


 契約したのは、木造と鉄骨を組み合わせた二階建ての一軒家だ。部屋がいくつもあり、裏手には防壁の裾まで続く広い庭がついていた。築年数は経っているが、基礎も柱もしっかりしている。


 何より気に入ったのは、ハンター向けの賃貸契約で「内装や設備の自由な改変を認める」という条文が入っていたことだ。獲物を解体する作業場を作ったり、重い装備を保管する小部屋をしつらえたりするハンターは多い。立ち退く際に元の状態に戻せば、中で何をしようと文句は言われない。


 俺の秘密を隠すには、これ以上ない条件だった。


<< 広いですね >>


 埃を払ったがらんどうの居間で、アカリが実体のない体でくるりと回ってみせた。


<< 前のお部屋の何倍もありますよ >>


<< うん。これなら素材も器具も、何でも置けるね >>


 満足して頷いたが、手放しで何でもできるわけではなかった。


<< でもあのジェネレーターと水の仕組みは、まだここには付けられないんだよね >>


<< はい。あの設備をこの家に組み込むとなると、壁の中の配管や配線、お風呂の構造まで根本から作り直す必要があります。それは一般市民の権限では扱えません。技術者の権限が必要になります >>


<< 前に教えてくれた、あれだね >>


 警備の網に干渉して機械の動きを止めたり目を潰したりできるという、専門の資格だ。


<< じゃあ次は技術者を目指すのが筋だね >>


<< はい。そのためにも、まずはお勉強ですね。知識を修めた後、試験を受けていただくことになります >>


<< 勉強だけじゃ取れないの? >>


<< はい。技術者の資格は、睡眠学習だけで完結するものではありません。所定の試験会場へ直接出向き、実技と問答を兼ねた試験を通過して、その場で付与される規則になっています >>


<< その会場って、どこにあるの >>


 アカリはわずかに間を置いてから告げた。


<< 姫路駅の周辺です。あの駅を取り巻く中心に近い区画に、今も正常に稼働している試験施設が残っています >>


 姫路駅遺跡。


 ちょうど、次に挑もうと考えていた場所そのものだった。


 ◇


 古い部屋からは、家具を一つも持ってこなかった。


 寝台も、卓も、椅子も、パソコンも、すべてアカリの力を使って旧時代の基準に作り変えてある。外へ出せば余計な詮索の種になりかねない。それらはすべて分解し、新居のために買った安物の中古家具を強化するための素材にしてしまった。表向きは買い直した普通の家具だが、中身はすべて旧時代の素材で組み直された上等な品になる。


 一番広い一階の奥の部屋は、丸ごとトレーニングの部屋にした。


 通っていた民間のジムの器具では軽すぎて負荷が足りないと、アカリに言われてからずっと考えていたことだ。姫路住宅街遺跡の奥の家から持ち帰った旧時代の家具の骨組みと警備機械の装甲を素材にして、専用の器具に作り変えた。重りをぶら下げるのではなく、旧時代の仕組みを使って込める力に応じて抵抗を増やせる構造になっている。どれだけ力を込めても壊れる心配はない。


 据え付けたばかりの座席に腰を下ろし、両手で真鍮色のバーを握って前方へ押し出してみた。


 重い。


 久しぶりに、本当に重いと思った。奥歯を噛み締め、胸筋と背筋を総動員して押し切る。肺の空気が絞り出され、胸と腕が内側から熱を帯びていく。


<< 素晴らしい負荷です。この負荷をかけ続ければ、アラタさんのお身体はさらに上限を伸ばせますよ >>


<< これ、毎日やるの? >>


<< まさか。三日に一度で十分です。トレーニングの日に、しっかり追い込みましょう >>


 息を整えながら、少しだけ胸を撫で下ろした。


 ◇


 身の回りが片付くと、次はゲンの店へ足を運んだ。


「よう」


 引き戸を開けて中へ入ると、カウンターの奥に座っていたゲンが帳面から顔を上げた。白髪まじりの頭に、使い古した前掛けのいつもの姿だ。


「おはようございます、ゲンさん。今日は銃を見てもらいたくて。一式、新しく揃えようと思ってるんです」


 ゲンは手元の帳面を静かに閉じた。


「何が要る」


「中型弾頭のレネゲードを一挺。それから遠距離用に、同じ中型弾頭のオスプレイ。大型弾頭のアンヴィルと、小型のバーレッタを頼みます」


 聞き終えたゲンの片眉が、わずかに跳ね上がった。


「どれも駆け出しがぶら下げるような得物じゃないな」


「五級の中堅が、少し背伸びして買うくらいの銃ですよ」


「ボブキャットやテンペストにしないのか。景気良く稼いだと聞いてるがな」


 ボブキャットは小型弾頭を、テンペストは中型弾頭を高速でばら撒く、どちらも連射性能に優れた高価な銃だ。東の最前線で活動する三級や四級の上位ハンターたちが好んで使う品だと聞いている。ユメサキのような地方の街で持っている連中は見たことがない。


