馬視点3
吾輩は馬である。
名前はキリシマノカゼ。
いま、最高に天狗である。
なにせ吾輩は天皇賞・春を勝ったG1馬だ。
かつて「九州産馬の限界」と言われた吾輩であるが、今や牧場見学に来た人間どもが、
「カゼだ!」
「本物だ!」
「写真撮って!」
などと騒ぎ立てる。
悪い気はしない。
むしろもっと騒げ。
もっと崇めよ。
そう思いながら放牧地を歩いていたある日、源次郎じいさんがやってきた。
そして、いつになく真面目な顔で吾輩の額を撫でた。
「カゼ、お前はよう頑張った」
その言葉で察した。
ついに来たのだ。
引退である。
競走馬としての生活は終わり。
これからは繁殖牝馬として故郷でのんびり暮らす。
毎朝早起きして調教する必要もない。
泥まみれになる必要もない。
賞金順だの除外だのに怯える必要もない。
吾輩の第二の人生が始まるのである。
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数か月後。
吾輩は牧場の一角で、のんびり草を食んでいた。
そんなある日。
厩務員たちが妙に騒がしい。
「生まれたぞ!」
「元気だ!」
「脚が長い!」
「心肺機能の数値がおかしい!」
心肺機能?
嫌な予感がした。
やがて源次郎じいさんが、生まれたばかりの仔馬を連れてきた。
栗毛。
牝馬。
そして。
やたら元気だった。
生後数時間だというのに、放牧地を全力疾走している。
普通はふらふら歩く時期ではないのか。
「……あれ、なんか変じゃない?」
吾輩が思わず後ずさる。
すると仔馬が一直線にこちらへ駆けてきた。
そして。
ドン。
勢い余って吾輩に体当たりした。
痛い。
普通に痛い。
まだ赤ちゃんだよな?
本当に?
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「はっはっは!」
源次郎じいさんが大笑いしている。
「カゼにそっくりじゃ!」
やめろ。
それは全然嬉しくない。
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さらに数年後。
その仔馬は中央競馬へ旅立った。
デビュー戦。
スタートで出遅れる。
だが道中、まだ他の馬たちが呑気に脚を溜めているタイミングで、勝手にじわじわと前めのポジションまで上がっていく。
直線でも全然加速しない。
ただ、いつも通りのペースを崩さない。
それだけで、前の馬たちが勝手にバテていく。
そして気付けば勝っている。
実況が叫んだ。
「これは母親そっくりだー!」
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吾輩は遠く霧島の空を見上げた。
嫌な予感しかしない。
あれは絶対に苦労する。
間違いなく苦労する。
賞金順で除外される。
スピード不足と言われる。
専門家に酷評される。
だが。
それでもきっと走り続ける。
なぜなら。
あの仔の心臓は、吾輩より少しだけ強そうだからだ。
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吾輩は馬である。
名前はキリシマノカゼ。
ようやく現役を引退したと思ったら、今度は娘の心配をする羽目になった。
どうやら人生というやつは、ゴール板を過ぎても終わらないらしい。




