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出来損ないの天使  作者: ぺっぺろ


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4/5

祈り

 次の日、訓練場へ向かう途中で、天使は初めて足を止めた。


 高く広がる白い回廊の向こう、数人の天使たちが空を横切っていく。翼を一度広げるだけで、彼らの身体はまるで光に持ち上げられるように浮かび、そのまま滑らかに流れていった。


 誰一人として、風など見ていない。


 少なくとも、彼にはそう見えた。


 飛ぶことは、もっと当たり前のものだったはずだ。


 呼吸をするように。祈りを捧げるように。考えるまでもなくできるものだった。


 それなのに自分は、落ち方を教わっている。


 天使は小さく目を伏せた。


 訓練場へ着くと、老人はいつもの場所にいた。光の柱の影に寄りかかるように立ち、静かに目を閉じている。


 天使は少し迷ってから口を開いた。


「あなたは……何者なんですか」


 老人はすぐには答えなかった。


 ゆっくりと目を開き、空を見上げる。


「昔、空を飛んでいた者だ」


 それだけだった。


 曖昧な答えだったが、不思議と嘘には聞こえなかった。


 老人は彼へ視線を向ける。


「今日は飛ばん」


 天使はわずかに眉を寄せた。


「……では、何を」


「祈れ」


 短い言葉だった。


 だが、天使は反射的に顔を曇らせる。


 祈り。


 それは彼が最も苦手とするものの一つだった。


 天界の祈りは願いではない。光を編み、魔力を形へ変えるための技術だ。優れた天使ほど祈りは美しく、短く、迷いがない。


 だが彼の祈りは、いつも途中で崩れる。


 言葉は乱れ、光は散り、魔法陣は最後まで形を保たない。


 何度繰り返しても同じだった。


「……無理です」


 思わず口から漏れる。


 老人は表情を変えなかった。


「何がだ」


「祈りは、飛ぶより苦手です」


 老人は静かに訓練場の中央へ歩いていく。


「なら、ちょうどいい」


 天使は意味が分からず、その背中を見る。


 老人は振り返らないまま言った。


「お前は今まで、“正しく祈ろう”としすぎている」


 その言葉に、天使は小さく息を止めた。


 飛ぶときと同じだった。


 正しく羽ばたこうとして、落ち続けた。


 正しく祈ろうとして、壊し続けた。


「祈りとは何だと思う」


 問いが落ちる。


 天使は答えられなかった。


 考えたことがなかった。


 祈りとは技術だった。天界で生きるために必要なものだった。誰もが使えて、自分だけがうまく扱えないものだった。


 老人は空を見上げたまま、小さく呟く。


「祈りは、本来“届かぬもの”へ向けるものだ」


 風が静かに吹き抜ける。


「届かぬから、人は祈る」


 その声は、どこか遠い場所を見ているようだった。


 天使は老人の横顔を見る。


 その瞬間、ふと気づく。


 この老人は、天界を見ていない。


 もっと別の場所を見ながら話している。


「やってみろ」


 老人が言う。


 天使はゆっくりと手を前へ出した。


 淡い光が指先へ集まる。


 祈りの言葉を紡ぐ。


 だが途中で、光が揺らいだ。


 いつもと同じだった。


 形になりきる前に崩れていく。


 天使は唇を噛む。


 また失敗する。


 そう思った瞬間だった。


「止めるな」


 老人の声が落ちる。


 天使は顔を上げる。


「崩れるなら、崩れるまま流せ」


 その言葉は、飛ぶときの感覚に似ていた。


 逆らわない。


 押し返さない。


 流れへ入る。


 天使は消えかけた光へ、もう一度意識を向けた。


 形を保とうとはしない。


 ただ、流れていく光を見る。


 揺らぎながら、崩れながら、それでも消えきらずに残っている淡い輝き。


 その瞬間、光が静かに繋がった。


 魔法陣にもならないほど小さな光だった。


 だが確かに、今までより長くそこに在り続けていた。


 天使は目を見開く。


 指先に残る熱が、まだ消えていない。


「……今の」


 掠れた声が漏れる。


 老人は静かに目を細めた。


「お前は、ようやく祈りを壊さなくなった」


 その言葉は不思議と胸に残った。


 成功したわけではない。


 まだ何一つ、まともにできていない。


 それでも昨日までとは違う。


 失敗が、少しだけ変わり始めていた。


 訓練場を風が抜けていく。


 その流れの中で、指先の小さな光だけが、いつまでも静かに揺れていた。

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