第2話 1勝クラス
新馬戦を勝った翌週。
JRAから大迫源次郎の口座に、進上金や諸手当を差し引いた本賞金が振り込まれた。
2歳新馬の1着賞金は700万円。
この時点でキリシマノカゼは1勝クラスに区分され、未勝利戦や新馬戦には出られなくなる。
栗東の厩舎。
古いパイプ椅子に座り、向井要はレーシングプログラムの番組表を眺めながら考え込んでいた。
1分10秒1という勝ち時計は、秋の阪神や東京の高速馬場では通用しない。
2歳レコードが1分07秒台に突入する現代競馬において、キリシマノカゼの絶対的なスピード不足は、数字が証明していた。
中央のエリート馬であれば、ここからマイルの重賞へ向かうのが王道だ。
しかし、心肺機能がどれだけ高くとも、純粋なスピードの最大値が低いこの馬をマイルの瞬発力勝負に出せば、キレ負けして掲示板すら載れない可能性が高い。
かといって1200mではテンのスピードについていけない。
ならば、前半のペースが少し落ち着き、かつスタミナが要求される1400mの1勝クラスが、現時点で最も勝率が高い。
阪神や東京の軽い芝は、北海道産のスピード馬の独壇場だから避ける。
狙うなら秋の中京。
あるいは雨の降った京都のタフな馬場だ。
「鞍上は宮崎のまま、距離は1400。中京を狙う」
向井は書類仕事の手を止めず、隣で片付けをしていた拓也にそれだけ告げた。
中央競馬では、新馬戦を勝った馬にはすぐにエージェントが動き、実績のあるトップジョッキーへの乗り替わりを打診してくるのが常だ。
しかし、キリシマノカゼの元には一本の電話すら鳴らなかった。
早めの仕掛けでの勝利は、プロの目から見ればまぐれと映っていた。
「宮崎で、いいんですか」
拓也が念のため確認すると、向井は短く答えた。
「あの勝ち方ができたのは、宮崎が馬の性質を理解して、早めに脚を使わせたからだ。それでいい」
その晩、向井は源次郎に電話でレース選択の経緯を伝えた。
判断を仰ぐというより、報告に近い口ぶりだった。
「向井さんに任せるよ」
源次郎の返事はいつも同じだった。
9月の中京競馬場、芝1400m。
良血馬たちが秋のG1を見据えて始動する季節。
キリシマノカゼの2戦目の舞台が、静かに決まった。
9月上旬、栗東トレーニングセンター。
午前5時、気温21度。
日の出前の薄暗い時間帯、宮崎蓮はキリシマノカゼに跨って、ウッドチップ坂路コースのスタート地点にいた。
本番3日前、最後の追い切りである。
道中から脚を使う想定で仕上げるように、と前日に向井から言われていた。
坂路調教は、4ハロンのタイムで馬の仕上がりを測定する。
一般的に、スプリンターやマイラーの良血馬であれば、4ハロン51秒台、最後の1ハロンを12秒0前後の鋭い加速力で駆け上がるのが、クラスが上の馬の基準だ。
ガリガリと音を立てて、キリシマノカゼがウッドチップを蹴る。
宮崎の手綱に伝わってくる感覚は、他のオープン馬のような弾むようなバネではなかった。
むしろ、硬い地面に1歩ずつ正確に爪を突き立て、泥を掴んで進むような、重戦車に近い駆動感だ。
3ハロン目を通過。
ラップは14秒5。
坂の傾斜が最もきつくなる残り200メートルの標識を通過した瞬間、宮崎は手綱をわずかに緩め、拳を前に出した。
普通の馬なら、坂の頂上に向けて四肢を激しく回転させ、頭を上下に振って「もがく」挙動を見せる。
しかし、キリシマノカゼの重心は微動だにせず、ただ歩幅が数センチメートル伸びただけ。
自動計測された調教時計が、プレスの電光掲示板に表示される。
【 4ハロン:54秒2 ー 3ハロン:39秒5 ー 1ハロン:12秒8 】
時計だけを見れば、1勝クラスの馬としても非常に地味で、平凡な数字。
スポーツ紙の記者たちも、この数字を一瞥して手元のノートを閉じた。
下馬した宮崎は、その場でキリシマノカゼの首筋にそっと触れた。
指先に、頸静脈の拍動が伝わってくる。