「あれはまだ俺の腕には早すぎますよ」


「そうか」


 ゲンは立ち上がり、棚の奥の木箱と手元の控えを見比べた。


「アンヴィルとバーレッタは店に在庫がある。レネゲードとオスプレイは取り寄せだ。三日待て」


「助かります。お願いします」


 ゲンは帳面に走り書きで注文を書き留めた。だがペンを置いたあとも、視線を戻さずにじっとこちらの顔を見つめていた。


「車を買ったそうだな」


「耳が早いですね」


「狭い街だからな。遺跡通いに打ってつけの、いい四駆を手に入れたって噂だ」


「ええ、まあ」


「車を仕立てて、得物を四挺まるごと新調する」


 ゲンは低い声で、確かめるように言葉を継いだ。


「姫路を離れるのか」


 その問いの意味を察して、思わず苦笑いが漏れそうになった。


 五級に上がり、遠出用の車を買い、火力を一気に底上げする。ユメサキのハンターがそうした準備を整えるのは、より実入りのいい東の街へ拠点を移す時と、相場が決まっている。


「いえ。まだ姫路に腰を据えますよ」


「なら、何のための得物だ」


「駅の方へ潜ろうと思ってるんです」


 ゲンの顔から、一切の表情が消え失せた。


「姫路駅遺跡か」


「ええ」


「あそこはやめておけ」


 ゲンの声が、一段低く重くなった。


「あそこを徘徊してる機械どもは、住宅街の連中とは作りが違う。駆け出しなんぞ近づいただけでミンチにされるし、それなりの腕がある連中なら、同じ危険を冒すにしても実入りのいい神戸へ行く。誰も寄りつかん場所には、寄りつかんだけの理由があるんだ」


「わかってます」


「わかってて行くのか」


「行けると思ったから行くんです。今の俺がちゃんとした装備を揃えていけば、届くはずです」


 ゲンは何も言わず、ただまっすぐに俺の目を見据えている。


 十五で両親を亡くし、右も左もわからないままハンターになったあの日から、この男はずっと俺の弾を選び、無謀な真似を止め、引き際を教えてくれた。商人ではあるが、俺にとってはそれ以上の存在だった。


「……お前の親父も、そういう顔をしてた」


 ゲンはぽつりと吐き出すように呟いた。


「腕は確かだった。運が悪かっただけだ。だがな、アラタ。運が悪いのも腕のうちだ」


「わかってますよ」


「わかってるなら、もう言わん」


 ゲンは短く息を吐き、再び帳面を開いた。


「アンヴィルの弾は多めに積んでいけ。駅の周りにいる連中の装甲は、半端な弾じゃ傷一つ付かんぞ」


「ありがとうございます、ゲンさん」


「礼は生きて帰ってから言え」


 ◇


 三日後、注文していたレネゲードとオスプレイが届いた。


 真新しい家の作業部屋で、頑丈な作業卓の上に届いたばかりの銃を並べる。レバー式のレネゲード、細身で長い銃身を持つ狙撃銃オスプレイ、重厚な大口径拳銃アンヴィル、そして取り回しのいい小型拳銃バーレッタ。


 その隣には、今日まで俺の命を預かってくれた三挺の古い銃を置いた。小型の拳銃と、中型のライフル、そして護符のように持ち歩いていた大口径の拳銃だ。


 古い銃を買い取りに出すことはできない。


 アカリの力で徹底的に手を加えられたそれらは、外見こそ普通の銃に見えても、内部構造は現文明の基準を完全に逸脱している。中古市場に流せば、どこかの工房の職人が分解した瞬間に首を傾げることになるだろう。そこから余計な疑いが広がる危険は、万が一にも避けるべきだった。


<< 古い銃は、新しい銃を強くするための素材にしましょう。旧時代の手が入った部品は、新しい銃の中でもそのまま生かせます >>


<< うん。そうしよう >>


 十年近く、どんな時も肌身離さず持っていた相棒たちだ。名残惜しさがないと言えば嘘になる。


 卓上の古い銃に向けて右手をかざした。


 手首の青い四角が微かに光を放ち、三挺の銃がさらさらとした銀の粒へとほどけていく。渦を巻いた光の粒は、隣に並ぶ真新しい四挺の銃へと吸い込まれ、その銃身や機関部の中へと静かに溶け込んでいった。


<< 古い銃の部品の良いところは全部引き継いで、今のアラタさんの権限でできるところまで強くしておきました。耐久も銃身の精度も改良した弾への合わせ方も、前の銃と同じところまで上げてあります >>


 息を吐き、新しく生まれ変わった銃を一挺ずつ手に取ってみる。


 ずっしりと重いのに、驚くほど掌に馴染んだ。重心の位置が俺の骨格と筋肉の癖に合わせて完全に調整されている。元となる銃の基本性能が跳ね上がった分、以前の得物とは比べ物にならないほどの信頼感が指先から伝わってきた。


<< 次は車ですね >>


<< そうだね。どこまで手を入れることができる? >>


<< 今の権限でできる範囲なら、走るときの制御は全部わたしが引き受けます。荷台の中も、背嚢と同じように見た目より広くできます。車体の装甲とシールドも、遺跡で集めた素材でずっと丈夫にできますよ >>


<< ジェネレーターを積むのは? >>


<< それには、やはり技術者の資格が必要です >>


<< だよね >>


 家も、車も、俺の装備も、まだ過渡期にある。


 足りない物を揃えるには、どれも技術者の資格が要る。そしてその資格を得るための試練の場は、強固な防衛網に閉ざされた姫路駅遺跡の奥深くにある。


 狩り場を変える時が来たのだ。


 向かう先は、噂に聞く東の街ではない。すぐ目の前にある、姫路の心臓部だった。

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