始まりの続き
老人は、翌日もそこにいた。
まるで最初から、そこにいることが当然だったかのように。
天使は一瞬だけ、その存在を疑った。
「……来ていたんですね」
思わず、そんな言葉が漏れる。
老人はゆっくりと視線を上げた。
「来ると言った」
ただそれだけだった。
昨日と同じ場所。昨日と同じ距離感。なのに、何かがわずかに違う。
天使は翼を動かしかけて、やめた。
「昨日の続きですか」
「続きではない」
老人は即答する。
「昨日は“始まり”だ」
その言葉に、天使は少しだけ息を止めた。
始まり。
飛べなかった日のことが、始まりだと言われたのは初めてだった。
「じゃあ今日は何をするんですか」
老人は、空を見た。
「昨日、お前は落ちた」
「はい」
「今日はそれをもう一度やる」
天使は固まる。
「……同じことを?」
「違う」
老人は静かに首を振る。
「昨日のお前は、何も知らずに落ちた」
「今日は、“知りながら落ちろ”」
意味がわからなかった。
だが、いつものように「どうして?」は出てこない。
代わりに、胸の奥で別の感覚が動いていた。
天使は翼を広げる。
飛ぶためではない。
落ちるために、羽ばたく。
風が逆流する。
羽が一瞬だけ浮いたあと、すぐに重力に引かれた。
落ちる。
その瞬間、昨日とは違う“ズレ”があった。
(今のは……)
確かに同じ失敗のはずなのに、何かが違う。
着地したあと、天使はすぐに立ち上がる。
「今の、昨日と違いました」
老人は何も言わない。
ただ、ほんのわずかに目を細める。
「違いに気づいたか」
それは問いでも、評価でもなかった。
ただの事実確認だった。
天使は息を整えながら、初めて自分から言葉を出す。
「何が違ったんですか」
老人は少しだけ間を置く。
「それを考えるのが、“今日”だ」
そして背を向ける。
「飛ぶとは何かは、その先にある」
風が、静かに流れる。
天使は翼を見下ろす。
昨日までただの失敗だったものが、少しだけ形を持ち始めていた。
――飛ぶとは、何だ。
その問いは、昨日よりも少しだけ重く、少しだけ近くにあった。
羽は、静かに震えていた。