坂路を全力で駆け上がった直後だというのに、その拍動は、もう普段の歩行時とほとんど変わらないリズムを刻んでいた。
宮崎は、しばらくその場を動けなかった。
「……この馬、どうなってるんだ」
誰に向けたものでもない呟きだった。
11秒台のラップを踏む筋肉はない。
だが、54秒のラップのままなら、この馬は3キロでも4キロでも、坂路を登り続けられるのではないか。
そんな確信に近い予感だけが、宮崎の中に残った。
華やかな調教時計の裏で、キリシマノカゼの「異常な回復力」と「ロングスパートを打てる持続力」だけが、宮崎の体感を通してデータ化されていた。
9月16日。
中京競馬場は早朝から断続的な秋雨に見舞われていた。
第9レース、3歳以上1勝クラスの発走時刻である14時25分には、馬場状態は不良へと悪化していた。
出走馬は16頭。
キリシマノカゼは、前走の時計の遅さが嫌われ、単勝35.1倍の8番人気。
1番人気は、良馬場のマイル戦で1分33秒台の持ち時計がある、ノーザンファーム生産の3歳牡馬(単勝2.1倍)。
水分を含んで泥の浮いた中京の芝を見て、パドックのファンやトラックマンたちは「どの馬がこなせるか」の算段に追われていた。
向井と源次郎は、少し離れたスタンドの隅から、それぞれ静かにパドックを見つめていた。
ゲートが開き、各馬が一斉に飛び出す。
不良馬場のキックバックを嫌い、多くの馬が外側へ逃げようとするなか、宮崎蓮はキリシマノカゼを内ラチ沿いの中団前目、6番手あたりに収めた。
前半3ハロンの通過は35秒4。
良馬場より1秒以上遅いペースだが、水分を含んだ芝が競走馬の体力を急速に奪っていく。
3コーナーの手前。
まだ他馬が脚を溜めているタイミングで、宮崎はキリシマノカゼの手綱を緩め、ロングスパートを開始した。
早めに動いたキリシマノカゼが、じわりと先頭列へ取りついていく。
他の馬が1歩ごとに数センチメートル滑るなか、彼女の蹄は、中京のぬかるんだ芝を正確に捉え続けていた。
栗東の坂路で宮崎が感じた「泥を掴んで進む駆動感」が、この不良馬場で完全に噛み合っていた。
4コーナーを回り、最後の直線。長さ412メートルの先に、高低差2メートルの急坂が待ち構えている。
すでに先頭列に取りついていたキリシマノカゼは、坂の入り口で早くも先頭に並びかけていた。
他馬のラップタイムが12秒8、13秒2と、坂の手前で急激に落ちていく。
すでに早めの仕掛けで脚を溜めていなかった1番人気馬も、この急坂でズルズルと後退していった。
キリシマノカゼだけが、12秒2のラップを維持したまま、内ラチ沿いから抜け出す。
残り100メートルで、宮崎は後ろを一度も振り返ることなく、キリシマノカゼの首を軽く叩くだけでゴール板を駆け抜けた。
2着に2馬身差をつけた1着。
勝ち時計は1分23秒5。
不良馬場としては優秀だが、良馬場のスピード自慢たちからは「雨の特殊馬場に助けられただけ」と評される、そんな記録だった。
泥まみれで戻ってきたキリシマノカゼの手綱を引きながら、拓也は無言のまま、手元の出走表に走破タイムを書き込んでいった。
特に驚いた様子もなく、ただ淡々と、次に必要な事務作業を片付けていくような手つきだった。
中京の1勝クラスを2馬身差で勝利したことで、キリシマノカゼの収得賞金は1,200万円に積み上がった。
これにより、2歳サウジアラビアロイヤルカップや、年末の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)といった重賞レースへの出走登録が可能となった。
しかし、JRAの規定により、特別レース(オープン・重賞)では宮崎蓮のような見習い騎手の減量特典が適用されない。
全員が同じ斤量を背負う平地最高峰の舞台において、実績の浅い若手をそのまま乗せ続ける厩舎は極めて稀だった。
10月上旬。
栗東の厩舎にいる拓也の元に、あるエージェントから予想外の打診が入った。
「竹豊騎手が、次の万両賞でキリシマノカゼの空きを気にしています」




