第五話 私は目覚めた
私は激怒した。
必ず、かの長距離王への道を突き進まねばならぬと決意した。
私は競馬を知らぬ。だが、勝ったことだけは分かる。
「母上」
「なんだ」
私は上機嫌だった。非常に上機嫌だった。ここ数年で最高に上機嫌だった。
理由は簡単である。勝った。久しぶりに勝った。しかも。圧倒的だった。
「母上」
「なんだ」
「私は目覚めた」
母上は草を食った。
「そうか」
反応が薄い。いつものことである。
「私は覚醒したのだ」
「違う」
即答だった。私は激怒した。
「なぜだ!」
「前から走れていた」
「だが勝った!」
「距離である」
またそれだった。最近の母上は何でも距離で片付ける。
勝った。→ 距離である
負けた。→ 距離である
眠い。→ 知らん
非常に適当だった。
しかし私は違う。私は理解していた。これは覚醒である。
主人公が本来の力に目覚める展開である。そうに決まっている。
「母上」
「なんだ」
「私は運命の馬だ」
「そうか」
「選ばれし存在だ」
「そうか」
「長距離の支配者だ」
「そうか」
私は気分が良かった。やはり勝利は素晴らしい。
負けていた頃とは景色が違う。空が青い。草も美味い。風も気持ち良い。
世界は私を祝福していた。たぶん。
「母上」
「なんだ」
「皆も私を認め始めた」
これは事実だった。人間たちの会話が変わった。
『やっぱり長距離だな』『適性あったな』『春が楽しみだ』『面白い存在になった』
良いことである。非常に良いことである。私は主人公だからな。当然である。
「母上」
「なんだ」
「私は天皇賞を勝つ」
母上は少し黙った。そして。
「早い」
と言った。私は不満だった。
「なぜだ」
「まだ走っていない」
「だが勝つ」
「知らん」
「勝つ」
「そうか」
私は鼻を鳴らした。母上は慎重すぎる。もっと夢を見るべきである。
その時。ふと気付いた。
母上は昔。天皇賞を勝った。しかし。それまでの話をあまりしない。
「母上」
「なんだ」
「怖くなかったのか」
母上は珍しく手を止めた。風が吹いた。白い雲が流れた。しばらくして。
「怖かった」
と言った。私は固まった。
「英雄でもか」
「英雄ではない」
「だが天皇賞馬だ」
「それとこれとは別である」
私は黙った。母上は続けた。
「負けると思った」
「うむ」
「終わったと思った」
「うむ」
「何度もである」
私は少し驚いた。母上はいつも平然としている。
だから。最初から強かったのだと思っていた。
「だが勝った」
と言うと。母上は草を噛んだ。そして。
「たまたまである」
と言った。私は激怒した。
「絶対違う!」
「そうか」
「絶対違う!」
「そうであるな」
母上は少し笑った気がした。気のせいかもしれない。
私は立ち上がった。そして高らかに宣言した。
「母上!」
「なんだ」
「私は天皇賞を勝つ!」
「好きにするのである」
「そして伝説になる!」
「面倒であるな」
「ならん!」
「そうか」
私は満足した。母上は呆れていた。だが構わない。
私は知っている。これは始まりである。
運命の。長い長い。春への道の始まりである。




